016_一歩

しかし、どうして世の中は本当にあまりよろしからぬ想いと行いの業想念が多いのかな。

やっぱり、神様が私達が肉身を得て、この世をわたって行くためにお与えになった自己保存の本能のためかな。

例えば世の婚活の男女を、ああでもないこうでもない、と理想と現実との差をあげて、批判や非難するのも多いですね。

ハートカフェなら、主に婚活女性や世の女性達のお話がよくあるみたいだけど。

しかし、理想が高かったり、わがままであるかのように見える彼女達は、本当にご自身のことをわかっていないのだろうか?

本当はわかっているんじゃないの?

人間は誰だってバカじゃない。(*1)

自分のことは世界中で誰よりも自分が一番よくわかっている。

人間=肉体人間観である限り、この世の中で何にもまして一番感心のあるのは、自分自身のことに他ならないからだ。

だから、自らを客観視しようとすれば、ごくごく簡単なこと。

本当は知っているんだよ。

自分の評価を外部からの評価よりも高く見積もるのも、あくまでも建前。

表向きの建前。

自分の自我を傷つけないための、表向きの建前。

本当のことは、誰よりも自分がよく知っている。

わかっている。

しかし、そうした現実を認めたくなくて、それを忌避するためにバリアを張って、そうして自分を催眠術(?)にかけるかのように、耳障りの良い言葉を言い聞かせている。

そんなことをしても、現実はちっとも変わらない、否、時間が経てば経つほどに、婚活にはますます厳しい状況に追い込まれることもわかりきっているのに・・・。

婚活女性達の掲げる理想がなぜ年齢とともに下がらずに上がっていくのか。

唯物論の理屈で冷徹に考えれば、到底理解できないような、あのような不自然な現象が、なぜに起きてくるのか?

婚活にかけたお金と苦労や重ねた年齢を無駄にしたくない(=サンクコスト効果)というよりも、自分の本当の水準をよくわかっているからこそ、なんじゃないの?(*2)

ただ、それが習慣化して慣れてしまうと、今度は本当にそうであるかのような錯覚さえ起こすようになる。

今で言えば、いわゆる、認知的不協和ってやつの一種なのかもしれないが。

そうして耳障りのよいことを見聞きしているうちに、本当の認識を遠ざけることで、心安らかな(?)つかの間のひとときを過ごし続けていく。

しかし、あらゆるものは、無常にもどんどん変わっていき、いやが上にも、本当の認識に突き当たらざるを得なってくる。

こうした現状を変えることに、果たして、外部からの批判や非難は有効なんですかね。

そもそも、何のために批判や非難をしているのかな。

彼女達の幸せを願って?

じゃあ、幸せって何?

婚活という様々なその人が持つ条件をわきまえさせて、相応のお相手をあてがうこと?

仮に、相応の条件のお相手と結婚したところで、離婚や家庭内不和があるんですよ。

今は大体 3 組に 1 組が離婚みたいだし。

よく孤独の寂しさや孤独死のおそれをあげている女性の感想もあったけど、夫婦や家族だって、上手くいくとは限らない(魂の修行のために上手くいかない、少なくともすり合わせのための苦労を余儀なくされることの方が多い)し、肉体身として分かれている者に何でもかんでも頼る、おんぶに抱っこという、考え方自体がおかしいんじゃないの?

自分の落とし前は自分でつけなければならないものよ。

決断を人様に押し付けてはならない。

家族でも他人でも同じだ。

自分のやったことは、どのみちすべて必ずや輪廻転生を通して自分に返ってくるのだから。

誰も責任なんかとってくれない。

いやが上にも、自分で責任を取らざるを得ない境遇が(原則として)来世以降にあらわれてくるからだ。

肉体身として分かれたということは、おそらく、それが神様が私達にお課しになったルール。

過去世からの因縁因果によっては、なるようにしかならないし、あまり心配しても仕方ない面もあるし。

私達肉体人間は、この世に生まれ出でる時も、この世を去る時も、原則としては、一人である、あくまでも、孤独であることをわきまえた上で、どのようにしていったらいいのかを、考えるべきなんじゃないですかねえ。

生きていることを生かされていることの感謝に変え、そして、ありとあらゆることに対する感謝を最終的にはできるようにしていかないと、この世での苦しみは克服するのは、難しいと思いますけどねえ。

肉体人間としては、時間は有限だし、主体としての肉体の自分も、客体としての周りのありとあらゆるものも、無情にも永遠ではあり得ない。

無常にも変わっていってしまう。

私はこうしたいのよ、私の様々な要求を満たして、私の心地よいようにさせて、だけではなかなか厳しいものがあるんじゃないですかねえ。

そうした現状を変えるためにまずは一歩を踏み出すこと。

それを深くお考えになることを願っております。

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(*1)本来は、バカという言葉を使いたくはなかったのだが、話を簡単にするために用いた。

私は、そもそも肉体人間は、その過去世においてどうしようもないほどの悪行三昧をしているか、特別な事情がある場合を除き、皆まともな判断力をそなえていると考えている。

こうした特殊な場合には、肉体人間として本来ならば普通にそなえているはずの器官や能力を、輪廻転生を通して、著しく制限されるように生まれつく可能性が出てくるからだ。

そうでなければ、皆それなりのまともな判断力をそなえている。

これは、学歴や知能指数や頭のキレ具合には関係なく、誰もがそなえている判断能力だ。

上記のように、特別な事情があり、そうした能力を著しく制限されている場合を除き、誰もが皆が持っているもの。

それからすれば、自分の容姿の程度やその他の水準を判断することなど、誰にでも容易(たやす)くできる。

できなければ、おかしいのである。

ただ、女性は、こうした表向きの客観評価だけでなく、自分だけの「私は美しい」という特別な絶対評価も心の中にしかとあるので、男性と違い一筋縄ではいかず複雑なのだが。

(*2)私は、自分が不幸、特に病気という不幸で筆舌に尽くしがたい気持ちの苦しみを味わった(今も)ので、霊性を重視する。

従って、輪廻転生上で、悪影響を及ぼさないように、使う言葉にはできる限り気をつけている。

ワガママかもしれないが、もうこれ以上の辛い修行は避けたいのだ。

とてもではないが、妙好人の宇右衛門さんのように、いかなる不幸でも感謝をすることができるような謙虚で素晴らしい人格者になることはできない。

今回は、「バカ」という言葉を使ってしまったが、婚活をする男女について、私は、基本的には、ハートカフェのような言葉は使わない。

具体的には、「価値」や「腐った肉」などの言葉を避けている。

「価値」を避けるために、評価や水準という言葉を使い、神様のおつくりになった肉体人間の身体を貶(おとし)める「腐った肉」という表現は、絶対に避けるべきだと考えているからだ。

言うまでもないが、パウラちゃんねるで、パウラという二次元の美少女に頻繁にさせている「嘲笑」などもっての他だ。

論外中の論外である。

理由は、 ( 011_気高い - おぶなより2 ) のところで書いた通りだ。