071_話12(マスクと反応)

今はコロナのせいで誰も彼もマスクを余儀なくされて煩わしいご時世。

私は、コロナより前に花粉症などがあり、やむを得ず数年前からマスクをしていた。

しかし、できるならしたくない。

そもそも煩わしいし、第一、使い捨てになってしまい、お金もかかってもったいない。

ちょうどコロナ前くらいにやっと具合が良くなってきたので、ようやく煩わしいマスクを外し始めたのもつかの間、こんなコロナのせいで逆戻りされられて、ウンザリしたな。

ただ、マスクのありなしで、他人の反応が明らかに変わることがあったのは不思議だった。

(後から考えると)マスクを取るまでは様子見(???)みたいな感じの人がいたこともわかった。

マスクを外した後の、他人の表情や態度の変化から、ああ、やっぱりその人なりの審美眼を伴う独自の「判定テスト(?)」があるんだな、ということがわかったからだ。(*1)(*2)

さらには、マスクを取った完全な素顔を見ないと、その人なりの「判定テスト」=「採点」は完結しないんだな、ということも。

でもねえ、健康が第一だよ、第一。

間違いない。

健康は失われるといかにありがたいことだったかが、心底わかる。

俺は筆舌に尽くし難い、つらい思いをしてきたから、しみじみとわかるんだ。

健康であり、運動でも、恋愛でも、食事でも、その他の何かに熱中することでも、当たり前のように思うがままに享受できる境遇にあることが、どれほどありがたいものであるのか、を。

でも、こんなことをいくら言っても無駄なんだよな。

説教と同じ。

自分で健康を損ねる、しかも、原因らしきものがまったくない不可抗力のどうしようもない病気にならないと、こうしたことの意味は真からはわからないんだ。

身に沁みて味わわないと。

家族なら多少は気持ちがわかる場合があるかもしれないが、本人の身にならないと本当に真からはわからない。

自らの肉体をもって、決して逃れることのできない境遇で、厳しい魂の経験を積まないとわからないことなんだ。

だから、不可抗力のような病気でないと、治ったとたんに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、で、それまでのありがたさを噛み締めていた謙虚さはどこへやら、それが消えてしまうことがほとんど。

それに、なまじ、人間は神様の分けられたお命を本質とすることで、知恵と創造力を授かっている分、動物などよりもはるかにできることが多い。

逆に言うと、肉体の五感にまつわる欲望の最大化ばかりにかまけていると、品性が動物以下にまで成り下がる可能性があるということでもある。

こうした肉体人間の神様の子供としてのあるべき姿を求め、襟をただすには、輪廻転生を通した魂の学習はどうしても不可欠になるということなのか・・・。

もしかしたら、動物は、悟りをひらけないで生老病死に右往左往させられる人間とは異なり、生老病死を泰然と受け止めているのではないか。

そんなことを思うことがある。

・・・。

まあ、こんなことを書いても、お前は何を贅沢言っているんだ、俺の苦しさがお前なんかにわかるか、と思われる方もいるかもしれない。

しかし、本来なら業想念のままに、動物的な本能のままに、好き勝手なデタラメを享受できるはずの可能性がありながらも、本人の固有の事情と性格のために、そうはできない、涙を飲んで我慢しなければならない場合がある、ということなんだよ。

人なんて外見だけからは決してわからない、悩みや苦しみを抱えて生きていることがある、ということなのさ。

だから、俺にとっては、イケメンだ、巨乳だ、ルッキズムだ、と話に花を咲かせているのが、かまびすしく空しいものに感じられてならないのだよ。

くだらん。

何をやっているんだ、と業想念さえ抱くことがあるんだ。

ネタとしてこうして書かせてもらっているから、矛盾もはなはだしいんだけどね。

ましてや、こうした神様の分霊の本質を貶めることに躍起になっているかのごとく、動物行動や遺伝子の行動を肉体人間に援用して浮気や不倫のあり方を礼賛し(?)煽っているかのごとく見える言説には、嫌悪感を抱いて仕方がないんだ。

勉強お坊っちゃんや勉強お嬢ちゃんのお説なんか、決して万能なんかじゃない。

あなた達に実社会の何がわかるというんだ?

事実は小説よりも 奇なりで、公式化できないことなんか腐るほどあるんだ。

だから、空理空論はたくさんだ、と感じることがあるんだよ(あなた達にとっては商売だから仕方ないのかもしれないが)。

こうした人達は、肉体人間の因縁因果の厳格さ、厳しさがまるでわかっていないのではないか、と感じることさえもあるんだ。

悪いけど。

こんな気持ちは、あくまでも経験者にしかわからないことなのだがね。

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(*1)「判定テスト」というのは、次回( ( 072_話13(判定テスト) - おぶなより2 )に書いたが、人と相対した時、あるいは、その人を認識した時点で、その人の「異性を惹きつける魅力度を含めた外見的な評価と採点(?)」のことを言っている。

もちろん、男女の性別は問わない。

これはもう、誰しもが、一個人の人間を認識した時点で、無意識に行っているものである。

それがなぜ行われるかについては、個人的に仮説があるのだが、別の機会に書こうと思う。

(*2)ネットには、マスクを外すと「あなた誰?」平均10歳若返る!? マスク☆マジック恐るべし! という記事があった。

ただ、俺の場合は逆だったな。

マスクをしている時には、それなりに疑心暗鬼(?)だったのか、それとも様子見(?)だったのか、ていうか、そもそも最初っから無反応だったんじゃないの?この人ってのが、マスクを外したとたんに、完全な判定ができた(?)のか、何だかしらないが、明らかにそれなりの好意的な反応があったり、その後の対応もよい方向に変わったり。

まあ、マスクをしている時から予想が当たったのかどうか、反応がほぼ変わらない(ていうかマスクを外してさらによくなった)人もいたし、何だかよくわからない。

とにもかくにも、世の中は、何がどう転ぶかわからないな。