079_話20(背景)

病院にはずいぶんお世話になったし、いまだに縁が切れない。

過去にはドクハラ女医さんや身内のことでいろいろあったりもした。

入院も何回もした。

だから、私は食事や恋愛や運動をはじめとして、健康であることにもとづいて、ごく当たり前に享受できるはずのこうしたことのありがたみを、人一倍わかっているつもりでいる。

そんな次第で、随所にややお説教めいた内容があった訳なの。

皆さんは、普段から当たり前のようにわいてくる食欲、性欲、運動欲(?)を思うがままに充足できることのありがたみを、あまりにも軽んじ過ぎているよ、本当に(身に沁みて)わかっていなさ過ぎるよ、と暗に言っていたんだよ。

何回も、何回も、ね。

だから、説教みたいになっていたんだ。

まあ、いくらこんなことを言っても、どれだけこうしたことを書いても、自らがそうした苦しい環境に置かれない限りは、忠告めいた話などは、あくまでも他人事で、心に響くこともなく、ほとんど相手にもされないだろうことは、重々わかりきった上で、書いてはいたんだけどね。

私達に往々にしてありがちな、肉体にまつわる五欲の充足にばかり走ることが、本来の神性に適う生き方から離れたものになってしまうことを、肉体という身を持って学習することを実効あらしめるためにこそ、本格的に魂を練磨して、病争貧苦などを伴う魂の学習をしていく過程として、輪廻転生という仕組みがあるのだろうけどね。

どうしようもない、逃れようのない境遇に置かれれば、誰だって否応なしにこうした問題に向き合わざるを得なくなるからさ。

私が書いていたことは、こうした身を持って経験しなければ、決して真からわからない事実について、遠巻きにヒントを与えていた程度にしかなっていないだろうな。

世界平和の祈りも、こうした厳しい境遇の唯一の改善策だと思うから、必ず添えていたのさ(なぜこう言い切るのかの理由づけは勝手ながら省略する)。

もちろん、皆が共存できる穏やかで平和な世の中が早く成就してもらいたいからだけどね。

とにかく。

自分にできるせめてものご恩返しは、やはり、世界平和の祈りをできる限りすることだね。

病院内のたくさんの人々、中でも医療関係者と患者さんの方々の中に、世界平和の祈りを知っている人が、果たしてどれだけいるのかはまったくわからないけれど、気持ちに余裕があって、気が向いた時には、院内や外部の薬局内で、できる限り祈りをするようにはしている(もちろん、声に出さないで祈っている)。

祈ったから、それなりのご利益がすぐにあるという訳にはとてもいかないけれど、そんなことは委細(いさい)構わず、とにかく祈れる気持ちになれたら、祈るようにしている。

それしか自分にはできることはないからね。