とあるところで見たお話。
家事はスイッチ一つ。
→停電や機械の故障や電池の流通が止まったらどうするの?
外食もコンビニもいつでもどこでもある。スーパーの存在もある。
→食品の安全性は本当に大丈夫ですか?
毎週キャバや風俗で若くてきれいな女をとっかえひっかえできる。
→神様のみ心に適わないことはなはだしい。
神様は、何のために私達をこの世に遣わしたの?
何で、有限の命になり、しかも、人間を男性と女性に分けて、世代を引き継がせていく形になったの?
何で私達の人生は主として過去世の因縁を清算するための修行になっているの?
享楽三昧、放蕩三昧するために、神様は私達を生かしているの?
・・・。
こうした言い分をみていると、必ず、共通していることがありますね。
できること、やれることは、何でも当たり前。
当たり前が崩れることに思いを致さず、敬意や感謝がないということ。
謙虚さがないということ。
やっぱり、批判はよろしくありませんね。
業想念しか招かないだけではなくて、現状認識もきちんとできていないから。