だいぶ前( 1 年ちょっと前 )に、 ( おぶなより ) で書いたもの ( 270_説教 - おぶなより ) を、ここで再掲する(なお、引用に当たっては、①追記: 2021/02/11 16:31 〜訂正内容〜 などの断り書きを削除して、一部内容の手直しをしている)。
托卵(たくらん)についての輪廻転生での行く末を一言書いていた。
托卵は、輪廻転生を通した長い目で見た場合には、自らの霊性を著しく落とす、愚かきわまる浅知恵にしか過ぎない。
動物行動学なんて関係ない。
神様がありとあらゆるものをおつくりになられたのだから、肉体人間にも、動物にも、共通の普遍化(?)できる真理が、動物の行動の中にも含まれているはずだ、と考えたのかもしれないが、肉体人間が動物とは異なり、霊魂魄の霊という形で、神様の分けられたお命を、肉体人間の本体として直接に頂いている以上は、動物と肉体人間を同列に扱うことは、明らかに間違っているからだ。
従って、動物の身勝手で自己中心的な行動を、肉体人間にそのまま援用することで、浮気や不倫や托卵など、その奔放な性行動に免罪符を与えようなどというのは、言語道断なのである。
私達は、肉体をまとっていても、動物のように魂魄だけでなく、霊として神様の分けられたお命である分霊を直に授かっているのである。
つまり、人間の肉体の奥の本質が神様である限り、エゴにもとづく計算ずくの托卵という行為は、明らかな愚行にしか過ぎないのである。
絶対に愚行なのだ。
そして、業想念はやりっ放しでは済まず、逃げ切れないんだよ、と言いたかった話である。
おぶなより
2021-02-11
270_説教
ちょっと、次の章(第七章 ギリシャ思想との対決ー「ミリンダ王の問い」)を個人的にもて余しているというか、まだまだ考えているので、また、息抜きします。
ハートカフェやパウラちゃんねるに対して、やや否定的なことを書いたかもしれないので、私も違った角度から、人様からの見聞などを元にしながら女性について書きます。(*1)
女性は何で恋をしなければならないのかな。
別にしなくたっていいじゃん。
恋愛が性欲の昇華したものが本質だとしても、相手はそれなりに吟味しなよ。
だからといって、別に金や権力のことだけを言ってるんじゃないよ。
彼氏を誰でもいいから欲しいなどと焦ったりすれば、それこそ、やることばかりを目的とした男達の餌食になるのがオチです。
彼らが、女性に優しく、上手にエスコートできるのは、生まれつきの特別な人を除いては、みんな後天的な努力で獲得したものに過ぎないからですよ。
そう。
明確な目的を持っているからこそ、身につけた技術なんだ。
目的の完遂のためになら努力を惜しまないんだよ、彼らは。
普通の男は、こんなものなんか持ちあわせていないさ。
しかし、こうした普通の男が女性を大切にしたくないのかというと、そうじゃないんだ。
女性の遅い歩みに合わせず、どんどん歩いていってしまうような男の方が普通なんだよ。(*2)
こうした男の方が実は家族思いだったりするんだ。
それを知らない女性や女性ライターさんが世の中にはずいぶん多いな、と感じましたね。
女性も恋愛は上書きが基本みたいだけど、ひどい人もいるからな。
恋人らしき(?)男性と一緒にいても、平気で他の男に色目を使う女性がいる。
あなた、その一緒にいる男性は彼氏じゃないの? そんな態度とったら彼氏の面目丸つぶれじゃないか、ひでえなあ、というような女性だ。
それも、一人や二人じゃない。例外的事例ではなく、かなりいるんじゃないかな、こんな女性。
そんな態度をとるくらいなら、いま一緒にいるその男性を、彼氏として同伴しなさんな。
そんな扱いではその彼氏にも失礼きわまりないよ。
その程度の恋愛関係(?)なら、そもそも、お付き合いなんかしなさんな、と思いますね。
容姿も性格も財力もひっくるめて相手を選ぶにしても、恋人関係にしろ、夫婦関係にしろ、苦楽をともにする覚悟ができたお相手(男性)とだけ、お付き合いしなさいよ。
楽しませてくれ、じゃないんです。
苦労をともにしていく人を選ぶんですよ。
私はこの人となら、苦労を厭わない、苦難をも乗り越えて見せると心底惚れた人とだけ、深く付き合うようにするんですよ。
結婚は、私はこの人(男性)の子供を産みたい、この人の子孫をこの世に遺したい、と思う人とだけにしなさいよ。
托卵なんてもっての他です。
まあ、托卵が過去世の因縁によるものでない限り、この狡い計算と行為は、輪廻転生を通してすべてひっくり返されて、来世以降に自分に返ってくる訳だから、所詮は愚かしい浅知恵にしか過ぎないんだけどね。
だから、動物、動物と人間が神様の分霊を本質とすることを、否定することしかできないような主張なんて、相手にしなければいいんだ。
そして、それなりに、尊重できるお相手以外とお付き合いしなさんな。
一時的な体裁のため、性欲の間に合わせのために、男性を確保するのはおやめなさい。(*3)
これはお相手の男性のためでもある。
お相手の男性を一個人として尊重できないなら、お付き合いや恋愛は断念する。
これぐらいの気位というか、矜持を持って恋愛に臨みなさい。
そうすれば、男性も女性に対する見方を変えますよ。
男性自身も一個人として尊重されるべき人間になろうと、真摯な努力も厭わなくなるはずです。
あなた方の脇が甘いから、女性をなめたようなひどい扱いをする男性がいるんですよ。
偉ぶってお相手の男性に様々な条件を突きつけることよりも、まずはご自身が一人の女性として男性から尊重される人間におなりなさい。
・・・。
まあ。
説教は無効なんですが、私的に説教するとこんな風になりますかね。
ハートカフェ や パウラちゃんねる に書いた否定的なことというのは、批判や説教が無効であることと、それだけでなく、真善美に悖る想いと行為、いわゆる、業想念を巻き起こすことが、ひいては因縁因果を悪化させることにつながってしまうので、悪口や批判には肯定的になることはできないんですよ。
悪口も批判も、これを聞いた女性達の行いが改まることはない、現状を改善することはない、悪口のための悪口、批判のための批判にしかならないから、肯定できないんですよ。
因縁因果として、よいものにならない。
因縁因果の唯一の改善方法は、祈りと守護の神霊さんのお浄めで、因果を修正してもらうことしかないんですよ。
だから、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をすすめているんです。
~~~~~
(*1)当時は、人様からの見聞などを元にしながら・・・としておいたが、実は自分の見聞だった。
(*2) ( 051_一端 - おぶなより2 ) にも書いたが、私はむやみやたらなレディファーストは、却って、男女お互いの霊性の尊重に適わない、と思っている。
自分とともに人生を歩む女性を大切に思うことなど、当然のことではありませんか。
わざわざ、意図的に、しかも無理にやろうとすることの方が、私には間違っているように思えて仕方がない。
あくまでも、祈りを根底にして、自然な振る舞いとにじみ出てくるようになるまで、時を待つべきですよ。
かといって、女性を粗雑に扱えというのではないですよ。
女性がハイヒールなどを履いてきた場合には、安全に配慮して、歩みを合わせることは、人として当たり前ではありませんか。
ただし、あまりにも、女性が着飾ることばかりに夢中になりすぎて、ハイヒールばかりを履いてくるといった形にはならないように、お互いの霊性を高めていく必要がある。
類いまれな縁でこの世に生まれ、類いまれな縁でこの世で出会い、限られた人生の一時を、互いにありがたさを噛みしめながら生きていく。
そのために、常に祈り、お相手の女性(または男性)の守護霊さんにも祈りを捧げる。
そうして、自然な成り行きとして、お互いが、お互いに、自然に慮(おもんぱか)るようになっていくことを目指していく。
私はこれこそが、基本だと考えています。
この世で巡り会うのは、大半が過去世の因縁によっているのだから、簡単に結ばれて、はい、ハッピーエンド、とはならないのがほとんどのはずだよ。
この世の人生の基本が、過去世の因縁を果たすという厳しい修行であることがほとんどなのだから、かかわる人とすり合わせをはかりながら、祈りを基底にして、できる限りの愛を施すようにしていくしかないよ。
ちなみに、女性の遅い歩みに合わせず、スタスタ歩いていった家族思いで、家庭を大切にする真面目な男性の話を書きましたが、その時の女性はハイヒールではなかったですよ(私はすぐ側で見ていた傍観者の立場だった)。
(*3)一時的な体裁のために男性を確保するとは、彼氏不在の体裁が嫌だから(=女としてカッコ悪いから)、彼氏に対する普段の要求水準を下げ、マッチングアプリでも、ナンパに応えてでも、とりあえず、彼氏らしきものを確保するという意味です。
性欲の間に合わせのために男性を確保するとは、性的な要求不満を解消するために、男友達でも、知人の男性でも、行きずりの男性でも、とにかく、当座をしのいで(=性的な欲求不満を解消するためのセックスのお相手となる男性を見つけて)、彼氏的なものを確保するという意味です。
この行きずりについては、ワンナイトラブだって、スリルは擬態(カモフラージュ)で、実質は要求不満解消じゃないですか?
女性は本音を隠すことにかけては、男性が足下にも及ばないほどの超天才ですから。
しかし、厳しいようですが、これらは霊性の観点から見たらすべて外れていますね。
神様とはどういうものか、その分け命を頂く私達肉体人間は、本来どのようであるべきかを、お考えになって下さい。
どういう意味を持つかはお考えになればおわかりになるはずです。
具体的に言うと、セックスという行為が、ただ快楽のために、快楽をむさぼるためだけにあるのか、それとも他に快楽をも含めた意味があるのか、ということです。
ただ、過去世の因縁でこれらの行いをする、あるいは、何となくわかっていながらも、欲求に屈してしまうこともあるかもしれません。
その場合には、事後的な処置になってしまいますが、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行があることを、覚えておいて頂きたいと切望致します。