175_原理6

一連の原理 1ー5 に、またちょっと追加をしたい。

この世で私達が抱く良い想いと行いは、原則として世を隔てて来世以降に実現する。

悪い想いと行いも、同様。

今生内で、良きにつけ悪しきにつけ、想いと行いがそのまますぐに返ることは少ない。

だから、現世のご利益を期待しても、そう簡単に得ることができる訳ではないから、すぐにご利益が得られずに、想いを乱すことを避けるためにも、まずは焦らないことが肝要。

それに、私達人間の想いと行いの世を隔てた因縁因果の相関関係の全体像は、神通力のない私達にはまったくわからないのだから、どのようにご利益が出てくる=因果としての結果が良くなるのか(来世以降だとしても何世目になるか、どこの国籍になるか、人生の時期的に(つまり年齢的に)いつになるかは、神様しかあずかり知らない事柄。

であるからには、どのように各々の運命が改善されていくか、その集積としての世の中の流れが良くなるかは、私達のまったく予想がつかない神様の高い見地からなされるものとなるから、お任せするしかないことになる。

仮に、どんなに頭が切れて、財力があって、治外法権以上の権力を持った人が、この世の中を牛耳っていたとしても、こうした人達でさえ、何の抵抗もできないような不思議な力と成り行きで世の中を良くしていくことを成就させるのが、神様の高い見地からのおはからいになると考えられる。

しかし、そのような神様のお導きによって、この世を良い方向に向かわせて頂くとしても、私達が肉体の五感にまつわる各種欲望の充足といった我欲に走り、好き勝手し放題にしていたら、到底、神様のおはからいはして頂けないはずである。

そうとしか考えられない。

なぜならば。

そんな我欲にまみれ、わがまま放題の活動を貪るために、神様は地球環境を私達が生きていけるように整え、貴重なそのお命をわけ与えて、肉体も下さっているの?

そんな私達か生きていけるように、神様の分けられたお命を頂くことによって、他の動物とは明らかに一線を画す形で、万物の霊長として知恵と創造力を授けて下さっているの?

神様は、そんな私達、各人の勝手な肉体にまつわる各種欲望の充足のために、私達人類をこの世にあらわしているの?

違うでしょう。

違うとしか思えないんですよ。

良い想いと行いには良い結果がもたらされ、悪い想いと行いには悪い結果がもたらされるという因縁因果の法則が与えられている以上は、これに沿って良き努力を積み重ねていくしか、神様のおはからいというご加護を頂けるとは思えないからである。

だから、良い想いと行いは、良い結果に結びつくという法則があると信じる以上は、良い想いと行いだけをして、あとの成り行きはすべて神様にお任せするしかない。

神様が、どのような人を、どのように配されて、どのようにその人々の行いを改めさせ、どのように世の中をよくしていくかは、唯一、神様にしかわからない専権事項(?)のはずと考えられるからだ。

残念ながら、悟りを開くには程遠く、唯物論に染め上げられてしまっている私達には、まったくわかりようもない話。

ここまで読まれるとおわかりになるかもしれないが、これは「引き寄せの法則」のような今生の(悪い言い方で申し訳ないが)いわばご都合主義による強引な願望成就のやり方とは完全に異質である。

あくまでも、良い想いと行いが、良い行いという因縁が、原則として世を隔てるという時を経て、結果として因果という形で実を結ぶ。

もちろん、今生で因果が結実(成就)する可能性もある。

従って、ただやみくもにこの世で肉体にまつわる五欲を満たすための欲望を想い描き、潜在意識を使うことによって、その欲望をほしいままに強引に、無理矢理叶えてしまおうとする「引き寄せの法則」を使うあり方とは決定的に違うのである。

あくまでも、因果律に則った上で、その結果として良き果実とも言うべき現世利益を求めるあり方だからだ。

とりあえず、今回はここで区切る。