009_同じ

想いは実現する。

思考は現実化するというのがあるが、あれは今生内での話。

言ってみれば、今生内で、肉体人間の五感にもとづいた自我欲望を達成するための強引な方法とでも言おうか。

だから、想いは実現するという法則とは、しかも、輪廻転生を通して想いは実現するというのとは、意味合いが異なる。

輪廻転生を通していないから。

世を隔てていないから。

それはともかく。

ただし、今生の今現在の想いは実は過去世のもののあらわれ(五井先生によると現在の顕在意識も実は過去世における過去世の顕在意識であったものがかなりあるらしい)で、それがこの世の(想いとなり)行為なり、現象としてあらわれる。

つまり、今生の今、輪廻転生を通して新たに起こした想いは、原則として、今生から見て来世以降のこの世に実現する、あらわれてくる。

そんなことわからないよね、普通は。

ごく普通に、つまり、唯物論で原因と結果、すなわち、因縁と因果を考える時には、今生内でのことだけを考えるからね。

私も自らの過去世の行いが悪かったせいか、それなりの苦しみ(自分としてはかなり辛い)を味わい、世の中の仕組みはどうなっているんだ、と考えるようになってから、いろいろと経て、この輪廻転生の仕組みに行き着いた。

単純な善悪や唯物論では、到底、納得できない、割りきれない、そんなはずはない、というところから、五井先生の本も読むようになった。

もしも、この乱れたデタラメきわまる(=建前で飾り立て本音を隠すという意味合い)この世を、それこそ、ありのままで、すべて肯定して受け入れなければならないとすれば、あまりにも救いがないように思えたからだ。

私はだいぶ前に、 ( おぶなより ) で、傲慢、侮蔑、嘲笑(冷笑含む)を、避けて下さいのように、懇願したことがある。

こうしたものを、行ってしまう(つまり、想い、行う)と輪廻転生の仕組みからして、後々(=来世以降)に相当な辛い目に遭う可能性があると考えられたためだ。

ジナ・サーミナラという女性のエドガー・ケイシーを扱った「転生の秘密」(たま出版)という本を読んだからなんだけどね。

なぜ、唐突に、こんなことを持ちだしたかというと・・・。

以前に非モテコミットの意味を調べた時に参照したサイトを見たらひどい言葉を使っているサイトがあったのを思い出したから。

それは「穴モテ」。

大体、意味の想像はついたが、調べたら案の定、やっぱりという意味内容だった。

これを書いていた人は、モテ談義(?)の中で、当たり前の用語のように、
非モテコミット」だの
「穴モテ」だの
「ルールズ」だの
といった用語を使っていた。

恥ずかしながら(?)、私はこの記事を見るまでは、これらの用語はまったく知らなかった。

この人のように、モテ談義(?)を普通の話題の一つとして話す人達からすれば、ごく当たり前の用語の一部で、常識だったのかもしれない。

恋愛を嗜み、男女論やモテ談義の話に花を咲かせる人達には常識だ、と。

しかし、私は、この「穴モテ」に関しても、使い方によっては(いや、よらなくても)、個人的にはかなりまずい言葉だと思っている。

私は、( おぶなより ) で何回も書いたのだが、
男女間のセックスを、
本来は一対一の男女の愛情の交歓の一環としてのものであり、
神様から二人の子供として神様から新たな命をお預かりする大事な儀式としてとらえた場合に、
女性の生殖器の一部となる膣は、
男女の愛情の交歓の場として、
さらには、
新たな神様の命をお預かりする出産の役割を果たす産道として、
それなりに神聖な役割を担う器官と考えられるからだ。

その膣を「穴」と言い、しかも、そこだけでモテるという意味合いに使い、「穴モテ」という表現をする。

これでは、神聖な役割を果たす器官を貶(おとし)めることにはならないか?

冒涜(ぼうとく)することにはならないか?

そう考えてくると、非常にまずい、というか、いや、絶対に使うべきではない表現だと思われるのである。

本来なら、神様の分けられたお命を頂く者として、つまり、行為の主体として貶めるべきではないものを貶める、冒涜すべきものではないものを冒涜する。

すると、どうなるか、輪廻転生を通して何が起きて来ることになるのかは、ご想像頂くとして・・・。(*)

もしも、この文章を読まれる方がいらしたら、万が一、使ったことがあれば、二度と使わないようにする。

そして、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして、少しでも過去世からを含めての想いを浄めて頂きたいのです。

また、まだ使ったことのない方ならば、これは幸いなので、絶対に使わないようにお願いしたいのですよ。

あまり、不可抗力の不幸を味わっていないのか、皆さんは輪廻転生に対する想いの影響を軽く見ている、というか、まったく考えていないような人が、相当数いるような気がして仕方がないんですよ。

特に、あのような言葉を平気で使い、モテ談義をしているような人達の中には。

だから、もしも、この文章を読まれた方には、あの言葉を絶対に使わないか、せめて、一考をお願いしたいのです。

想いとこれが込められた言葉は、輪廻転生を通して同じ意味合いを持つことになるからです。

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(*)これについては、( 011_気高い - おぶなより2 ) にご参考になると思われる内容を書いている。

もしも、お知りになりたい方は、お手数をおかけすることになり申し訳ないのだが、この ( 011_気高い - おぶなより2 ) をお読み頂ければ幸いである。