( おぶなより ) でかねてから感じていた仏教の中道についての疑問を書いた ( 674_ひしみー095 - おぶなより ) 。
八正道などの不必要と思われる細かすぎる話に比べると、中道の話はあまりにもざっくりし過ぎているというか、アバウト過ぎるという感じで、違和感を覚えるのだ。
肉体人間の抱く想いこそが、その人の輪廻転生を通したあらゆる運命を決めるし、何よりも大事なはず。
そして、その個人個人の運命の集積が、世の中の流れにつながると考えれば、八正道のように理屈をいじくってあれやこれややっていることには疑問を抱いてしまうのである。
それなのに。
中道の話は、きわめて大雑把で、何であの話が何の違和感もなくスルーされているのかわからない。
疑問を抱く俺がおかしいのか・・・。
昔、ある法律雑誌を読んだ時にこんな話があった(記憶が適当で正確には書けないが、悪しからず)。
あるご立派な法律学者さんが、学生時代に仲間とともに、日頃法律学に感じていた様々な疑問をぶつけたらしい。
そうすると、その有名な大先生は大体、次のように言ったそうだ。
「法律学を学びはじめた君たちに、そんなことがわかってたまるか。
私は生涯を賭けて法律学を勉強しているのだ。
与えられたことを真面目に勉強しろ」
うーん。
それはそうなのかもしれないが・・・。
経済学(マルクスの資本論は除く)にしても、ミクロ経済学は微分積分が詳細にわかっていないと本当には理解できないような気がするし、同じ経済学とはいいながら、マクロ経済学はあまりにもミクロ経済学とはとっつき方が違い過ぎる。
これで、本当に同じ経済学なの?
乗数効果にしても、あんな無限等比数列のように効果が続くと単純に仮定してしまって大丈夫なの?
もっと実際の経済の動きは不規則で、あんなに単純化した話はできないのではないの?
割引現在価値のような話も何の違和感も疑問もなく受け入れて当然の理屈なの?
わからないなあ。
本当にわからない。
既定の話。
しかし、その根本が揺らげば、すべてはひっくり返る可能性を孕んでいるのではないのか・・・。
本当にわからない。