030_後悔

後悔。

男性でも女性でも、後から異性に対する好みが変わり、逃がした魚は大きいなんてやっているが、それ、ただ愚痴なだけなんじゃないの、という話がある。

さも教訓話のように、あの頃の自分を叱ってやりたいとか、あの頃の自分に言ってやりたいとかもっともらしく言ってるけれど、未熟者だったから道を誤った、後悔している、なんて話をいくつか見たことがある。

若い頃は魅力を感じないけど、ある程度年齢を重ねたら、真面目で堅実な人をって、要はこれ、ただのご都合主義じゃないですか。

なぜ、結果を受け止めないの?

自分で選んだのではないですか。

未熟者だろうが、何だろうが、やってどうなるかは、誰よりも自分がよくわかっているんだから、言い訳しない方がいいよ。

元来、未熟者なんかいない。

過去世でよほどの悪行三昧をして、まともな判断力を著しく制限されて生まれつかない限り、誰だってちょっと考えればわかることばかり。

そうやって未熟者であることを盾にして、自らの選んだ道を仕方ないもののようにしているけど、本当なんですか。

わかっていたはずですよ。

しかし、それには頬被りをして、好きなことをしてただけなんじゃないの。

後悔は先に立っている。

わかってたんですよ。

自分だけは違う。

自分だけは絶対にああはならない、という傲慢な思い込みに屈服させられただけなのではないですか。

克己心が足りなかったんですよね。

それに物件って何ですか?

価値って何ですか?

人間は物じゃないんですよ。

神様のお命が直接に入っている。

人間を物に見立ててしか語らないなんて、感謝がないことの何よりの証拠だね。

ご縁に対する感謝、すなわち、神様に対する感謝があれば、人間に対して物件なんて言葉は間違っても使わない。

価値なんて言葉も絶対に使わない。

唯物論の正当化論議なんか、いくらやっても、所詮は業想念しか招かない。

しない方がマシですよ(霊性上は)。

もう甘んじて、結果を受け入れましょうよ。

ただし、黙って。

黙して誰にも一切語らずに。

これも修行だと思って。

一時期にせよ、それなりに自分の楽しみを享受したのだから、いいじゃないの。

淡い夢を見ることができただけでも、恵まれていたんだよ。

だから、あまり贅沢を言いなさんな。

愚痴っても、前向きにはなれないのだから。

(特別な人以外は)未来はわからない。

ただ、これからは、言い訳しないで済むように前向きな努力をしていきましょうよ。

宿命は決まっていても、努力は誰にでもできるのだから。