224_綺麗事

巷の精神世界(いわゆるスピリチュアル系を含む)を扱った本や動画などでは、よくこの世に生まれてくる前に魂の修行をするために、艱難辛苦(病気・争い・貧乏・苦労などか?)を身に沁みて味わう(=受け入れる)ことを決意してこの世に生まれてくるような話がある。(*1)

私はあれが大嫌いだ。

ああいうことをのたまっている方々は、実は、この世の病気・争い・貧乏・苦労など(以下、病争貧苦と略す)を本当には身に沁みては味わっていないのではないか?という疑問を持っているからだ。

なぜならば。

この世の病争貧苦を身に沁みて味わっている身からすれば、

「生まれてくる前の魂の決意なんか、そんなもん知ったこっちゃねえよ。
そんなのこの世の顕在意識でわかりっこないに決まってるだろ。
俺は今すぐにでもこの苦しみから解放されたいんだ、そして、もう二度と戻らない時間を巻き戻して、こんな病争貧苦などない、もっと苦しみのない人生をやり直したいんだ」

と強烈に思わされるからだ。(*2)(*3)

唯物論に縛られ、肉体人間観に縛られ、悟りを開くことにはまったく縁のない、程遠い俺のような人間の場合にとっては、こうした感覚がごく一般的なはずだ、と思うからである。

だから、あのような魂を鍛える(綺麗にする)ための修行をいとも簡単に?軽々しく?話すかのようにしているのを見ていると(魂的な話としてはもっともなのだろうし、自分勝手な業想念で、こんなことを言うのは良くないことだとはわかってはいても)、
「何を綺麗事を言っているんだ」
とイライラしてしまうからだ。

あのような言説は、(俺のような苦しみを容易に神様への感謝に変えることができない、霊性の低い身勝手な人間にとっては)高邁なご高説を垂れているように思えて仕方がないのである。

個人的な偏見かも知れないが、ああしたことを公に言うことに違和感を抱(いだ)かない人がいるとすれば、それは古の妙好人と呼ばれた浄土門の敬虔な信仰者である因幡の源左さんや浅原才市さんや宇右衛門さんのような人達か、これに近しい魂の綺麗な人達だけだと思っている(もっとも彼らはそんなことは俺のような気持ちを抱く者がいれば、そのような者に悪想念を抱かせるから良くないと判断してこんなことは公言するとは思えないが)。

彼らは、この世で自分の身に起きてくることは、幸福などの良いことも、病争貧苦などの悪いことも、すべては、(過去世の因縁を踏まえた上での)自分を救い取って下さる阿弥陀如来様(神様)の思し召し、
「ありがとうございます」
と一律に感謝できる素晴らしい宗教の信仰者だからだ。

つまり、彼らは病争貧苦などの悪いことの意味合いを、
「この世に生まれてくる前の魂の決意云々」
を知らないでも、ごく普通のこととして病争貧苦への感謝をちゃんと身をもって実践できていた宗教の達人だ、と思うからである。

おそらく彼らは
「生まれてくる前の魂の決意云々」
などの綺麗なお題目は、知らなかっただろう。

それでも、あれだけの(無条件で無垢な)
「神様ありがとうございます」
の感謝一念の生活を実践できた人達なのだ。

以上、全体的に話が業想念になって申し訳なかったが、いまだ想いが浄まらず、できていない俺のような者の世迷い言として受け取って下さい。

勘弁して下さい。

お許し願います。

申し訳ございません。

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(*1)艱難辛苦~かんなんしんく~困難にあって苦しみ悩むこと。

(*2)過去から今現在にわたって、病争貧苦を身に沁みて味わってくると、これらのことを素直に、
「自らの過去世の(神様のみ心に適わない、いわば悪い)因縁のこの世にあらわれて、消えてゆく姿(=因縁の解消されていく姿)」
と簡単には納得できないのが、実際のところだ。

「神様が魂の汚れ(=過去世において行ってしまった神様のみ心に適わない真善美と愛に悖る業想念)を浄めて下さったんだ、
こうして、神様の子供としての自分を救い取って下さったんだ。
ああ、なんとありがたいことか」
とは、いまだに簡単には納得できずに、感謝できていないのが本音だからである。

ましてや、こうした病争貧苦などに悩まされることのない、他のたくさんの人達を見ていると、なおのことこの思いはつのらざるを得ないのである。

まあ・・・。

こうした迷いの悪い想い(=業想念)を浄めていくためにも、やはり、
南無阿弥陀仏」や、
世界人類が平和でありますように
の祈り一念で、地道に修行していくしかないのかな、とは思っている。

上記の批判的な想いは、他人様を否定する、神様のみ心には適わない、真善美と愛に悖る業想念(≒悪い想い)には違いはないのだからね。

(*3)おそらく、この世に生まれてくる前の魂の決意をしていたことがわかる(=心身ともに身に沁みてわかっている=心身ともに身に沁みて感得している)のは、お釈迦さんのような、いわゆる仏陀級かそれに近しい人達ではないだろうか。(*3ー1)

個人的に勝手にそのように考えている。

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(*3ー1)仏陀というと、普通はお釈迦さんだけを指して言うことが多いが、お釈迦さん在世当時?のはるか古には、お釈迦さんの他にも仏陀とされる人達がいた( ( 537_仏言葉ー070 ー 涅槃が最高 - おぶなより ) ・ ( 726_ひしみー147 - おぶなより ) )。

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(追記)
今回の話は、(  147_お天道様 - おぶなより2 ) でチラリと書いているが、また書いてしまった。

愚痴と文句のようになってしまってすみません。