025_振れ

私達日本人はおおむねお人好しだ。

普通には、好い人ばかり。

世に出回る情報を素直に受け取る。

アレ? ということがあってもあまり深く追及しない。

いや、本当はもう、深く追及すること自体が、かなり厄介だと無意識にわかっているのかもしれない。

だから、かすかな兆候にあえて目をつぶり、不安を払拭しようとする。

そうすることで、つかの間の平穏を保ちたいと考えているのかもしれない。

ましてや、巷にある日本バンザイの上げ(アゲ)情報づけに、催眠術のように慣らされてしまうと、まったくわからないことがあるようになってしまうのだろう。

しかし、もうすでに、ずっと前の、とうの昔から詰んでしまっている。

この世が環境破壊や無機質な外観の都市風景になって一見して整えられてきたことはともかく、日本が外国人の方々に称賛されるように、ここ最近になって、いろいろと各方面で底上げされてきたのは、市井の人々の、あらゆる物事に取り組む、真面目で真摯な姿勢があったからこそ、だろう。

しかし、違う角度から見ると、まったく違う景色が見えてくる。

とはいえ、因果律が絶対のものとすれば、残念ながら、どうあがいても逃げ道はない。

神様のご加護が頂けるものならば、少しでも頂くようにして、何とかしのいでいくしかない。

自分だけがうまく立ち回ろうとするのは、後ろめたさもともなうし、どうしても業想念は免れないからだ。

自分だけが逃げ切れればいいのか?

霊性が多少は開けてきた人は、この良心の呵責に苦しむことになるだろうからだ。

ならば、因縁因果を少しでも各自が地道に改善していくより他はない。

そうなると、やるべきことは、この因果の壁を乗り越えていけるように、少しでも小さな努力をするしていくしかない。

ユーチューブを見ていると、それを理解していない人がかなり多いような気がする。

こうした現状を鑑みると、日本に好感を持ち、愛着までをも持ってくれている、お人柄の良さそうな外国人のユーチューバーさん達の動画での笑顔を見るたびに、何とも言えない、やりきれない気持ちになる。

やはり、自らの因縁因果を悪くしないで、ひいては、人類の因縁因果にほんの少しでも悪影響を残さずに、運命の改善を願うこと。

やはり、祈りしかありませんね。

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように。
私達の天命がまっとうされますように。
守護霊様ありがとうございます。
守護神様ありがとうございます。