066_話07(満たされない承認欲求)

私は外見はともかく、元々、喘息のために体が弱く、運動能力も低く、さらには、勉強も中の下から上下に行ったり来たり。

何とか、一人前(?)というか、まともに近づきたくて、努力が出来るところから始めていった。

とは言うものの、順次分けてやるのではなくて、結果的に同時並行的になったけど。

私が通った高校は男女比が近かったせいか、何となくのんびりしていたような気がする。別に異性の確保に躍起になる心理でもないだろうが、女子の数がある程度多いと、無意識に競争心理が働かなくなるのかな? などとも思ったりした。

入学したての頃は、自分は中のやや下位で、地頭ではみんなに劣っているな、と感じていた。

少しして、たまたま数学と物理の計算式に興味がわいてきて、ちょっと勉強してみたら、問題を解けないながらも、取り組むのがそれなりに面白くなってきた。

そうして、無意識のような努力を続けていたら、成績がかなり上がってきた。とはいえ、自分としては、あくまでも努力の人でしかなく、地頭というか素質で成績を上げた訳ではないと考えていたので、入学当初は、自分よりも上にいた人達は、明らかに努力不足だな、と思っていた。

中学くらいまでは、地頭や素質で何とかカバーできる部分があっても、高校になると、やはり、それなりに努力をして覚えないとダメだ、ある程度の点数を稼ぐことはできないと思っていた。

その点からすると、みんな私よりも地頭がいいはずなのに、明らかに努力不足だな、と感じていたのだ。

のん気にしているせいで、せっかくの素質がまったく生かせていない。もったいないな、と思っていた。

自分と同じか、それ以下の少しの努力さえすれば、私を抜き去ることなどやすやすとできるはずなのに、と。

このことを、自分よりずっと素質がある(地頭がいい)と思った何人かの友達に話したことがあるのだが、彼らにはどうもあまりピンとこないらしく、のん気さは変わらなかった。

同じ高校に、中学時代の元同級生(以下、T とする)が別クラスにいたのだが、私が数学と物理でかなりの高得点(数学は学年トップ)をとったことがあった。

そして、その別クラスの 「 T 」と「 T の友人 」の 2 人とに教室の外の廊下で出くわしたことがあった(ただし、時期は病気明けに登校した成績発表時よりも少し経った後だった)。

その時に、(私の目の前で)その T の友人が T に向かって、
「 お前、コイツ(=私のこと)バカだと言ってたじゃねえかよ 」
と言った(言われた?)ことがあった。(*)

私自身は中の下だと思っていたが、 T にとっては中学時代の私は、バカという認識だったらしい。

まあ、元々は大昔の旧陸軍のエリート学校からの流れを汲む名門中学だったらしいから、勉強ができなければ、即バカ扱いになるのかな。

しかし、失礼だよな。

とはいえ、自分もお人好し(やはりバカか?)で、ある程度ダメな自覚もあったので、不思議にもそんなに腹は立たなかった。

ちなみに、 T はかなりバツが悪かったらしく、すぐに背中を向けてその場を逃げるように(?)去って行ってしまったな。

ただ、人の本音というのは、(たとえ中学生でも)なかなかわからないものなので、自分が一般的にどう見られていたか、の参考にはなったね。

へー、俺はそんな風(明らかなバカ)に見られていたんだ、と。

一部の勉強ができる人達以外は、十把一絡げでバカということなのかな?

よくわかんない。

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(*)トップと言ったが、それまでは科目ごとに学年全体での順位を印刷して発表していたから、そうなった。

しかし、私のような大したことのない人間がはじめてトップになったからか、こんな発表なんか意味がないと先生方が思ったのかどうかはわからないが、その後はどういう訳か、この発表はなくなってしまった(卒業までずっと)。

しかも、私はテスト直後から、病気で学校を休んでしまい、結果を数日後にやっと知ったという、臨場感のまるでない、何ともしまらない話だったんだよ。

もしも、病気にならずに学校に行けていたなら、学業での高得点による生まれてはじめての優越感に浸る経験が、級友(クラスメート)内というか校内で体験できるはずだったのに、それはなしになってしまった。

リアルタイムで経験したかったのに、それはかなわぬ夢として、知らないうちにすでに消え果ててしまっていた訳。

しかも、失礼なことに、採点した数学の教諭(中年の男性)は、私の点数を間違えて 10 点も低くつけていた( 90 点台が 80 点台にされた)にもかかわらず、私に謝るどころか、お前はできてもこの程度だと思っていたとぬかしやがった。

ふざけた人間だよな。(**)

もう発表もなくなり、病気で休んでいたとはいえ、人(できないながらも努力を積んだ生徒)の一世一代の晴れ舞台(?)を台無しにしておきながら、よくそんなことが言えるよ。

なんていやな先公なんだ、と思ったよ(業想念だけど)。

それがなければ、2 位以下の人を 20点以上も引き離したブッチ切りのトップだったのに。

高校も昔はそこそこの名門だったらしいが、私のような者が這い上がると、もうこの学校自体がダメだとでも思ったのかな?

ケチくさい、度量の狭い話で申し訳ないのだが、これはすごく嫌な腹立たしい思い出だったから、いまだに覚えている。

過去世の因縁のこの世での時を経て消えてゆく姿に、いまだにできないでいる。

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(**)私自身としては、テストがかなりできた、多分満点に近いだろうという感触はすでにあったので、発表の点数を知っておかしいとすぐに思ったし、ざっとテスト用紙を眺めても、こんな間違った採点(低い点数をつけること)をすること自体がおかしいと、すぐにわかったよ。

だから、返却された自分の答案用紙を見て、間違った採点を目の当たりにして、なんだこのおかしな採点のしかたは、と瞬時に感じたんだ。

だから、採点を担当した先公をきいて、すぐに訂正をしてもらいに行ったという訳。

本当は文句を言いたかったが、それはできないので、せめて一言「 悪かったな 」くらいは言ってもらいたかった。

それなのに、上記のように
「 お前はできてもこの程度 」、
つまり、実質は、
「 お前はテストが最高にできたとしても、せいぜい、こんな低め( 80 点台 )の点数しか取れないはずの奴だ 」
とのたまっていた訳。

だから、余計にムカついたんだ。

加えて、あれが採点者(先公)の故意の間違いでなかったとすれば、俺はあくまでも日の当たらない(?)というか、クラスや校内で注目を集めることのない運命なんだな、と思ったことも覚えている。

家族はほぼ大事にしてくれたけれど、幼少期から体外的な自己肯定感を持てずに否定され続けて来た人間にとって、はじめて抱(いだ)けるかもしれない自己肯定感への淡い期待なんか、誰にも理解できないだろうから、やむを得ないことだとは思う。

だが、しかし。

てめえの採点ミスを棚に上げて、よりによって、何も生徒の自尊心を潰すことはないだろう?

まあ、今となってみれば。

ああ、ごく普通の人や自分にとって嫌な奴(=自分にとって過去世の悪い因縁の巡り合わせの人として今生で出会う人)は、とるに足らない他人の心の内なんか、慮(おもんぱか)ってくれないものなんだな、という 1 つの学習にはなっているけどね。

人は、肉体人間観を抜き難く持っている限り、関心事は自分と自分に極力近い者の利害関係のみ。

他人のことなんか、いちいち気にかけやしないのが、当たり前なんだな、と。

だから、一般的には大したことではないと思われるようなことでも、本人にとっては、自尊心にかかわったり、大事に思っていることがあるから、奇跡的にこうした慮りをしてくれて、愛を施してくれる人に出会うことができたら、本当に心から感謝をしておくべきだね。

そうして、その人にお礼の意味も込めて(?)、世界平和の祈りとともに、その人の守護の神霊さんに祈りを捧げて頂ければ最高だ。

場合によっては、まれに悪人のような人(?)が、善意で(あくまでも絶対の善意で)情けをかけてくれたり、慮りをしてくれるようなケースもあるかも知れない(これも、やはり当事者同士の過去世の因縁によるものだと考えられる)。

それでも、感謝をすることと、世界平和の祈りをすることは、神様のみ心に適う万能薬。

だから、しておいて(霊的に)損なことや悪いことは、一切ないのだから、するにこしたことはない。

「奴」も「てめえ」も、こうした文脈では、本来使うべきではない悪い言葉なのだが、まあ、勘弁して下さい。

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・奴~やつ~①人をののしって、または親しんでいう語。
(用例)バカな奴。いい奴だった。
②「もの」や「こと」をぞんざいにいう語。
(用例)大きい奴をくれ。
③他称の人代名詞。人を軽蔑して、また同輩以下の者に親しみを込めて用いる。あいつ。
(用例)奴には敵(かな)わない。

・手前~てめえ~①自称の人代名詞。自分。
(用例)てめえのことはてめえでやる。
②対称の人代名詞。おまえ。相手を口汚くいう語。
(用例)てめえの出る幕じゃない。