178_願い3

前回 ( 177_願い2 - おぶなより2 ) で見たいくつかの動画の中に、社会的に大成功をおさめた青年実業家の人の話があり、港区女子のことにチラッと触れられていた。

実は、港区や渋谷、原宿、青山、赤坂、明治神宮神宮外苑、麻布、麻布十番、六本木などを個人的にはよく知っている。

縁がある時期があったからだ。

ただ、上流階級(?)にはまったく縁がなかったので、あの界隈がそんな場所になっているなんて思いもよらなかった。

もしも、ああした話が本当だとすると、とてもじゃないけど霊的に浄まっている場所とは言えないな。

お寺もあちこちにあることはあるんだけどね。

しかし、ああした世界観は、バリバリの唯物論の世界観だね。

見た目、周りのもの、カネ・カネ・カネだもんな。

勝手な考えで、まあ、妄想なんだけど。

その人の世界観(外観からある程度わかる場合があるが)などが測定できる機械やそれがその人とともにゼッケンのようにして、一見して誰にでもわかるようになっていたらどうなるかな。

例えばの話。

下品な話になってしまい申し訳ないのだが、経験人数とか、ヤり捨て回数とかが、常に大きく表示されているような形で。

そんなもん知ったことかい、と泰然としていられる強者もいるかもしれないが。

まあ、こうしたことは六神通をそなえたような人なら何もかもお見通しで、あらゆることがすぐにわかってしまうんだろうけど、こうした人はそもそもいないし、仮にいたとしても、こんな下品な内容にらかかずらわるはずもないからね。

ただ、どうしたらあのような唯物論の価値観に根深く傾倒している人達を、霊性の開発に向かわすことができるのか、を考えると本当に困難をきわめるとしか思えなくてね。

可能性としては、過去世からの因縁を溶かす(=解消させる)のは、祈りによる神様の光を投げかけることだとしても、あまりにも道が果てしなく遠過ぎるように思えるのでね。

こうした人々の魂を成長させるために、輪廻転生という仕組みがあり、病争貧苦といった艱難辛苦があるのだろうけど、輪廻転生という魂の学習過程自体が、個人の一生涯を軽く超えてしまう、何世にわたってもの果てしない時間がかかるだろうからなあ。

欲にまみれた宴に興じている彼女達(とお相手となる彼ら達)の行いからすると、ほんの 1 回や 2 回の輪廻転生で簡単に矯正されるほど単純なことにはならないだろうから。

神様の私達にははかりしれない、深い深いお考えの下に、こうなっているなら、しょうがないんだろうけど。

こんなの(ゼッケンのような表示云々)はあり得ないし、信賞必罰のような罰に訴えるやり方だから、根本的な解決にはならないのはわかり切っているけれど、何ともねえ。

世界平和の祈りの同士が増えてほしいんだけど、果たしてどうなっているのやら。

いくら、愚痴を言っても何をしても、世界平和の祈り以外は、霊的に想いの世界の幽界とそれが深くかかわるこの世の中を浄めることができないから、しょうがないんだけどさ。

業想念の一極集中の崩壊過程、ついに始まると感じながら。