204_運命好転の方法(はじめに)

唯物論はやっぱり話の底が浅いなあ。

悪いけど。

しかも、容姿や社会的地位などで、他人を見下す姿勢が、文章のそこかしこに垣間見える。

仮にも人間(女性)を「廃棄食品」に例えるなんて、霊性の面から考えたら、禁忌としか言えない表現もあったからなあ。

そんなことを感じる文章を読んだ。

男性が書いたと思われる「ブスほど高望みになってしまう構造的な理由」という話(ただし、文章の末尾には「こうした容姿の女性達の辛さに、男性は理解を示すべきだ」と彼女達をいたわる、暖かく、やさしい言葉もきちんと添えられてはいたが)。

他にも女性が書いたと思われる「ほんっと世の中顔だよな」という、彼女を見下したであろう男性達に対する恨み節で、そうした彼らを「そのへんの F ラン私大、馬鹿のくせに」などとこき下ろすような話も見かけた。

器量に恵まれなかったり、モテなかったりすることの辛さと切なさと哀しさと悔しさは、おそらく当人でないと真からはその気持ちはわからない。

ごく普通の容姿か、何らかの魅力を身につけて、そこそこに過ごせた人には絶対にわからない、気持ちの辛さ、切なさ、哀しさ、そして、悔しさがあるからだ。

私も中学くらいまでは、非モテだったので、この気持ちは身に沁みてよくわかる。

しかも、人によっては、こうした辛さ、切なさ、哀しさ、そして悔しさが澱のように溜まり、押し潰されそうになった自尊心(自己承認欲求 (?) )からの反転攻勢のように、他人様に対する憎悪や傲慢や攻撃(?)といった形となってあらわれてくることさえある。

おそらく、そうした高望みもそのあらわれの一つなのだろう。

器量があまりよくなく生まれついた人には、こうした傾向がままあらわれることがあるんだろうな。

俺なんかは、極度の小心者で、臆病者だったから、反転攻勢に転じることなく、敗残者として落ち込むだけだったけどね。

( おぶなより ) にも、この ( おぶなより2 ) にも書いたけど、美男美女だからといって、必ずしもいいことばかりじゃないんだよ。

そりゃあ、何かと有利に世間で事を運べる場合はあるかもしれないが、これも当人の立場にならないと、外部の人間からは、決して窺い知れないことがあるものなんだ。

当人でなければ、決してわかることのない、まさかと思われるような固有の事情がね。

ましてや、表面的にはいいことばかりだろうと思われていても、その内実は他人には窺い知れない悩みや苦しみで、心の中でのたうち回っていることさえあるんだよ。

過去世からの因縁因果は、人によって多種多様、千差万別なの。

この世にどのようにあらわれ、どんなケースがあっても決して不思議ではないことになるんだ。

だから、唯物論の表面上の利害得失だけで、すべてのことを計算式よろしく、ああでもない、こうでもない、とあげつらって立ち回っても、本当の心の安寧に結びつくことはないんだ。

心が安寧でないと、いや、安寧とはいかないまでも、身の回りのいろいろなことに感謝をして、愛を施すことをして、家族や他人と心を通わせることがないと、常に不安や不満足という満ち足りない気持ちを抱かざるを得なくなるからだ。

個人的に(恋愛指南の?)ド素人の立場から言わせてもらえば、異性に(というか、老若男女問わずあらゆる人に)対して嫌悪感を抱かせないための、最低限の清潔感さえ保てば、あとはそんなに雰囲気モテのための努力は必要ないと思っている(雰囲気モテのための努力を趣味として嗜むのは、あくまでも個人の自由だけど)。

モテたい(あくまでもお相手は一人を前提とする。一対不特定多数相手のモテは想定していない)ならば、もっと地道なやり方をしてほしいと願っているのよ。(*2)

というのも。

最近、ユーチューブで、五井先生(日本の宗教家五井昌久さん)のこうした地道なモテ、器量に恵まれない人のモテに参考になると思われる動画を視たからだ。

もちろん、こうした顔をはじめとする容姿のこと、身長のこと、スタイルなどの体つきのこと、運動能力のこと、機転が利くか利かないかなどの反射的な頭のキレ具合のことなど、私達が劣等感(コンプレックス)を抱くことの多い、この身体にまつわる、ありとあらゆることで悩んでいる場合にも参考になる内容である。

ちょっと、まとめるには時間がかかるかもしれないので、その内容は次回に書こうと思う。

ただし、このやり方は、数日とか、数週間とか、数ヶ月以内などの即効性があるものではなく、 3 年、 5 年、あるいはそれ以上と、かなり時間かかかるものなので、バリバリの唯物論者で、目先の欲にとらわれる人には、見向きもされないかもしれない。

しかし、この行き方は、神様のみ心には適ったものであることには違いないので、ここに記しておくことにする。

ご自身のたゆみない努力で、モテやその他の問題を克服された方は、必要とされないかもしれないが、とりあえず、因縁因果に一切の悪影響がない(むしろ、良い影響があるし、積極的におすすめしたい)正攻法ということで、ご参考までに記しておく。

今回の内容は「誠実に、ただひたすらに、(神様に対して)謙虚に取り組む、運命好転の方法」の導入部ということで、いわば「はじめに」として書いた。

なお、おわかりのこととは思うが、これはただ普通に地道な努力をするものではない。(*3)

あくまでも、世界平和の祈りと守護の神霊様(守護霊様と守護神様)への感謝行を必須とするものである。

従って、今生にすでにあらわれてしまっている過去世の因縁を原因とする既定事実を少しでも改善するため、そして、今生から来世以降にかけて生じてくる運命を少しでも改善するための方法を指している。

「少しでも」としたのは、過去世の因縁は、その人、その人によって千差万別であり、従って、この世でのその人、その人の有り様も千差万別となっているので、とりあえず「少しでも」とした。

なので、人によっては、パッと運命が開くことがあるかもしれないし、運命がなかなか開かない場合があるかもしれない。

これは個々人の過去世の因縁により、ケースバイケースで、一概には言えないからだ。

ただ、唯物論的に、巷にありがちな、金さえ儲かりゃいいんだ、自分さえ異性にモテりゃいいんだ、お人好しの人間なんか多少出し抜こうと、自分さえよければ構わないといばかりに、今さえ、金さえ、自分(と近しい身内)さえよけりゃいい、のような悪い因縁を作りがちなやり方とは違い、世の中の人々に世界平和の祈りによって徳を施し(=善因を積み)、自らの悪い因縁のあらわれを可能な限り減らしていくやり方である。

よって、地味な努力なんか無意味だ、有害だ、といわんばかりの目的のためには手段を問わない、金さえ儲かれば、価値創造(?)さえすれば、自分さえモテれば、どんな悪い因縁を作り、自分(と近しい身内)さえよければ、関係者をどんなに傷つけ、悪い因縁を撒き散らしても構わない、といったほんの申し訳程度にしか良心を踏まえることをしない、唯物論一辺倒のやり方とは無縁である。

つまり、輪廻転生を通した長い目で見れば、悪い因縁と因果を生じさせる隙を限りなく少なくさせるやり方な訳だ。

個人的には、これこそが本来の運命好転の方法だと思うのだが、この運命好転の方法に関しては、いまだ唯物論的な即効性のあるハウツーが大半を占めると思われる現状では、こうしたやり方は一般受けするような派手さはなく、地味で堅実な行き方と言えるだろう。

~~~~~

(*1) ( おぶなより ) でもここの ( おぶなより2 ) でも、真善美と愛に悖る汚い負の言葉、すなわち、バカ、アホ、カス、グズ、ゴミ、クソなどを使わないようにお願いしてきたのに、今回は「ブス」というこれまた女性を著しく傷つける不適切な言葉を引用とはいえ使ってしまいました。

申し訳ございません。

お詫び致します。

なお、なぜ「ブス」という言葉(蔑称)を使ってはならないかのその他の理由づけについては、お手数ですが、( 011_気高い - おぶなより2 ) を参照して下さい。

(*2)この世に生を受けるのは僥倖(実は必然)。

この地球上に、どれほどの数えきれないほどのたくさんの人間が生まれようとも。

だから、その中から、本当に信頼し合い、感謝し合うことのできる伴侶(パートナー)と巡り合い、艱難辛苦を共に分かち合えることになるのも僥倖。

大体、自らの神性に真摯にたずねてみれば、一対不特定多数の恋愛が、神様のみ心に適うかどうかは、すぐにわかる。

それをごまかし続け、好き勝手し放題のデタラメを続ける限り、悪い輪廻の連鎖は止まらない。

それをどうとらえ、対処していくのか、自らの神性にたずねてみて、これからどうすべきなのかを決めるのは、あなたご自身。

先人にどういう人達がいたのかはまったく関係ありません。

古の先人達がどんな生き方をしようが、今の他人がどんなに好き勝手やっていようが、関係ありません。

先人達が、同世代を生きている他人が、デタラメの限りを尽くし、メチャクチャやっているのだから、自分もこれくらいはいいだろう、という気持ちは、この際なので捨ててしまいましょう。

あくまでも大事なのは、これからのあなたの振る舞い。

あなたが、今これからどのような異性との信頼関係を築き、ありがたさを噛みしめ、ともに人生を感謝しながら送っていけるかどうか、が何よりも大事。

端的にいうと、一対不特定多数の古来から連綿として続けられてきたようなモテ(この最低・最悪の形がヤリチンとヤリマン)は、いい加減、もう卒業してほしいのです。

男にしたって、いつまでたっても、どこまでいっても、一夫多妻制や、ハーレムや大奥みたいなことばかりしていたんじゃ、悪い因縁因果の循環は終わらないし、人類としての進化(=神様のみ心をあらわした肉体人間になること)はおぼつかないからですよ(女性の場合なら、さしずめエカチェリーナ2世か?)。

社会を構成する個人個人もそうだし、転輪聖王の出現なんて、夢のまた夢。

社会のみんなが転輪聖王のように、地位や才能に関係なく、気高くならなければ、どうしようもない。

いつまでも、いつまでも、どこまでいっても、未来永劫、動物と変わらないことばかりしているんじゃ、しょうがないでしょ。

はっきり言ってしまえば、セックスありきのモテではなく、愛情とセックスが表裏一体となった、あくまでもお相手が一人となるモテを求めるように変えてほしいんですよ。

世界平和の祈りと守護の神霊様(守護霊様と守護神様)への感謝行とともに、今からでも。

万物の霊長として、動物とは一線を画した、神様のみ心をあらわす、神様の子供=人類としての霊性の高さを見せて頂きたいんですよ。

(*3)もちろん、世界平和の祈りと守護の神霊様への感謝行をする以前に、地道な努力をしても、何ら一向に改善の余地がない場合には、可能な限りそれまでの方法論を見返して、適宜反省・修正・変更しながらであることは、当然。

なお、世の中には、生き馬の目を抜くように、自らのためには、手段を問わず、狡猾に立ち回る人間もいることは確かなので、極端な言い方をすれば、こうした狡猾な人間に騙されないようにできる限りの細心の注意を払うことも必要であり、なおかつ、自分からは決して人を欺き、騙すことはしない、ということも心すべきである。

~~~~~

(追記1)
今回も含め、3 回に分けて書く内容は、容姿(この場合なら非モテ)などをはじめとして、生得的な要素で悩んでいる人に、派手さはまったくなく、地味で根気が必要になる方法にはなるが、輪廻転生を含めた人としての生き方に必ずプラスになる、神様のみ心に適った方法をご紹介してみたつもり。

たとえば、非モテで悩んでいる人なら、ネットをそれなりに調べれば、おおむね安定した心休まる手法がないことは、もうすでにおわかりのことと思う。

そこで、望みを託すなら、地味で根気が必要にはなるが、真っ正直な生き方、すなわち、信仰をも含めた世界平和の祈り一念のあり方に託してみる方法をご紹介させて頂いた次第です。

もちろん、この手法を試したからといって、必ず人生の伴侶を獲得できるかどうかはわかりません。

これはもう、その人その人の過去世の因縁と、その人その人の守護の神霊様のご判断によるとしか言えません。

やはり、結婚するのも、離婚するのも、添い遂げるのも、独身を貫くことになるのも、その人その人の過去世の因縁によってかなりの部分を左右されてしまうことが避けられないからです。

ただ、どのような運命におかれていようとも、ほんの少しずつでも悪い運命のあらわれを守護の神霊様によって軽減して頂くと同時に、世界平和の祈りによって、この世に善因という徳を積み、(その人その人の過去世の因縁によっては果たさなければならない過去世の悪い因縁があるために紆余曲折を経ることにはなっても)今生から来世以降に向けてほんの少しずつでも、確実に運命を改善していく方法(五井先生の言われている「因縁因果をこえる法」ですね)ではあるので、お試し頂ければ幸いに思います。

そして、恋愛に縁がなさそうだ、厳しそうだ、と悩んでおられる方がいらしたら、輪廻転生を通した神様の永遠の命を良いものにしていく(=元々の神様の分けられたお命の分霊(わけみたま)を肉体に映す・あらわすようにしていく)ためには決して無駄にはならないので、ご一考頂きたいと思います。

なお。

五井先生には申し訳ないのですが、ここで好き勝手を言わせてもらえば。

唯物論的な価値観から、自らが楽しむことばかりしか考えないような旧来からあるモテは、羨望するまでもない。

神性(霊性)を落としまくる、自分の利益本位にばかり立ち回り、結果的に物事のありがたみもわからず、感謝の気持ちの欠片も抱けないようなモテなら、しない方がいい。

普通にモテを考える人達は、恋愛できることが当たり前だと思っているようだが、実はこれは当たり前ではない。

容姿の良し悪しに関係なく、皆さんは(時代状況も含めて)恵まれ過ぎていることに気がついていないのだ。

容姿のいかんにかかわらず、自分から異性に働きかけるそれなりの(公序良俗と法律に反しない範囲内での)できる限りの努力をすれば、何とかなる場合がほとんどである、ということを。

健康であること、従って、運動ができる(つまり、動ける)こと、恋愛ができること、を享受していることが、ごく当たり前だと思っている人が、世の中の人の圧倒的大多数を占めているんだろうね。

だから、身近な何気ない小さなことに感謝をすることを忘れ、様々なことに対するありがたみを感じることなく、生活水準やお相手の容姿にもっともっとと要求水準を高くしがちになる。

こうした唯物論的な、エゴにもとづく利害得失計算に明け暮れているくらいなら、いっそのこと、巷にある神性(霊性)を落としまくるような唯物論的な方法でモテを求めるのはやめて、異性に関しては腹をくくって、孤独をも辞さない、気高いあり方に変えてもらいたいんですよ。

~~~~~

(追記2)
ここに引用した「世界平和の祈り」は、日本の宗教家五井昌久さんの提唱された祈りを指している。

生長の家が後付けで出してきた祈りとは根本的に違う。

一連の祈り言葉は、以下の通り。

~ 世界平和の祈り ~

世界人類が平和でありますように

日本が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

なお、完は「まっと」と中型の漢字辞典にも出ていないかなり特殊な読み方となっている。

「まっとう」あるいは「全う」をこのような特殊な読みにしている。

読みを全部平仮名で書くと以下の通り。

~ せかいへいわのいのり ~

せかいじんるいがへいわでありますように

にっぽんがへいわでありますように

わたくしたちのてんめいがまっとうされますように

しゅごれいさまありがとうございます

しゅごじんさまありがとうございます

内容的には、地球人類だけではなくて、実質的に宇宙に広がるありとあらゆるものの調和と安寧を願う祈りなので、内容は法華経の一念信解(いちねんしんげ)とほぼ等しいと言えるだろう。

世界平和の祈りは、一念信解のような面倒くさい、細々と分けたしかめしい理屈をこねていない分、はるかにわかりやすく、すっきりとした祈りと言えるだろう。