005_読解

女の人はなぜにときめく恋をしたがるのかな?

自分の旬の時期が限られていると考えているからなのかな?

特に若い時に。

恋に焦がれる、恋の炎を燃やす機会があれば、特に旬と思われる時期を逃したくはないからなのかな?

なぜかな?

愛する人と情熱的な恋をして結ばれたいから?

そうすることが愛情の確認手段だから?

愛する人の子供を産みたいから?

それとも、紆余曲折を経ても、どんなに恋に翻弄されても、恋に命を燃やしている充実感を味わい、それが人間、特に女として生きている実感になるから?

わからないな。

ただ。

こうした機会が転がっていれば、黙ってやりすごさずに、何らかの行動に打って出る人は確かにいる。

「私はこんなに美しいのよ、こんなにきれいに咲いている可憐な花なのよ」

と男性目線からすれば、かなり控えめでわかりにくいアプローチや表現をしてくる人がいるからだ。(*1)

私は、たまたま、女性の心理を多少は読めるからわかるのだが、大抵の男の人は、ほとんど気づかないような、かすかなアプローチが大半なのである。

あなた、そんなほのかなアプローチじゃあ、大半の真面目で誠実な、女性を人として尊重できる本来の結婚相手にふさわしい男には理解することはできないよ、わからないよ、気持ちは届かないよ、というものが多いのだ。

こうした好意を寄せられるであろう男性は、悲しいことに、鈍いのかどうかわからないが、せっかくのチャンスを逸してしまうことがほとんどだと思われる。(*2)

話がそれた。

女性はそうした自らの好意をアプローチや表現といった行動に移す前に、やはり、男性の値踏みというか、判断をしている。

当たり前だよな。

世の中には、誰彼構わずやみくもに体の関係を結ぶ、常軌を逸したメチャクチャなヤリマンの女性もいるようだが、やはり、恋愛に重きを置いた交際では、妊娠・出産の可能性を切り離すことができない以上、女性としてはやたらに危険を冒す訳にはいなないのが原則だからだ。

今はコロナのせいで誰も彼もマスクをするのが当たり前になってしまったが、こうなる前は、そうでもなかった。

花粉症やごく限られた理由のある人だけがマスクをするのが一般的だった。

私もよくマスクをしていたのだが、一時期ようやく外せるようになったことがあった。

やっと煩わしいマスクから解放される、と思ったのもつかの間、またこんなコロナのせいで、再びマスクをする羽目になってしまった。

しょうがないな。

やれやれ。

ただ、その時も含めて、女性の反応から、その心理を読む手がかりを感じたものがあるので、そのいくつかをご紹介したいと思う。

真面目で誠実ながらも、女性心理に疎い男性に読んでもらえれば幸いです。

1.心からの嬉しそうな笑顔など

女性はある意味で天才だと個人的には思っている。

演技の天才だ、と。

だから、建前や作り笑い、ひきつった笑いはもちろんのこと、内面を隠した平静を装おった笑いはお手のものだ。

しかし、心からの嬉しそうな笑顔や、はにかんだ笑顔、顔や肌が一時的に紅潮した(=顔全体や、首から下の肌の露出している部分が瞬間的にサッと赤くなる・赤味がさす)場合や、唇が震えた場合、思わず引き出された子供のような無邪気で自然なリアクション(これらは、いずれも、女性が自らの意志の力で制御することができない反応)があった場合は別だ。(*3)

こうした場合は少なくとも嫌悪感は抱いてはおらず、ある程度の好感を抱いてくれているのは間違いないだろう。

2.自分の本当の素顔を見せる

世の中には自らのスッピンを彼氏に見せたがらない女性の話もあるが、女性は本当は自分のありのままの姿、特にその顔を、自らの思いを寄せる男性に受け入れてもらいたい、認めてもらいたい、と考えているようだ。

だから、マスクを常用していた女性があえてマスクを外した素顔を見せ、普段メガネをかけていた女性があえてメガネを外すという行動に出る。

「今まで世間一般的に警戒していた時(?)とは違い、あなたには警戒心を解いて、私の本当のこの美しい素顔を見せるわ、いや、あなたにこそ、この私の美しい素顔を見てほしいの、認めてほしいの」という行動に打って出るのだ。

これの逆バージョン(?)もあって、普段メガネをかけた姿を、絶対に他人に見せなかった人が、メガネをかけてくる場合もある。

「誰にも絶対に見せなかった、私のメガネ姿は、あなただけには見せるわ、私はあなたを心から信頼しているのよ、だから私を受け入れて」と。(*4)

しかし。

こうした態度にあらわされたメッセージを読むことができるのは、チャラい女性経験をかなり積んだ相当な遊び人のような男性くらいしかおらず、それ以外の一般的な男性には、ほとんどいないのではないか。

だから、大半の男性はこうした女性の働きかけを見過ごしてしまい、みすみす、恋愛のキッカカケを逃すことになっている可能性があると思われる。

3.距離感で読む

男性のアプローチの仕方が直情径行型で、視線や言葉をはじめとして、体のあらゆる器官が女性を志向しやすいに比べて、女性の場合は、はるかに回りくどく、わかりにくく、婉曲的なアプローチをしたり、表現をとるのが一般的である。

ただし、唯一(?)わかりやすいのは、女性の男性に対する距離の取り方だ(足の向き云々っていう心理学の話もあるが、要は距離だと思うよ。足が向いている時にはそもそも距離が近いことが多いからね)。

男は頭脳で考え、女は子宮で考えるなどとギリシャ・ローマ時代からの言い伝え(?)があるのかもしれないが、女性は常に無意識的に妊娠・出産が念頭にあるためか、危険を回避する傾向にあるのだろう。

つまり、最終的には落命につながる可能性を完全に捨てきれない妊娠・出産には、望まない妊娠・出産はできる限り避ける、ということ。

こうした危険回避行動(女性にとってのリスクマネジメント)が根っこにあって、男性の選別に結びついている、と考えられる。

霊性の開発されていない肉体人間(ここでは女性)である場合には、優秀な遺伝子を選別して引き継ぐということよりも、まだまだ、自己保存が優先事項ではないか、と考えられるためだ。

つまり、極端なことを言えば、やたらめったら違う男の子供を次々に産んで、母体としての自らを危険にさらすことはしない、できない、ということ。

だから、無関心だったり、心理的に抵抗感のある男性には、かなりの距離を置くことが多い。

逆に、自分が気に入った、心では惹かれている男性に対しては、意外なほどに大胆に距離を詰めてくる場合がある。

それもすぐに身体が触れるほどに。

真っ正面に対峙(明らかに 45 cm 未満。ただし体は至近でも視線や顔だけが正対しない場合)したり、斜めから張り付くようにしたり(これもかなり近距離)、斜めや真横から背中を向けながら近づいたり。(*5)(*6)

まあ、相手の男性に、凶暴性や暴力性といった危険がないと判断した場合だけなのかもしれないが、それにしても、表面はおとなしそうだったり、お堅い感じの立ち居振舞いの女性が意外なほどに大胆な行動に出る。

これは、やはり、男性にありがち(?)な理詰めの判断による行動ではなくて、動物的な本能、もっと言ってしまえば、あたかも子宮が指揮命令系統を統括して行動しているかのような錯覚を覚えるほどの行動に見える(男の視点から見るならば)。

従って、かなりの距離を置かれているな、明らかに避けられているな、という場合には、潔くその女性を諦めてしまうか、自分を磨いて、また再び巡ってくるかもしれない次回に備えておくしかないだろう。(*7)

まあ、彼女の天命がまっとうされることだけを祈り、あとは未来永劫無縁にするくらいのつもりがちょうどいいと思うけどね。

以上、私的に考えられるいくつか女性心理の読み方をごく簡単に触れたが、こうしたことがあったとしても、やはり、世間一般的な恋愛の仕方はあまりおすすめしたくない。

あくまでも、世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行から導かれる成り行きに任せるやり方をおすすめしたいからだ。

それに、女性慣れしていない一般的な男性は、こうした反応があれば喜び勇んでコトを性急に運んだ挙げ句、大失敗する可能性がきわめて高いと思われる。

それに、せっかく女性が抱いてくれていた好意をも、霧散させてしまっては悲しく、むなしくもなるからね。

加えて、婚活女性や女性一般の悪口を言い立てるのも、言っている人ご本人の因縁因果を悪くすることにしかならないので、賛同できない。

いつまでも彼女達の悪口ばかり言っていたり、批判にこだわってばかりいることは、ある種の反動形成に他ならないからだ(つまり、批判や悪口を延々と言い続ける真意は別にあることが裏読みできてしまうということ)。

こうしたものは、世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行に昇華させることの方がはるかにいい。

というか、そうすべきである。

他人を口汚く罵る批判や悪口は、人としての悪い想いと行いであり、これはすなわち、輪廻転生を通して各人の人生に悪い結果しかもたらさない以上は、良いものとは言えないからだ。

だから、できうることならば、各人の因縁因果をほんのわずかでも改善するようにあり方を変えるにことにこしたことはない。

私達は神様の命を生きているのだから。

~~~~~

(*1)女性は誰しもが、「自分は美しい」と心の底では自己肯定感を抱いている、と個人的には確信している。

承認欲求の前に、そもそもこの大前提があるのだ。

女性は恋愛に対しては本質的に受け身なので、男性に抱いた好意をあからさまな態度や言葉にあらわすことはまれだ。

恋愛に対して真摯であればあるほど、この傾向が強くなる。

つまり、恋愛に対して、ひたむきさ、真剣さ、純粋さが増すほど、否応なしに女性としての本質があらわれてきてしまうのだ。

だから、彼女達が好意をほのめかすように、言葉や仕草に出すサインとしてあらわした微妙な(=男からすればかすかにしか気づくことができない、わずかな)態度や反応から、その女性の気持ちを男性側が読み取らなければならず、男からすればきわめて手間がかかり、面倒くさいことこの上ない。

女性としては、
「私はこうして貴方に賽を投げているのよ、さあ、応えてちょうだい」
「私のこの気持ちに気づいて」
というつもりなのかもしれないが、ハッキリ言って煩わしい。

何でもっとはっきりと、真っ正面からグイグイとこないんだよ、と思わされるが、まあ、ほとんどの女性の一般的な習性だから変えるのは無理なんだろうな(特に日本の女性は)。

自分から好意を抱いた場合には、露骨な態度に出るのははしたない、がっついているようにみられたくない、という、乙女心による羞恥心(=恥じらいの気持ち)が働いてしまうのだろう。

だから、「私の女心をわかってほしいの」という婉曲的な(=まわりくどい)サインの出し方は、女性の特性だから仕方がないのかもしれないが、こうしたやり方は男側からすれば、簡単には気づけないし、見抜けないし、わからないし、もう、本当に面倒くさくてしょうがない(ある程度慣れるとわかってくるが、ああしたサインは普通のまともな男性には簡単にはわからないとしか思えないのだ。まあ、女性脳はデータの並列処理らしいから細かく面倒な回り道のやり方も簡単に導き出すことができるのかもしれないが)。

とはいえ、おそらく女性の中の大多数の人が、自らの好意を相手の男性に伝えるやり方として、こうして回りくどい婉曲的なやり方をしているのが一般的だろう(なお、ここでは周囲の誰にでもわかる(従って、どんな鈍感な男性でも気づく)ような形であからさまなボディタッチをしてきたり、いかにもといった形で身体を寄せてきたりのような、相手の男性を尊重する意志のまったくない、精神に重きを置かない、貞操観念が皆無に近い軽薄な女性は想定していない)。

ただ、女性の中には、その好意をほのめかすサイン(=いわゆる、脈ありサインに近い)を出す以前の、初対面時や、対面するたびに、激しく動揺する心の内が読み取れるほど、いくつかの生理的で特異な反応を示してしまう人がいる(言葉を発する訳ではない。彼女自身の意志の力だけでは制御不能な、通常では見ることのできない、いくつかの特異な生体反応が見て取れるだけだ。大げさに言うと、軽いパニクり&テンパり状態を起こしていることがわかるのである)。

多分、彼女達は、きわめて無垢なのか、あまり恋愛経験が豊富ではない(=あまり恋愛の場数を踏んでいない)か、あるいは、そこそこ恋愛経験があるにしてもかなり純粋な女性なのだろう。

男はおしなべて理屈屋が多いし(=恋愛をどうしても理屈だけで分析して考えてしまうし)、基本的に女性心理に鈍感な人が多いから(当たり前ですよ。いちいち女性のかすかで微妙な反応にわざわざアンテナを張り巡らせて読むようなことばかりなんかやっていられない男性(=普通のまともな男性)がほとんどなのだから)、このような女性の通常はあまり見られないいくつかの生理的で特異な反応(軽いパニクり&テンパり反応)に対しては、恋愛経験の少ない男性は、まったく意味が理解できないか、まれにはある程度の意味がわかって逆に動揺してしまうことになるかもしれない。

しかし、ここはあえて何事もなかったかのように振る舞い(=あえて素知らぬ顔をする=見て見ぬふりをするということ=つまり、平静を装って)、彼女とは一過性の巡り会いとして、世界平和の祈りとともに、彼女の天命がまっとうされることだけを祈って、この出会いをやり過ごし(=何もせずにスルーし)てしまうことをおすすめしたい。

彼女からすれば、取り乱した気持ちを読み取られてしまったかもしれない、内心の動揺を気づかれ(=悟られ)てしまったかもしれない、と不安定な心理状態になっているかもしれないが、それには一切かかわりなく(=それは一切無視して)、こちら側からはあくまでも祈りの光を投げかけることだけに徹するのである。

彼女とそれなりの縁(=それなりの過去世からの因縁)があれば、いずれは何らかの形で否応なしに再びかかわることになるだろうし、そうでなければ、一見(いちげん。初めて会うこと。初対面)で別れてしまうことになるだけだ(もちろん、出会ってすぐのナンパでのセックスやワンナイトラブなどは論外である。厳しいようだが、霊性(神性)という観点から見れば、ナンパによるセックスやワンナイトラブは、最低・最悪な行動に他ならないからだ。従って、ここでいう一見には含まない)。

間違っても、彼女の内面の感情を暴き立てたり、好意を白状させるように仕向けてはならない(だから、わざわざ「どうしたの?」などど野暮なことを言ってはならない。素知らぬ顔で気づかないフリをして黙っていること。従って、彼女につられて動揺してしまってもダメ、ニヤけてもダメで、あくまでも平静を装うようにする)。

そうして、彼女のプライドを傷つけないようにして、守ってあげるのだ。

一見で別れはするけれど、それでも私は貴女を大事にするよ、という形で。

もちろん、こうした気持ちをいつの日にか彼女に理解してもらおう、などと未練がましい気持ちも一切持たないこと。

良いいこと(=神様のみ心に適った良いこと)は、後で気持ちを理解してもらおう・報われようなどと、その結果に固執しては、気持ちを理解してもらえない・報われない場合に、不平不満による業想念を抱き、良かれと想ってしたことが、却って台無しになってしまうからだ。

良いことは(=神様のみ心に適った良いこと)は、(いまだ悟りを開くには程遠い私達には)やりっ放しで忘れてしまうくらいでちょうどいい。

そして、こちら側の思いやりは内に秘めて、黙っているようにするのである。

彼女には、こちらのあまりの無反応ぶりに「(私の気持ちや、思わず出してしまった反応にまったく気づかないなんて)なんて鈍感でつまらない男なの!」と感じさせることになってしまうかもしれないが、これでいいのである。

彼女にこのような怒りと落胆を感じさせることになってしまった場合には、その責め(=彼女の想いを乱し、それによって生じる悪い因縁)を、世界平和の祈りと守護の神霊様への感謝行をすることによって、すべてこちら側が引き受けるようにすればいいのである。

これでいい(理由は省く)。

そうして、あくまでも何事もなかったかのようにやり過ごす(=何もせずにスルーする)。

つまり、こちら側としては、あえて愚鈍な男を演じることで、自ら好意をあからさまにしないという女性特有の体裁(プライド?)を保てるように配慮してあげるのだ。

そうして、輪廻転生を通して生じる可能性がある悪い因縁の一切は、あくまでもこちら側が引き受けるつもりで、世界平和の祈りと守護の神霊様への感謝行をすればいいのである。

そして、彼女の想いも乱したことも踏まえると、彼女の天命がまっとうされることと、彼女の守護の神霊様に祈りを捧げておくことが必要になるね。

これでおそらく、因縁因果的には完璧(=輪廻転生上、悪い因縁が残らないという意味)になるはずだから。

ということで。

冷淡にする訳ではない、興奮する訳でもない、ただただひたすら、おだやかになるように、世界平和の祈りとともに心を鎮めるように努めて対処するのである。

そして、心の中で、

「じゃあ、お元気でね。さようなら」

こう、告げる。

私はこれでいいと思っている。

とはいえ、いきなりこのような対処をするのはさすがに無理があると思うので、もしも機会があれば、それなりに経験を積んで、このような対処を癖のようにして身につけていくしかないな。

ただ、相手の女性をそれなりに尊重して大事にするためには、あらかじめこうした対処法があることを知っておいてほしい、と思ったのでね。

まあ、一般的には滅多にない機会なのかもしれないが、もしもこうした機会に遭遇した男性には、是非ともこのように対処してほしいと切望している。

以上は、一見(初対面)で、女性の通常はまず見られることのない、いくつかの生理的で特異な反応(=端的に言うと良い意味での軽いパニクり&テンパり反応)に出くわした場合の、男性としての対処法として、頭の片隅に入れておいて頂ければ幸いに思う。

まあ、そんなの嫌だ、どうしてもプラトニックな恋愛ゲーム(恋愛ごっこ?)だけでも楽しみたいんだ、という人には、無理強いはできないのかもしれないが・・・。

そんなの嫌だ、という方は、下記の (*4) 以下の内容が参考になるかもしれない。

ただ、私としては、巡り会う恋愛感情を抱く可能性がある女性に対しては、すべて世界平和の祈りで、送り出してあげるというか、スルーしていくことが本来あるべき形だと考えている。

世界平和の祈りと守護霊様と守護神様への感謝行で、すべての成り行きは神様にお任せするということです。

なお、以上書いてきたことからも想像がつくだろうが、巷で見かける、いわゆる三分法(?)も当然のようにダメですよ。

三分法(?)とは、お相手の女性を
①遊び(要はセックスだけ)までの相手
②お付き合いまでの相手
③結婚までを視野に入れた相手
の三つに分類して、お相手の女性に対処することである。

お相手の女性が、神様の分けられたお命を本質としている、つまり、神性をそなえていることを完全に無視した対処法に他ならないからだ。

まあ、人間誰しもが、接する相手に段をつけて対応の仕方を変えるのが普通だから、あくまでも、万人に対する態度を変えないのは、簡単には守ることができなくても(ましてや異性に対しては余計に)、肉体人間の本質が神様の分けられたお命である以上は、接することになる相手は、その人の中に神性を見いだし、誰に対しても態度を変えない、つまり、尊重するのが原則ということです。

で。

世間には、
どうしたら女性にモテるか、
どうしたら女性と恋愛することができるか、
もっと言えば、
どうしたら女性とのセックスにまで
確実にたどり着くことができるか、
というようなハウツーが溢れ返っている中で、何をバカなことを言っているんだコイツは、と思われるかもしれない。(*1ー1)

何でわざわざ滅多に訪れない、しかもよりによって(恋人としての女性獲得の)絶好のチャンスを逃すようなことを推奨するんだよ、バカじゃないのか、コイツは、と。

頭がおかしいのか、コイツは、と。

ひょっとしたら、こうしたことを書いた人は、公の出版物でも、ネットでもいなかったかもしれない。

だから、私は一般的にはかなりの変わり種だと思われてしまうだろうな。

しかし、これも私固有の条件と実体験、そして、五井先生の書物から学んだことを応用して考え、導き出した結論(五井先生の書物にはこうした内容はまったく書かれていなかったが、おそらくその心とされるであろうところを私なりに勝手に拡大解釈して、これを無理矢理に援用して導き出した結論)だ。

せっかくはてなさんがありがたくもこうした機会を与えて下さっているので、一人の個人的な考えとして記しておく。

特に霊性の観点から物事をとらえることは、五井先生の本に出合うことがなければ、決してできなかったと思っている。

だから、そのきっかけとして、五井先生の「神と人間」(白光出版)という本を無償で下さった若い優秀な女医さんには、本当に感謝している。

話がそれた。

肉体人間の本来あるべき形として、自分も相手の女性も大事にして、お互いを尊重し合える恋愛をしたいと思うならば、これが最適で、霊性にも適う、ということになる。

優れた容姿にに飽かして、カネや権力に飽かして、無分別に女性を求めるのは、霊性には適わない。

もちろん、女性についても同じことが言える。

恋愛で主導権を握ることが多いからといって、これにあぐらをかき、何でもかんでも男性に奉仕させるのが当たり前(=無意識にセックスと妊娠・出産を絶対に優位な条件として盾にとっているからだろう)だとして、身勝手な男性の選り好みをしたり、男性と同じく肉体人間として神様の分けられたお命を頂く同じ神様の子供として尊重して協力し合って人生を歩んでいく姿勢が皆無の、わがままし放題な態度(このわがままな態度の究極の形が傾国の美女)は、霊性には適わないからだ。

セックスにしても、妊娠・出産にしても、霊性という観点から見れば、男女がともにお互いを尊重し合い、その愛情を深めて、その結果として神様から授かった命をお互いの協力によって、この世に生み出し、そして育んでいくのが本来の意義となるはずだ。

どんなに生理・妊娠・出産の負担が大きくても(男性には後々別に多大な負担が課されるから)子孫を残し、育てていくのはあくまでも男女の共同作業なのだ。

つまり、女性に生まれついたらと言って、自分が相手の男性を選べて当たり前、と尊大かつ傲慢な姿勢をとることは、霊性には適わないのである。

肉体人間の本質が神様の分けられたお命である以上は、肉体をまとい、自己保存の本能などの様々な制約を課されてはいても、その神様の分けられたお命をあらわす生き方をしていくのが、肉体人間としての本来のあり方だと考えられるからだ。

という訳で、男性・女性ともに、後から振り返って、本当に恋愛ができてよかったな、と思えるためには、自分も相手も大事にするこうしたやり方をおすすめしたいのである。

(*1ー1)巷の男性に対するモテ指南を見ると、ハッキリと言い切っているものは少ないが、要するに、ほとんどが最終的に女性とセックスをすることが目的だろう。

フロイトみたいになってしまうが、意識的にしろ、無意識的にしろ、恋愛において男性が女性と一緒にいたい、付き合いたいという根本的な動機は、セックスを抜きにしては考えられない場合がほとんどだからだ(特に家庭をつくり、長く暮らしていくことを前提にしていない場合は)。

従って、男性は女性のように恋愛の過程そのものをじっくりと楽しむことはあまりないと思われる。

それほどに男性の性衝動は強い。

しかし、女性の性衝動も広く深い形で(おそらく男性以上に)強い。ただ、オブラートに包まれて露になっていないだけだろう。

ただ、女性は体力や腕力、権力でどうしても男性に敵わない場合がほとんどだから、そうしたこと(性欲が強い)が考えられたとしても、過去世の因縁がどうしようもなく悪い場合は仕方がないかもしれないが、そうした悪い因縁を少しでも避けるためにも世界平和の祈り一念の生活をしながら、御身第一で慎重に行動して頂きたいのである。

残念ながら、お人好しの男性ばかりの世の中ではない以上、その保身には細心の注意を払って頂きたいのだ。

だから、あまり女性の本質に関するこうしたことは言いたくないし、女性ご自身でも、もう少しご自身を律して、場合によっては危険を伴うかもしれない奔放な性行動はできるだけ控えて欲しいのである。

最近の自己承認欲求のために簡単にセックスをしてしまう女性が多いのは、旧来慣習としてあったであろう固い貞操観念の箍を外す体のいい言い訳ができたと解釈することができるが、男性に比べるとセックスと恋愛に求めるロマンがはるかに多くついてくる(だからお相手の容姿に求める水準が高い)のが違っている。

とにかく、女性にはもう少し自らの身の安全を第一に、もう少し慎重になって頂きたいのである。

~~~~~

(*2)私がここで想定したことは、希望的観測というか、もしかしたらファンタジーかもしれない。

女性一般が、イケメン、金持ち(コネ含む)、生まれつき女性にモテる、あるいは、育った境遇から女性にモテる男性以外は、そんなにはモテないのかもしれない。

正確なところはまったくわからない。

しかし、女性のみんながみんな、ガールズちゃんねるにイケメンキャーキャーと書き込むような、人間のうわべしか見ることができない浅はかな女性ばかりではない、と思うのだ。

フツメンでも何でも、人柄や才能や熱意などに打たれて、男性に惚れることは十分にあると考えられるのだ。

だから、このように書いた次第である。

~~~~~

(*3)「思わず引き出された子供のような無邪気で自然なリアクション」は、瞬時の突発的で不自然さがない反応だからすぐにわかるよ。

これが脈アリ詐欺のように、普段からの営業トーク(?)的に使われている反応だと、ほんの短い超一瞬ではあるが、リアクションの前に「間」があるので、違いがわかってしまうのだ。

「とっさの反応」と「相手を思うがままに操ろうとする反応」には、明確な違いがある、ということ。

ごまかせたつもりになっている女性も、世の中にはたくさんいるのかもしれないが、わかる人間には違いがわかってしまうものなんだよ。

~~~~~

(*4)彼女達にしてみれば、それなりの意気込みというか、意を決した上での行動だと思われるので、ここでお相手の男性がかなり鈍くてまったく気づかずに無反応だったり、女性が期待したような反応がないと、おそらく彼女達を落胆させるか、心変わりに結びつく可能性がある。

なので、お相手の女性にもよると思う(強度の精神不安定(いわゆるメンヘラ)だったり、著しく貞操観念の低い女性の場合は除くなど)が、それなりに意を汲んで優しく、そして、できれば的確に誉めて差し上げるのが礼儀のようにも思えるのだが・・・。(*4ー1)

からしたら、きわめてわかりにくく、理解し難い行動だが、コトを荒立てたり、みなまで言わなくてもわかってよ、とする、女性特有の行動原理ゆえに、致し方のないことだと考えられる。

(*4ー1)とはいうものの、その女性がひそかに自慢にしている(=心の中に自慢に思っている)顔なり、スタイルなりの容姿の美点を見つけ出すのは、容易ではない。

アゴの形(=ライン)が気に入っているとか、耳の形が気に入っているとか、男からするとちょっとしたことだったりするので、よほどお目当ての女性を注意深く観察しておかないと、わからないのですよ。

だから、お目当ての女性のひそかに自慢したがっている外見上の美点を見つけ出すのも、ほとんどの男性の場合、普段からのそれ相応の訓練が必要となると思われる。

面倒くさい(と言っちゃいけないんだろう)けど、その女性を気に入って心から喜ばせてあげたければ、1 分(かほんの一瞬?)で、女性のひそかに自慢したがっている外見上の美点(最低でも 1 点以上、できれば 3 点)を見抜く訓練(=普段からの心がけ)が必要になってくる。

ツボにはまれば、かなりの効果がある(*4ー2)と思われるが、その女性のひそかに自慢したがっている容姿の(=外見上の)美点を見つけ出す作業を、やるかやらないかは読まれた方次第(この話はマミ先生の動画にはなかった。さすがのマミ先生も女性という当事者なので、これは盲点だったのかもしれない)。

やっぱり、男性と女性は、同じ肉体人間とは言え、かなり違った特性がありますね。

(*4ー2)いくら女性は、自分は美しいという自己肯定感が強いといっても、ただやみくもに(=漠然と)、そう思っているだけでは現実味がない。

従って、ご自身が鏡を見るなどしながら、普段から自らの外見上の美点探しをしているので、ある程度は女性ご自身でもこの美点をきちんと把握しておかないと、現実味がないことになるの。

もちろん、漠然とした「私は美しい」との思い込みはあるけれど、その具体的な確証となる根拠も鏡を見るなどして、普段から探しているということ。

女性は男性に比べて具体的なものにはるかに強く執着する性(さが)を持つから。

だから、もしも男性から、女性のひそかに自慢にしたいと思っている美点を、ズバリと射抜かれた(=指摘された)場合には、相手の男性に対して、「この人は、私の美点を本当によくわかってくれている」と深い信頼感を抱くことにつながるので、効果があるというワケ。

やみくもに(=漠然と)美しいとか、かわいいというのではなくて、ある程度真心を込めて見ていかないと、なかなかわからない美点ではあります。

ただし、今のセクハラやイチャモンつけで、やたらめったらうるさく言い立てる女性(=ツイフェミさん)がいる、やっかいなご時世では、いきなりこのように美点を指摘すると、当の女性から却って警戒されたりする可能性があるので、誉める(=指摘する)には、時宜を慎重に見定める必要があります。

面倒くさいけど、不用なトラブルを避けて、女性に安心感を与えるためには仕方がありませんね。

~~~~~

(*5)さすがはマミ先生。

先生のお話の通りです(特に 3 番目)。

私がマミ先生を優秀だと判断したのには理由がある。

彼女の大抵の動画は、巧みに編集を組み合わせて作ってあるように見える。

文脈が切り替わるたびごとに化粧やヘアスタイルや服装が変わっているものがあるからだ。

別に撮った動画を巧みに、しかも、きわめてスムーズにつなげて作ってあるように見える。

しかし、動画の中には割合と落ち着いていて静かで(?)、もしかしたら、明るい洗面所かトイレ(?)という所で撮ったのかな?という動画がある。

これは、動画の切り貼り組み合わせは少ないようで、マミ先生としては、比較的落ち着いてゆっくり目に話されている。

このゆっくり話しているのが、ほとんどつっかえずに、淀みなくスムーズなのだ。

その瞬間、その瞬間で、きちんと内容を整理しながら系統だてて話すことができている。

いわば、切り貼り編集のほとんどない、話っぱなしな訳です。

そこでも、彼女はきちんとスムーズに話すことができている。

これを見て、ああ、やっぱり、この人は頭がいいんだな、優秀なんだな、と思った次第です。

~~~~~

(*6) 3 番目の斜めや真横から背中を向けながら近づいてくる女性の行動は、お目当ての男性から声をかけやすくするような状況を、女性の方から作っているんです。

表立って、わかりやすく、明白な恋の働きかけというか、とっかかりを作る決断は、あくまでも男性からさせるように仕向けているんですよ。

シングルタスクというか、単純思考に偏りがちな男性からすると、女性の方から声をかけてくるか、あるいは、女性の方から、真っ正面からグイグイ来て好意をアピールしてくれれば、はるかにわかりやすくていいのですが、決してそうはしてくれない(できない?)。

真っ正面からぶつかって、積極果敢に当たって砕け散ることだけは、絶対に避けたい(=自分から積極的に出て、失恋して傷つくことは、絶対に避けたい)ということなのか?

それとも、呼び水のようにして、声をかけやすくする(=誘いをかけやすくする)状況を作ることで、いわば、網を張って待ち構えているということなのか?

いずれにしても、こうした女性の行動様式は、(マミ先生の言うところの)意識的・意図的なものというよりも、むしろ、個人的には、半ば無意識的なものであると感じます。

(無意識的なものだからこそ)実に、お見事(!)と言えるほどに高度に計算しつくされたかのように見える。

(無意識的なものだからこそ)婉曲的な手法としてみると、すさまじく完成度が高い。

さすがマルチタスクの妙手(=女性)だけあって、完成品(行動)のレベルが半端ない。

主として、シングルタスクに偏りがちな男性には、およそできそうもない、もってまわった用意周到なやり方です。

まどろっこしいことが嫌いで、忍耐強くない(?)男性には、まず、できない芸当としか思えません。

よくこんな手の込んだ間接的なことができるな、と思わざるを得ない。

これでも、女性側としては、かなり頑張ったアプローチとなるのでしょうが、このような恋愛の駆け引きの仕方を見ると、やっぱり、女性の恋愛に対する本質はあくまでも受け身なんだな、と改めて思わずにはいられませんね。

「私はこうしてあなたに賽を投げているのよ、あとはあなたが私に応えてちょうだい、それがあなたの果たすべき役目なのよ」と言わんばかりの・・・。

自ら好意を抱いた男性に対しては、あくまでも、男性側から声をかけてきて欲しい、男性側からハッキリと好意を示して(ひいては告白して)欲しい、男性側から求められたい、と。

ここには、きわめてまわりくどい、女性の恋愛に対する婉曲的な手法(姿勢)を見てとることができます。

この行動を強いて押しとしてとるならば、周辺状況を固めながら、間接的な働きかけをして押してくる、となります。

本当にまわりくどい。

これが、主として直情径行的で、恋愛に対してわかりやすいアプローチをする傾向のある男性とは、決定的に異なる点と言えます。

私は、男性側の視点から解説しましたが、女性側からの視点からの解説で、より詳しいことをお知りになりたい方は、マミ先生の動画をご覧になられることをおすすめ致します。

私は一応、このケースを脈アリ前提で書きましたが、マミ先生によると、(男性の好意の好きバレによる)試し行為、脈アリ詐欺である可能性もある、とのことです。

女性は男性からモテる、主として自分の外見的な魅力を認められることが、何にも増しての大好物ということで、これを確認することで自らの栄養分とするらしいのです。

そうして、栄養をつけて、自信をつけることで、来るべき本命男性に備えるということらしいです。

以前書きましたが、女性としての(主として)外見的な魅力度を、確認したくてたまらない、確認しないではいられない、女性特有にそなわる業みたいなものですね。

いずれにしても、女性側の視点からの詳しい解説は、マミ先生の動画をご参照下さい。

マミ先生は、立て板に水で、流れるように、しかも、理に適った話を、超高速で話されるので、ちょっと理解が大変になるかもしれませんけど。

~~~~~

(*7)実は、厄介なことに、好きだからこそ、女性の感情がかなり揺れて不安定(ご機嫌←→不機嫌を交互に繰り返す)になるために起こされる、あたかも不機嫌で怒っているようにさえ見える、強烈な好き避け行動(?)といったものまでもがある(!)のだが、これはかなりの高段者(?)でなければわからないほどに読み取りが難しいと思われる。

幸い、この話はマミ先生の動画にあったので、それをご参照下さい。

しかし・・・。

生理と妊娠、そして出産という大変なお役目を(神様から)託されているためかどうかはわかりませんが、その精神と肉体に及ぼす影響の強さからか、男性に比べて女性の方がこうして情緒不安定になりやすい嫌いがあるような気がしてならないですね。

だから、エスコートなどの表面的な優しさに、どうしてもほだされやすい弱みがあるような気がしてならないんです。

こうした点が、チャラい男性やヤリモク男性のつけ入る隙になっているような気がして仕方がない。

悪い言い方で申し訳ないんだけど。

日本人的な神性というか、霊性の視点から見ると、一般的な女性はこうした小手先の見せかけだけの思いやりに、チョロまかされてしまっているんですよ。

本当の思いやりや、自然に女性を大切にする態度だというなら、本来なら自然ににじみ出る、何気ないようにできなければいけないはずなんです。

少なくとも、マニュアルで覚えて云々なんていう付け焼き刃的な思いやりではない。

そうでなければ、おかしいんです。

あえて言いますけどね。

本当に女性思いの男性は、女性の遅い歩みに合わせず、スタスタ先に歩いてしまっていくような人ですよ。

実際、こうした家族思いの男性を私は知っています。

男性としては、気が利かないし、女性心理にも疎いし、およそ、女性をチヤホヤする待遇をするには程遠い人です。

しかし、これ見よがしの、いかにもといったやさしさは見せないけれど、家族を支えようと一生懸命な人です。

日本人には、こうした男性が多いような気がするんですけどね。

同時に、こうしたことをわかっていない(西洋かぶれの?)女性が、日本人には多いような気がするのが、何とも残念なところです(わかって、ちゃんとお相手の男性の内面を理解している女性は素晴らしいですけれど)。

~~~~~

(追記1)
これ、書こうかどうか迷っていたんだけど、この際だから書いてしまおう。

私は上記に、軽いパニクり&テンパり状態を起こす女性のことを書いたが、こうした態度を示さない普通の女性(?)の場合に、相手の男があまりにも手応えがない、あるいは、無反応だからしびれを切らしたのか、または、この男はあまりにも鈍感過ぎると思ったのか、婉曲的な言葉や態度に始まり、身体の物理的な距離を詰めてくるだけではなくて、性的なアピールまでをもしてくる女性がいる。

具体的に言うと、胸(要するに乳房のこと)を強調する、あるいは偶然を装って胸を揺らして注目させるような行動を起こしてくる女性がいるのだ(なお、このテクニックを駆使するのは何も巨乳の女性だけとは限らない)。

私はわざと気づかないフリをして、その後の態度を一切変えなかったから、さぞかし、彼女達は私に呆れ果てて、失望したことだろう。

「なんなのコイツ!」

「私のこんなけなげで可憐な気持ちにまったく気がつかないなんて、なんて鈍感で、バカな男なの!」と。

でもね。

こうまでして回りくどい努力をするくらいなら、やっぱり正面からはっきりと気持ちを言ってほしいんだなあ(女性一般の習性としては無理なのかもしれないが)。

やっぱり、無理か。

・・・。

まあ、こうした女性心理を読めても、そのことはおくびにも出さない。

何事もなかったかのように、平穏にやり過ごす。

愚鈍でつまらない男と思ってもらえれば、それでいい。

これが俺の行くべき道。

一見の(やほぼこれに近い)出会いがあれば、世界平和の祈りとともに、彼女達を送り出してあげるだけ。

ただそれだけだな。

まあ、こうしたことからわかるのは。

女性は、自ら思いを寄せる男(はたまた自分の女性としての魅力度を測る目安になる男?)に対しては、
マスクやメガネをかけた人が、あえてマスクやメガネを外し、自分(女性)の素顔を見てもらいたい、
すなわち、
自分の本当の美しい素顔を認めてもらいたいと思い、
あるいは、
誰にも見せなかったメガネ姿をあえて見てもらいたいと、自らの男に対する強い信頼感をあらわしたり、
または、
無関心な他人からジロジロ見られたくないであろう胸でさえも、誘因としてあえて魅せようとする、(*8)
ということがわかる。

つまり、女性は自分の思いを寄せる男(はたまた自分の女性としての魅力度を測る目安になる男?)に対しては、
自分の本当の(素顔の)美しさをわかってもらいたい、
自分の本当の姿を知ってもらいたい、
自分の女性としての性的な部分を含めた本当の魅力をわかってもらいたい、
といろいろと婉曲的な(=まわりくどい)アプローチをしてくるということ。

まあ、あえて斜に構えた見方をさせてもらうと。

さしづめこのような女性は、自分の(主として外見的な)魅力度を測るための絶好の機会が巡ってくる(=こうした自らの魅力度をはかる格好の男に出会う)と、「女としてのスイッチ」が「 ON 」になるんだろうな。

そうして、この世に女性として生を受け、自らが主演の「女優」として生きていく実感を得られる、またとない機会(自分を投影して疑似体験して楽しむ映画や小説やアニメなどの架空の作り物や他人の物語ではない、他でもない自分自身が主役となって実地に演じる舞台というか、フィールドワーク?)だから、自らの魅力度を試さずにはいられないのだろう。

他の誰でもない、自分自身が人生の主役を思う存分演じることができる、またとない絶好の機会となるのだから。(*9)

というのも、(これはあくまでも私的な仮説だが)女性には、この世に女性として生まれた以上は、その魅力度を試す絶好の機会があれば、それを試さずにはいられない女性特有の業(マグマ?)みたいなものがあるように思えるからさ(こうしたマグマの気持ちが端的にあらわれているのが、歌手やグラビアモデルやアナウンサーを含めたアイドル志願、AV までをも含めた女優志願だと言えるだろう。彼女達は、神様が与えて下さった肉体人間にそなわった女性特有の優美さを唯物論的に使わないではいられない人達なんだろうな)。

まあ、とはいっても、これは一時的なもので、魂の底からの本気ではないのだろう。

それはともかく。

これらの女性のアプローチは一種のボディランゲージ(身体言語)みたいなものだから、根が質実剛健で真面目で地道な人が多いと思われる日本の男性には、ほとんどわからないとしか思えないんだな。

中途をすっ飛ばして結論を言うと。

だから、巷にあるテクニックまみれのモテ指南の唯物論でジタバタしても、神様のみ心に適わない限り、結局は輪廻転生を通した因縁因果を悪くすることにしかならないのだから、場合によっては因縁因果を超える可能性をも含んだ世界平和の祈りをして、神様(この場合は守護の神霊様)にお任せするのが、結局は最適だということになると思うよ。

~~~~~

・一見~いちげん~初めて会うこと。初対面。特に旅館や料理屋などで、客として初めて店に来ること。
(用例)一見の客。

なお、ここでは、初めて会うこと、初対面という意味で一見を使っている。

・おくびにも出さない~考えていることを隠して、決して口に出さない。それらしいそぶりもみせない。

~~~~~

(*8)これは、女性が相手の男性の気持ちを惹(ひ)きつけたい場合に行う、性的なアプローチの一例です。

このアプローチは、男性は性欲が強い人が多いことに鑑みて、ここにピンポイントに働きかけることで、男性の気持ちを揺さぶって、男性の(性欲を含んだ)好意を発動させようという目論見に見えますね。

話は変わりますが、巷には巨乳の女性やスタイル抜群の女性が、あからさまに自分のその女性としての性的な魅力度を強調するような格好(ファッション)をしている場合がままありますね。

これは彼女達が、こうした女性の性的な魅力に(老若男女を問わず、特に男性が)否応なしに惹きつけられることを(無意識にしろ)十分にわかっているからでしょう。

でなければ、一歩間違えれば危険と隣り合わせのこんな格好をするはずがないからです。

しかし、だからといって、彼女達が好意を寄せてくる可能性がある男性の愛情を必ず受け入れる可能性があるのかというと・・・。

答えは否でしょう。

自分の女性としての身体的な魅力だけは、思う存分、世間にひけらかしたい、そうして、女性の性的な魅力を含めた自らの自己承認欲求を満たして、肉体人間としての女性美を崇められたくて仕方がないんですね。

これが、こうした刺激的な格好をする彼女達の本音でしょう。

しかし、自らの恋愛対象となる男性は、厳しく選別して、お眼鏡に適わない男性を徹底的に拒絶するのが、彼女達のあり方でしょう。

誰にでも、選択の自由はあるから、当たり前と言えば当たり前ですが、随分、身勝手に見えますね。

なぜなら、自ら好意を抱かない無関心な男性は、自らの女性としての性的な魅力を認めさせるという、虚栄心と自己承認欲求を満たすために、徹底的に利用することはしても、いざ対峙した恋愛となるとまったく相手にしないのだから。

つまり、自らの虚栄心と自己承認欲求を満たすために、賞賛(?)は許すけれども、近づくことは絶対に許さないということなのだから。

やはり、かなり身勝手ですよね。

ギブアンドテイクではなく、お付き合いなどの実質的なギブは一切なしで、テイクばかり求めるのだから。

とにかく。

やはり、現在の世の中が、危険と隣り合わせである可能性がある以上、恋愛対象外となる男性に余分な性的な誘因を振り撒く刺激的な格好をするのは、ある程度は控えた方がいい、ある程度は控え目に表現した方がいい、と考えられるからです。

「魅せるだけはとことん魅せて、優越感には思う存分に浸りたい、だけど、受け入れるのは別よ」という態度を罷り通らせようとすのは、現在の世の中ではまだまだ安全とは言い切れない側面があるからです。

霊性がある程度開発されていて、こうした女性達に対しても、一線を画し、何も動じることなく、穏やかに平穏に、何事もなかったかのように対処できる男性がほとんどいないと思われるからです。

しかしまあ、神様がせっかく与えて下さった、女性に自然にそなわった特別な優美さも、あんな風に飾り立てて、性的な魅力ばかりを強調している、えげつないありさまというのは、およそ神様(仏様)の子供としての、あるべき境地からは程遠い、何とも残念なことではありますね。

こうした女性達には、説教の類いはおよそ無効であるばかりでなく、業想念を生じさせる分、却って有害にしかなりませんから、ご自身の身の安全と将来の女性としての自然にふさわしい格好に守護の神霊様に導いてもらうためにも、是非とも世界平和の祈りをして頂きたいものですね。

~~~~~

(*9)一般的な女性には、人生の主役を女優として演じるなら、こうしたものだけに止めるだけにして、AV に出演することだけは、絶対にやめてもらいたいのだが、現状の有り様では、どうしようもないみたいだね。

もう、世の成人女性の誰がいつ、AV の世界に入ってもおかしくない、というような錯覚を覚える昨今の感じに見えるから。

自分で納得ずくで出るなら、自業自得な側面もあるのだろうが、そうでない場合もあるのだから、もっと御身第一に、慎重にして、アイドルなどの芸能活動には慎重になって頂きたいんですよ。

本来なら、この世で巡り会い、添い遂げるお相手のためにあるはずの魅力を、その他の一般的な人に芸能などを通じて売り出すという旧来のやり方自体が、霊性の進歩という観点からすると、とうとう(ようやく?)崩壊すべき時期に来ているのかもしれない。

芸能で売り出す、夢を売るのは、演じる方も、見る方も、霊性が開発され尽くしていないと、どうしても問題が起きてくると考えられるからだ。

とにかく、世界平和の祈りをしていくしかないね。

~~~~~

(追記2)
この ( 005_読解 ) を書いてから久しぶり( 2 年ぶりくらいかな)にユーチューブでマミ先生の動画を見た( 2023 年 11 月)。

マミ先生は、エンターティナーとしては、相変わらずとても面白いし、昔見ていたテレビの人達よりも頭の回転が早いとは思うけれど(以前よりなんかしゃべりの当たりが柔らかく、言葉の端々が少し丸くなったような気がした)。

元から思っていたことなんだけど、いくら女性が欲しいからといって、いくら人生のパートナーが欲しいからといって、こんな感情任せで気難しく、わがまま放題の女性を獲得する意味が、果たして本当にあるのか?と考えてしまうんですよ(マミ先生は、講義対象としている女性をかなり人格的に美化しているが、それでもかなり「わがままだ」と感じざるを得ないからですよ)。

マミ先生の講義は、面白おかしくはあるし、微に入り細を穿ったかなり懇切丁寧な解説だとは思うけれど、やっぱ結構面倒だな、と感じることも多々あるんですよ。

というのは、そこから感じ取れる女性特有の難しさ、すなわち、あまりの女性の扱いにくさ、わかりにくさ、素直に本音を出さない面倒くささに、そして、人としての信頼感の築き難さに、「あんたら、本当にわがままも大概にしろよ」と、キレてしまうような気持ちになるんですよね。

確かに女性は、神様から人類の命脈をつなぐために、男性とは比較にならないほど、生理・妊娠・出産という、身体への大きな負担を強いられるから大変です(男のお前なんかに私達の大変さがわかるもんか!といわれそうだけど)。

しかし、だからといって、家庭を築くのも何もかも、本来なら男性と女性が互いを尊重し合って、労り合っていく共同作業のはずなのに、何でそんなにあなた方ばかりのワガママを罷り通さなければならないのですか?と感じざるを得ないんですよね。

仮に世の中が女性に甘く対処しても、それを、ただ、ただ、無条件に受け入れるただけてはなくて、それなりの気高い矜持を保ってほしいんですよ。

特に 100 年程昔と思われる明治や大正時代の赤ん坊を背負った、今からみると信じられない程の重労働である家事を担っていた(昭和初期や終戦直後もおそらく同じ)女性の映像を見たりすると、今現在の女性はどれだけ恵まれているか、はかりしれない。

それなのに、現代の女性達は、自由の謳歌に余念がなく、わがままを通している。

その上に、こんな手間暇をかけさせられ、気を遣わされ、金と時間を使わされるなら、いっそのこと、こうした唯物論的なやり方なんかやめてしまった方がいいし、その方が楽だ、と。

たとえ、女性という伴侶が得られない、という結果になるとしても、一途さや、神様のみ心に適った生き方をした方が、よほど悔いが残らない、と。

こうしたマミ先生のような唯物論的な手法では、女性の性格や人格に問題がある限り、(今生では)未来永劫女性に振り回される人生に終わりがない。

マミ先生には悪いけど、こんな思いをさせられるくらいなら、女性獲得も何も意識しない、すべて神様へのお任せの、本当に悔いの残らない、霊性の開発を主眼に据えた生き方の方が、はるかにいい、と。

そんな気持ちになりますね。

要するに、こうした唯物論的なモテ指南を見ていると、男性にとっての女性という「伴侶獲得」や、ともに支え合って人生を生きていくための「子孫存続」という大義名分があるとはいえ、あまりにも男性が至れり尽くせりで、下手に出ざるを得なくなっている状況を見せつけられているような気持ちになって、バカバカしく感じてしまった訳なんですよ。

ここまでしないと、普通の男性は女性を攻略することができないのか、と。

やはり、人間にとって本当に大事なのは、人と人との信頼と、ありとあらゆることに(つまり、神様に対する)感謝だと思うんですよ。

今の唯物論的なモテ指南は、この本質を外してしまっている。

それに、もしもこうしたモテ指南が、女性の性の奔放さを容認するものだとすれば、これはすなわち、まだ見ぬ相手男性の互いに支え合い、気持ちを通わせたいという男性の気持ちを、端っから傷つけることを黙認していることになる。

つまり、極端なことを言えば、女性が自分という男の前に他の男と遊びまくってきた(?)というのは、自分という男と出会う前から、付き合う前から、信頼関係を構築するのを放棄している、ぶち壊している、と考えられるのですよ。

私は、以前、ハートカフェなどで、女性をことのほか悪く言う男性達の批判や罵詈雑言を見るにつけ、その背後にある怨嗟と哀しみの感情が裏読みされてならなかったからです。

やはり、人としての信頼関係をあらかじめ踏みにじられたところから、改めての愛情の構築はしたくない、という彼らの感情の裏読みができてしまったんですよね。

これじゃあ、彼らだけに限らず、地道で真面目な、草食系の男性は嫌気がさして、モテを頑張ろうと思わなくなるのも無理はない可能性が出てくる。

いくら、その努力の果てに得られる果実(?)があるものだとしても。

いくら女性を獲得できたところで、結局は、どうしても、いくばくかの空しさが先に立つ。

だから、彼らは女性の処女性にこだわり、いつまでもいつまでも批判をやめないのではないか(でも、自分がお相手となるであろう女性の処女性にこだわる以上は、当然、自分も性の純潔を守らなければならないことになるけど、果たして彼らの実態はどうなっているのだろうか)。

そう感じたんですよね。

ただ、( 011_気高い - おぶなより2 ) を読んでもらえば、ある程度の想像はつくと思うけど、本来尊ぶべき性行動を踏みつけにして、自分勝手で奔放な性行動に走ったことの報いを(原則として)来世以降に受けるのは、他ならぬ、性に奔放な彼女達(とその相手をした男性達)自身なのですよ。

性に奔放な彼女ら(彼ら)は、そんなことはまったく意に介さないか、(輪廻転生を通した中でも)あえて逃げ切れる(ヤリ逃げ可?)と思うからこそ、罪悪感を薄めて、奔放な性行動に走りまくっているんでしょうけどね。

もちろん、伴侶がどうしても欲しい方は、世界平和の祈りとともに、守護霊様、私の天命成就のために伴侶が必要なものならば、どうか良しなにお導き下さい、と願えばいいことなんですけどね。

唯物論的に、どんなに自分だけが上手く立ち回ろう、いかに自分だけが甘い汁を吸おうとしても、過去世から決まっている因縁因果のくびきははずせない。

ならば、自分の想いと行いを、可能な限り良いものに整えて、後のことは世界平和の祈り一念で、神様(=守護の神霊様)にお任せしましょう、ということです。