業想念のるつぼがとても多いな。
コマーシャル、興味本意、渇望の垣間見える物欲しげな内容。
そんなものが溢れ返る中、ネットでも力まずに肩の力の抜けた無心な作品は秀逸。
お釈迦さんが生きていた時代のように、表立った人物が、真理を話して、人々を導き得た時代は、非常に幸せだったのかもしれない。
現代は、明らかにこうした単純な構図が通用する時代ではない。
残念ながら、そうとしか思えない。
通用させる可能性を持つ者がいるとすれば、それは何者にも侵されない絶対的な力を持つ者しかいない。
それこそ、元祖魔人ブウ(界王神達を吸収しない元々の小柄な魔人ブウ。ただし、悪の心をなくしたという条件つき)のような不死身な者にしか、世の中を思うがままに良くしていく、つまり、世直しをしていくことのできる者はいない。
もはや、こうした想像を絶する怪物(?)にしか、表舞台に立って、世の中を良きに導くことのできない時代になってしまっているからだ。
歴史を動かす人物?
少なくとも普通の肉体人間では、こんなことは到底かなわない。
こうしたことを期待するのは、単なる幻想にしか過ぎない。
そうとしか思えないな。
とっくの昔に、社会の中枢の隅々まで組織化が行き着いてどうにもならないからさ。
もうだいぶ前からそうでしょ?
少なくとも私達がこの世に生まれるかなり前、ずっと前からそう。
江戸時代よりもさらに前からのね。
歴史における個人の役割は、自己を投影して英雄主義(ヒロイズム)に浸るのが大好きで、ロマン好きな男の嗜好にはよく合致するんだろうね。
最近は歴女もいるし、ロシア人女性ユーチューバーさんにさえ歴女がいるくらいだから、こうした傾向は男だけには限らないか。
彼女達だってそれまでの輪廻転生の中では、何回も男として生きてきたんだろうから。
しかし、ロマンに酔っていると、残念ながら冷徹な現実が遠のいていく。
どんなにひどい現実でも突き詰めるなら、受け止めるしかない。
ただし、そんな現実を追求して実態を明らかにしたところで、PDCA( Plan Do Check Action )よろしく解決することなんかできやしない。
こうした条件下で、唯一、確保しうるのは、各自の内心の自由しかない。
それに気づけるかどうか。
成り行きを見守りながら、努力をするしかないな。