015_需要

( お断り ) 誠に勝手ながら、都合により、従来 ( 018_需要 ) と ( 019_需要2 ) と分けて記載していたものを、ここに改めて ( 015_需要 ) としてまとめ直すこととする。
ご了承頂きたい。
従来の文章はそのままに、 ( 旧 ) というカッコ書きを頭につけて示した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( 旧 ) 018_需要

いやあ、驚くな。

コンビニに置かれているマンガや週刊誌の表紙を見ればわかるが、若い女性がモデルになっていることが何と多いことか。

そこにかしこに溢れている。

おそらく、雨後の筍(たけのこ)のように、次から次へと出てくるんだろうな。

週刊誌を買ってさらに驚いたのは、AV女優(最近はセクシー女優と言い換えられているみたいだが)の美的水準(レベル)の高さだ。

映像を見ないので確実なことは言えないが、かなりの美形の人もいるように見える。

写真やメイクの魔術と言うか、写真と実物は違うことがあるからね。

でもこれ、新陳代謝(しんちんたいしゃ)もかなり激しいんじゃないのかな。

アイドルもそうだけど、おそらく、新人が途切れることなく、次から次へと出てくるのだろう。

ただ。

ハートカフェの動画にあったのだが、女性は若ければモテるのは簡単だけど、男性はそう簡単にはいかないというのがあったが、これを反映しているのかな。

女性は若いというだけで、何かと注目されやすい。

外見的な身体的な魅力を打ち出して、すぐにこれを武器(?)として使える。

しかし、男性はそうはいかない。

男女を問わず、社会全体として、若い女性を求めがちなのかどうかはわからないが、それにしても、売れやすい(?)時期は長いケースはそんなに多くはないだろうから、自分の旬の時期(?)を試したい、世に問いたいという人が多いんだろうな。

昔ならかなり限られていたであろう大スターへの見果てぬ夢(?)を求めて、こうしたタレントやAV女優となることで、自分の外見的魅力度を試したい、自分の旬の時期を試したい、とかなり殺到(?)しているように見えなくもない。

このように見てくると、こうした人達には、人格を磨くこと、霊性を開発することは、きわめて地味で眼中にないんだろうな、と感じる。

やはり、人間は、そこそこに順風満帆な生活があると、外形的なさらなる成功や世間の注目度を浴びることだけを志向しがちになるんだろうな。

不幸や災難、艱難辛苦(かんなんしんく)といったものがあることで、そこではじめて人間とは何なのか、世の中とは何なのか、と考えるようになるものなのだろう。

お釈迦さんも世の人を観察して、出家した側面があるみたいだし。(*)

つまり、不幸災難や艱難辛苦といった香辛料(スパイス)がないと、人はなかなか人格の向上といった霊性の開発には向かい難い傾向がある、と言えるんじゃないか、と思うのだ。

恵まれた、他人よりもあらゆる面で優位な境遇に置かれていると、あまり、霊性のことは顧みない傾向があるのではないかと思うんですよ。

過去世からかなりの人格の修養に匹敵する修行を積んで来ていて、世の人々を救う指導者として運命づけられた人以外は、大体、こうなんじゃないのかな。

だから、この世に病争貧苦といった不幸や災難があることは、この世が輪廻転生という時間をかけて、霊性の開発をするための修行道場になっている一つの証左になっている。

そんなことを感じることがあります。

~~~~~

(*)お釈迦さんは、もの思いに耽(ふけ)りやすい少年だったとされているのは、やはり、生後数日で生みの母親を亡くしていることが、かなり影響していると思われる。

やはり、幼少時は、母親と子供の緊密な関係は欠かせないように思われるのだ。

お釈迦さんの場合は、生みの母親の実の妹が母親になったので、かなりよい環境だったと思われるのだが、それでもやはり、実の母親という存在は大きいのではないだろうか。

お釈迦さんの話を読むとそんな気がしてならない。

お釈迦さんほどの人でさえ、幼少期に母親と死に別れてしまうと、その後の人格形成に影響する、と。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

( 旧 ) 019_需要2

女性のグラビアアイドルをはじめとするタレントさんやAV女優さんというのは、単純にいって、生得的な与えられたもので、世に出よう、成功しようとしているんだな。

しかし、これでは、いずれ肉体人間にはつきまとう生老病死の制約を免れることはできないな。

残念だが、若さやみずみずしさを、いつまでも保つことはできないからだ。

美魔女?

うーん、どうかな?

それがわかっていても、ああして次から次へと、成功を目指してタレントやAVの世界に飛び込んでいくんだな(AV女優さんの場合は、本人の意志ではなしに、運悪く無理矢理AVの世界に入らされてしまうこともあるみたいだけど)。

ともかく、彼女達は、女性としての肉体という、元々与えられた生得的な素養だけを頼りに、自らの成功を願って狙いああした世界に挑んでいると言えるだろう。

しかし、その生得的な素養も、実は過去世の地道な積み重ねで、ようやく取り戻してきたからこそ得ることができたものだ、とは夢にも思っていないんだろうな。

まさか、心美しき想いと行いが容姿に反映されるなどとは。

でなかったら、ああした自己顕示欲と虚栄心の渦巻く世界に入っていくはずはないからな。

だから、初めに多少の躊躇はあるかもしれないが、ああした世界に飛び込んでいくのだろう。

そうした感覚は、人からチヤホヤされて持ち上げられると、マヒしやすいからね。

最近よくある(下降気味か?)ユーチューバーになる人も、おそらく似たような気持ちはあるだろう。

特別なコネがなくとも、規約さえ守ればだれでも平等にユーチューバーとしてデビューができるからだ。

人間の感覚に一番訴える視覚と映像を上手く活かすことができれば、成功するのも夢ではないのかもしれない。

コネやカネがなくても、とりあえずは、誰しもが成功できるチャンスが平等にある訳だからね。

少なくとも、建前上は。

そう思う人がいても不思議はない。

しかし、テレビの権威は本当に落ちてしまったんじゃないのかな(ここ最近のテレビは、ほとんど見ないからあまりよくわからないけど)。

テレビでは、本職でありながら、滑舌が非常に悪かったり、お世辞にも演技が上手いとは言えなかったり、歌唱力がなかったり、話がうまいとはいえなかったり、あまり機転の利かない出演者が、時々いたからだ。

私は幼少時から、何でこんなレベルの人がたくさんの人様の前に出て活躍する(?)ことができているのだろう、と不思議で納得できない気持ちがあった。

ラジオでもそうだった。プロ野球の実況放送をするアナウンサーでも滑舌が悪く時々言葉が飛んでしまうような人がいたりした。

もちろん、解説者にもこうした人はいた。てにをはの誤用、語尾をはっきり区切らることができなくて、ピシッと話せず、ふにゃふにゃと聞き苦しい話し方をする、引退してまだ間もない(従ってまだ若い)解説者が何人もいた。

いくら野球一筋に生きてきたとしても、商売を変えて話を売り物にするのだから、少なくともちゃんと聞きやすいように話をしてもらいたいんですよ。

しかし、ユーチューブには、こうした欠点のない、こうした人達をはるかに凌駕する、話の上手い人や面白い人がいる。

番組全体としては、そこそこまとめあげてあっても、肝心の出演者の魅力そのもの自体が、一般の人にも越えられてしまう事例が多々あるような気がしますね、今となっては。

しかも、スポンサーの関係なのか何なのかはわからないが、扱う内容がユーチューブに比べるとかなり形式的かつ限定的で、多様性でも劣らざるを得ない。

かつては大河だったはずのテレビがいつの間にか、ユーチューブという大海に飲まれていく。

大海の方が多士済々かもしれない。

これからもテレビを続けるとすれば、勝負するネタ(コンテンツ)がよほど選りすぐりでないと、先行きは相当に厳しいんじゃないのかな。

かといって、選りすぐりのネタものを作るには、おそらく、かなりのカネと時間がかかる。

しかし、スポンサーは離れがちになり、ネットに流れて来ている傾向があるようだから、悪循環だな。

元々が力のある者の広報機関という本質があったとはいえ、これからどのように変貌を遂げていくのか。

公共機関をはじめとして、ありとあらゆる所に大型液晶テレビが備えつけられ普及したというのに、何とも皮肉な成り行きだな。

こうしたインフラ(インフラストラクチャー)を真に活かすことができないと、本当にもったいないな。

せっかく、大型液晶テレビというインフラが整備されたのに、見る人が少ない、番組内容の価値があまり感じられなくなり、視聴者が離れるようになってしまったら、大型液晶テレビに使われた資源も電気代ももったいないことになってしまう。

さて、どうなることやら。