220_つくろい

以下は、あくまでも私個人の妄想であり、戯れ言である。

なので、くれぐれも真に受けないようにお願いしたい。

勝手気ままに書けるブログだからということでご容赦願いたい。(*1)

最近、ユーチューブの動画タイトルのサムネにやたらに表示されるようになってきた2ちゃんねるの実話シリーズみたいなのをいくつか試しに視聴してみた。

実話なのかもしれないが、こんなのホントかよ、こんなにいつもいつも予定調和から導かれた勧善懲悪のオチがあり、大団円のようなめでたい、耳障りのいい夢物語ばかりがあるのかよ、と思わされたのが正直なところだ。

まあ、これは俺の過去世の因縁が悪すぎるせい(=つまり、輪廻転生という時空間を超えた自業自得)なのかもしれないが、今生で他人を理不尽に苦しめたり、不摂生したりのこれといった要因が思い当たらないのに、何でこんな不可抗力の病気に苦しむんだと思いながら生きてきた。

五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)によれば、今生での様々なことは過去世を原因とするものが多いとされている。

しかも、ごく普通の人は、過去世の記憶がないまま(原則としてほとんどの人は生まれる時は過去世の記憶が消されて)この世に生まれてくるので、今生に思い当たらないことで悪いことがあるということは、過去世にその原因があるということになる。

過去世の記憶がない場合でも、今生での今現在の有り様から、本来の神様の子供としてのあるべき好ましい姿、素晴らしい姿と今現在の状態を比較することで、その落差から過去世であったことを逆算・類推することなどでその原因を探れる場合がある。

しかし、宿命通やある程度の霊感といった特別な能力がないごく普通の人の場合には、ここまでが限界(ここでは催眠療法は考えない)。

それ以上はわからないことになるんだ。

殴るだの、浮気だの、などの場合ならば、比較的わかりやすく、単純に推定をすることができるが、そうでない場合には、過去世を原因とする今現在起きている悪いことの原因を逆算・類推することはできないのである。

つまり、訳もわからず、ただただ、苦しみを我慢するしかないことになるんだ。

それゆえに、原因となる過去世の因縁が逆算・類推できずに、苦しみだけを受け入れなければならないのは、本当にたまらないんだ ( 185_前世療法 - おぶなより2 )。

まあ、何もこれは私だけではなく、世の中には私以上にもっともっと、理不尽や不条理に苦しんでいる人はたくさんいるとは思う。

仏教で言えば、代表的な肉体人間にはつきものの生老病死などにはじまって、無論、病気・争い・貧乏・苦労などがある。

こうして、みんなこの世で過去世の因縁を今生で果たすために、輪廻転生を通して魂を立派なものとするために、苦労するのが大半の人のはずなのに、あんなホッコリした夢物語や勧善懲悪のめでたし話、大団円のような安心できるオチ話ばかりがあるのは、納得できないのである。

もちろん、彼ら(彼女ら)の話は本当なのかもしれないし、彼ら(彼女ら)は、それなりに今生で満足できる良い過去世を過ごした人達なのかもしれない。

たまたま、そうした幸せな実話、復讐成就(?)の溜飲の下がる実話ばかりが出ているだけなのかもしれない。

何が言いたいのかと言うと。

ああした2ちゃんねるをネタとした動画は、基本的に人間は肉体人間だけなんだ、原因(因縁)と結果(因果)は今生内で必ず完結するんだ、清算されるんだ、という基本的な観点、つまり、魂の永続性からくる輪廻転生を考えず、霊性を認めない唯物論の観点にしか立っていないような感じに見えるのだ。

つまり、この世にどうしようもなく存在する、不平等や不条理や不均衡を、今生内で誰もが何とか納得(?)するように片付けた形の物語としてまとめ上げたような話に見えるのだ。

だから、今のユーチューブで作られる動画なら、そこそこまとまっているもので、10~20 分台、長くて30 分台くらいが主流といったどころの枠内を使い、唯物論の思考の範疇で、今生内の原因と結果の因縁と因果が、起承転結する形で整い、みやすく、一話完結のわかりやすい物語としてうまくまとまっているという感じの。

しかし。

あんなにうまい話ばかりがこの世に横鎰しているはずがない。

あんなもんじゃない。

ありていに言ってしまえば、連綿と続いてきたこの世には、悪い人間が引き起こしたヤリ逃げ話や、やられたまま失地を回復できずにそのまま我慢を強いられ済まされてしまった話がたくさんあると思われるのだ。

だからこそ、そうした悪い因縁の清算は、来世以降に持ち越され、また様々な不幸や災難が繰り返されてきた、と。

今生内で、そんなに簡単に解決できる、ましてや、いかにも手際よくまとめられた勧善懲悪話や復讐成就(?)の溜飲下げ話が、やたらめったらゴロゴロと転がっているとは思えないのである。

輪廻転生を通した因縁因果を考えた時に、この世に不幸や災難があるということは、裏を返せば、その不幸や災難の元(原因)となるものが過去世にあり、それが清算されるために因果(結果)としてあらわれてきている、ということになるからだ。

確かに、フィクション(創作)としてなら、十分に世の人々を楽しませ、勇気づけ、慰める話になるのかもしれない。

ああした、特にうまくまとまっている話は、世の中全体を見渡しても、ごくごく一部。

実際は、みんなもっともっと苦しんでいるのではないか、あんなもんじゃない、と私は勝手に妄想している。

まあ、現実の娑婆世界が酷いから、夢を見たいのもわからないではない。

が、ほんの一時の夢の慰めだけでは癒えない苦しみや傷もあるんだ。

だから、俺は、神様のみ心に適う適わないはともかくとして、自分で経験したことや、出会った出来事については、出来る限り事実に忠実にありのままを書くようにしてきた。

人様に謗られようと、悪く思われようと、なんだろうと、人様を傷つけたり、痛めたりしない限りは、真っ正直の方がいいと思ったからだ。

なので、人様にも、出来る限り信義誠実の原則に則り、潤いという味わいは少なくなるかもしれないが、(ノンフィクションである以上は)なるべくありのままの事実に近いことを書いてもらいたいのである(*2)

これはあくまでも妄想となる、個人的な勝手な曲解と希望だけどね。

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(*1)ただし、一応これでも公序良俗に反しないようには気をつけているつもりなので悪しからず。

・公序~こうじょ~公衆が守らなければならない秩序。

公序良俗~こうじょりょうぞく~公共の秩序と善良なる風俗。
(用例)公序良俗に反する行為。

(*2)フィクションとノンフィクションとを厳密に書き分けることは難しいだろうから、なるべく事実に忠実に、ということで。