206_地道な運命好転の方法3(蛇足)

以下は、直接的な「地道な運命好転の方法」の利点に関する話ではない。

その点をあらかじめご承知置き頂きたい。

今回は、いわば蛇足なので、人生の処方箋としての「地道な運命好転の方法」だけにしか興味のない方は、ここでこのページを閉じて下さい。

お時間の無駄になると、申し訳ありませんので。

以前、 ( おぶなより ) の、 ( 065_お断り - おぶなより ) で世界平和の祈りを皆さんにおすすめするに当たって、個人的に感じている、五井先生にかかわる個人的に気になる矛盾点などを書いたように、ここに書いた「地道な運命好転の方法」についても、無条件に手放しで、このやり方を絶賛するだけでは済まない、と思っているからだ。

もちろん、私の知識や理解力が至らないために、様々な誤解などがあるとは思うが、とにかく、私として感じていること、考えていることを、隠したままでいるのは嫌なのだ。

やはり、神様という存在を、真善美に悖らない、愛深き存在と理解する以上、個人的に疑問を抱く点や理解が及ばないことを、書かずにいることはできない。

とりあえず、感じていることを、隠したり、書かずにいることは、欺瞞になってしまうからだ。

ただ、「世界平和の祈り」は、神様を真善美に悖らない愛深き存在と理解する、そして、私達、肉体人間の本質が神様の分けられたお命と理解する限り、間違いなく理に適っていて、素晴らしい祈りだとは思うけどね。

以前、五井先生のどの本だかは忘れてしまったが、人間(肉体人間ではなく、神様の分けられたお命としての人間、つまり、霊魂魄)の命は、たくさんの輪廻転生を通して永遠だから(従って、輪廻転生の上がりまでの期間も肉体人間の寿命に比べれば、比較にならないほど長い)、(過去世の悪い因縁を果たすには)こうした長い目で見れば、肉体人間の輪廻転生における一つの人生は、ほんの短いものにか過ぎないので、極端に言えば、例え話なのかもしれないが、一生苦しんだっていい、というような話があった。

だから、運命の好転を願って、ひたすらに「地道な運命好転の方法」を試しても、一生苦しむほどの深い業、つまり、過去世の今生で果たすべき、かなり悪い因縁がある(残念ながら、私にはこのようなケースがあるかどうかは、わからない。五井先生に直接おうかがいしなければ、わからない)場合には、「地道な運命好転の方法」は、(肉体人間観に縛られ、唯物思考を抱く私達には)徒労に(感じられることに)なりはしないか、という問題だ。

もちろん、「地道な運命好転の方法」は、たくさんの輪廻転生を通して、過去世の悪い因縁を解消していきながら、良い因縁を新たに積んでいくことには違いはないので、私達、個人個人が、あらかじめ神様から授かった、たくさんの輪廻転生を通した天命を果たしていく上では、明らかにプラスであることには違いないから、「絶対的な良策」とは言えるのだが。

というのも、私達ほとんどすべての人は、悟りを開けない、すなわち、人間は神様の子供である、その本質は、神様そのものである、とはわからないから、上記のような輪廻転生の上がりまでの長い何回もの肉体人間としての人生があるとは、真からは感得できない人がほとんどだと思われるのである。

つまり、悟りを開けないと、(顕在意識の)心の本音の部分では、
人間は、五感に感じることができる、この肉体人間だけが人間なんだ、
だから、人間は霊魂魄=霊なる人間=真実の人間だ、とは思わず、
人間とは今生だけだ、肉体が死んだらそれでおしまいなんだ=人生は 1 回コッキリだ(=肉体人間には、過去世もなく、来世以降もなく、今生しかないんだ、生まれ変わりなんかないんだ、輪廻転生なんか作り事のデタラメだ)、
としか感じられない人が、唯物論者をはじめとして、いまだ圧倒的大多数を占めていると思われるからである。

神様や輪廻転生や霊魂を感得できなくても、話を聞いたりして、頭の中だけで何となく信じている状態では、悟りを開いたような人とは違い、「地道な運命好転の方法」を信じるには、一抹の不安が残ってしまうのである。

五井先生は、
「必ず、もう、これね、 3 年なり、 5 年なり、 10 年なり続けたら、必ず変わらないことありません。
絶対に変わるんです」
とおっしゃっているし、そうした信者さんの実例も、たくさんあったからだとは思うのだが。

上記の一生云々の話が「例え話」か、「そうしたケースが実際にあり得るのか」を、五井先生に直接におうかがいできない以上、わずかではあるが、こうした疑問が残る。

もちろん、「地道な運命好転の方法」が上記に述べたように「絶対的な良策」であることには違いないのだが、今生中に、それも、年単位で時間がかかるにしても、なるべく短い期間で済まないと、悟りを開けず、肉体人間観に縛られた私達は、挫折してしまう可能性があるように思うのだ。

(過去世の因縁も踏まえた)相当な世界平和の祈りに対する信心が抱けないと、挫折してしまう可能性が考えられるのである。

その意味でも、すでに世界平和の祈りをされている方々には、こうした迷いを抱く可能性がある人のためにも、より一層の世界平和の祈りをお願いしたいのだ。

いまだ、世界平和の祈りに託すことに、迷いを感じるような人々のためにも。

閑話休題

ユーチューブの五井先生の質疑応答を聞いていると、指導者というのは、大変だなあ、とつくづく思う。

失礼ながら、質問者さんの中には、やたらと話が長く、何を言っているのかわからず、明らかに要領を得ないような質問を、モタモタとしている人がいたからだ。

私は、単細胞で短気なので、正直、聞いていてイライラさせられることがたびたびあった。

せっかく、五井先生が限られた貴重なお時間を割いて「さあ、質問があったらして下さい」と質問の内容を自由に選ばせて頂いているのですよ。

その場で、突発的や場当たり的に考えた質問ではないにしろ、もう少し質問内容を要約して、他の聴衆(信者さん?)もたくさんいるようだし、誰にでもわかりやすく、間違いのない、簡潔に内容を絞った質問をするべきなのです。

つまり、もっと事前に質問を、考えに考え、煮詰めた上でするべきだし、上がり性の人なら、質問内容を忘れてもすぐに対処できるように、あらかじめ質問内容をまとめた文書なりを持参してから質問をするべきなのですよ。

それなのに・・・と思わされた質問者の方がいました。

聞いていて、何ともモヤモヤして仕方がなかった。

それでも、五井先生は、決して質問者の発言を遮ることはせず、質問内容の全容がわかるまで(そして、おそらく会場?の方々にわかるまで、質問者本人の気が済むまで)は、ひたすら黙って質問する人の話を聞いていた。

やはり、信者さん、もとい、人間を傷つけまい、痛めまいとする、五井先生の優しさがあらわれているように感じた。

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(追記)
お読みになられた方の中には、よりによって、こんな押し詰まった時代に、(数年以上も時間がかかるなどと)何を今さらのんきなことを・・・と思われる方もいるかもしれない。

まあ、それでも、肉体人間観を度外視すれば、輪廻転生を通した私達の命は永遠だし、善因を積み重ね、悪因をできる限り減らすようにしていくことは有意義なので、あえて取り上げさせて頂いた。

それに。

世界平和の祈りによって、個人の想いを浄める、ひいては、人々の集合意識としての想いの世界の幽界を浄めることは、この世に生じてくる可能性のある不幸や災難を少しでも軽減することにつながるから、やらないよりはやった方が絶対にいい。

また、神様の命という、永遠の生命を通した中での、輪廻転生における各人生を活かすという視点に立てば、世界平和の祈りを伴う、「地道な運命好転の方法」を始めるのに決して遅すぎることはないからだ。

私は以前から ( おぶなより ) で世界平和の祈りをお願いしてきたが、世界平和の祈りそれ自体に、元々「地道な運命好転の方法」が含まれることになるので、 世界平和の祈りを、わざわざ運命好転の方法と名づけることはしなかった。

なぜなら、神様の世界をこの地球上にあらわすことが、神様のみ心であるとするならば、世界平和の祈りの信仰により、各人の人格を向上させ、神様の本質をこの肉体人間上にあらわしていくための努力を重ねていくことそれ自体が、自ずと世界平和のためになり、各人の運命の好転につながると考えられるからだ。

ただ、つい最近ネットで、悩み事、中でも、容姿で悩むケースについての関係した話をいくつか見かけ、同時期に、ユーチューブでもこれに対する五井先生の具体的な対処方法のお話を聞いたという交錯が、偶然にも重なった(些細なことではあるが、これも偶然ではなく、過去世の因縁だったと思われる)。

しかも、この「地道な運命好転の方法」は、世界平和の祈りの信仰の仕方それ自体も、より具体的にわかりやすく説明してあると思ったので、ご参考になればと思い、書かせて頂いた次第です。

なお、・・・。

これは念のための補足だけど。

いくら、世界平和の祈り一念の信仰をしながら生きていくといっても、容姿や身長や顔形が整形手術のように劇的に変わることではないよ。

五井先生の言われているように、(そうした生まれつきの生得的な身体的な特徴や成長とともにあらわれてくる身体的な特徴の基本は、やはり、過去世の因縁で、あらかじめある程度定まって変えることはできないから、そうした基本はそのままに)その人の人間として醸し出す雰囲気も含めて、相手に与える印象などが知らない間に少しずつ少しずつ良い方向に変わっていくことだと思うよ。

だから、皆さんには、世を拗ね、人を恨み、神様を呪いたくなるほど厳しい状況におかれようとも、何とか世界平和の祈りで気持ちを取り直して、前向きに気持ちを切り替えるように努めながら、地道に、辛抱強く、粘り強い生き方ができるような強い人に、神様を信頼した不退転の気持ちが持てるようなたくましい人になって頂きたいんですよ。

従って、魔法のように外見なら外見が外科的な手術で劇的に変わるという話とは違うものだと思いますよ。

もちろん、すべての元は波動である、想いである、という考え方に立てば、徐々に徐々に外見が変わる可能性はあるのかもしれないが、やはり、急速で劇的な変化はないのと違うかな。

例えば、女性でも、純粋な顔形は普通でも、話してみるとすごく魅力的だな、と感じる人と、逆に、同じ顔形が普通でも、何て嫌な人間なんだと嫌悪感さえ抱かされる人がいますよね。

自然に醸し出す雰囲気も含めて。

そういった形で、違いが出てくると思いますよ。