086_一雫2

少し前の ( 083_一雫 - おぶなより2 ) で書き忘れたことがあるので補足をしたい。

それは、ブログの公平さのこと。

とりあえず、ネットにアクセスして、ブログを書く作業ができて、そして、それなりの約束事さえ守るならば、原則として誰にでもブログ作成と公表の機会が与えられているということ。

細かいことは忘れたが、大まかに言って、公序良俗に反することがなく、ブログを提供している業者さんの定めたルールを守れば、誰にでも参加できるものであるということ。

個人的に助かるなと思うのは、アクセスがほとんどなくても、参加の機会が与えられていること。

業者さんにも、いろいろな理由があると思うけど、これは本当にありがたいことだと思う。

アクセスの数で、参加制限を課されたら、すなわち、一定の期間を区切って、一定のアクセスがないとブログへの参加を取り消されてしまうような、殺伐とした競争原理を持ち込まれてしまったら、自分のような者は本当に困るから。

参加できて当たり前と思われる方もたくさんいるとは思うが、やはり、ありがたいことだと思うのだ。

しかも、その与えられている機会を、機会の平等をどのように活かすかは、各人の裁量に委ねられている。

ブログは、情報の発信の場を与えてくれているのと同時に、趣味というか、個人的な楽しみも提供してくれているものだな、と思う次第。

ブログは、ある意味で、自分の分身と言えなくもない。

自らの文章を人様に見て頂く機会と、可能性を与えられていて、なおかつ、楽しむなり、様々に活用することができる。

おそらく昔ならば、出版などは、一定の要件を満たせなければ、できなかったであろうことを考えると、気軽さのあるネットの文章とはいえ、やはり、ありがたさは、きちんと心に留め置いておくべきだと思うのだ。

なお、自分の分身ということで言えば、ブログは、その人の人となりの一部をあらわすもの。

はてなさんのブログなら、読者として登録してくれた方に対して、誠心誠意尽くすつもりで努力をすることもできるし、そうした配慮をしないで、自分の都合や考えで、ブログを放置することもできるし、そのやりようはあくまでもその人次第。

人様に強制されて書くものではないから、自分の心づもりでどのようにでもすることができる。

あくまでも自由。

もちろん、内容も文体も、表現の仕方も、すべてその人(書き手)が選びとることが可能だ。

だから、ブログは仮にどれほど擬態であったとしても、その人の人となりをあらわしている、さしづめ分身であると言い切ってしまってもいいだろう。

それに・・・。

そもそも、ブログの文章自体が、その人あってのものだからね。