065_話06(努力開始)

勉強もできず、トロい上に、喘息まであった私ではあるが、何とか人並みに、人並みとはいかなくても、中の下くらいに運動能力を高めたいと思った。

しかし。

私の父は、短距離こそ、それほどではなかったらしいが、丈夫でスポーツ万能だったらしく、水泳もかなりできた。

それなのに、私にはちっともその素養は受け継がれていない。受け継がれている傾向があるのは遅い短距離とガニ股と高めの背と人より長い腕丈による速めの平泳ぎだけ(父はばた足が下手な私と違い、自由形(クロール)がメチャクチャ速かったらしい)。

母は体が弱く大病や大手術をしてきたが、短距離だけがダメで、運動はまあまあだったらしい。

父も母もきわめて真面目で、とても仲が良かったので、二人の子供であることは、間違いないと思うが、それにしてもなあ。

母は女性にしては、背が高めだったらしいので、背が高めのところ以外は、両親の良くないところ(短距離苦手で病弱)を引き継ぐというのもなんだかなあ。

ちなみに、両親は喘息はないが、父方の祖母が若い頃に喘息があったそうだ。

だから、私の喘息は隔世遺伝(?)らしい。

で、高校になって、運動部に入ってみたが、実質的に練習についていけない。

元々、平均以下の運動能力と体力しかないのに、運動部に入ること自体が、土台無茶だったのかもしれないが、実質的に落ちこぼれに近い状態が続き、何とか続けてはみたものの、そのうち体調も悪くなってしまったので、 1 年くらいでやめてしまった。

仕方がないので、自分の裁量の範囲内でできるジョギングに挑戦してみることにした。

元々、短距離は鈍足でダメだったので、長距離を何とかしようと思ったからだ。

毎日、早朝に 6 キロくらい。土日は、昼間も含めて、 その倍( 12 キロ )走ったこともたびたびあった。

ただ、走ったあとは、喘息の発作が起きて苦しかったが、ある程度時間を置いたら、引くことがわかったので、とりあえずは、続けてみることにした。

小中時代のように、発作が収まるまでにかなりの時間を要することがなかったので、無理にでも続けることにしたのだ。

で、学校のマラソン大会(10 キロ)に、何とか中の上くらいの成績を残せた。

やっとこさ。

今思うと、あれが元々体が弱かった自分には無理を強いたのかもしれない。

後の病気の発症の伏線になったのかもしれないと思ったりもしたけれど、まあ、仕方がない。

そんなことは、何も知る由(よし)がなかったのだから。