091_亀鑑

世界平和の祈りを推奨している者にあるまじき、ひどい業想念の内容だがお許し頂きたい。

心を平らにすること。

できねえな。

私は最近非常に不愉快だ。

それは、ひとかどのご立派な社会的な成功者であるお歴々の方々が、あれが危ないぞ、これが危ないぞ、と書籍やブログやユーチューブで、生活基盤が崩れることに警鐘を鳴らしていることだ。

あなた方はいいよ。

ご精進の賜物として、そのご立派な証として、磐石な基盤とも言えるであろう、いわば、安全地帯をお持ちなのだから。

そうでない人は、どうすればいいんだ?

自分で何とかしろ?

当たり前だよな。

普通は、誰だって、他人様の責任なんてとってくれないし、そもそも、責任の取りようがないことが大半なのだから。

それ以前に、霊的なことも含めて、自分のことは自分の責任なんだから。

誰だって、自分のケツは自分で拭かなければならない。 

あれがなくなる、これがなくなる、今までにはないような大変なことになる・・・。

そのようにして、世の中が変わっていく・・・。

それはそうなのかもしれないが、大した処方箋というか、対応策が示されていなければ、こうした物言いは不安を煽るだけではないのか?

誰だって、普通は、既得権や既得状態にしがみつきたい。

現状が維持できるものなら維持したい。

どうしたって守りにまわりがちだ。

唯物論の考え方が、圧倒的大多数を占める世の中では、変化を嫌うのはごく普通のことだろう。

ましてや、あらゆるしめつけが厳しくて、生活水準の向上など望むべくもなく、おそらくみんな大変だ。

考えても見て下さい。

みんな安心を買いたいと思うから、子供を学習塾に通わせ、東大をはじめとする少しでも偏差値の上の大学を目指すようにさせている方が大半の親御さんなのではありませんか?

不安だからこそ、従来の価値観を相変わらず踏襲している。

一か八かの冒険などもっての外。

そういうことではないですか?

そんなに簡単に冒険なんかできませんよ。

ましてや、日本人はそれでなくてもおしなべて保守的。

だから。

すべては、過去世の因縁のこの世での時を経て消えてゆく姿、とパッと離せる、悟れたような人なんか、ほとんどいないはずだよ。

責任も取れない、その人、その人に沿った超具体的な指針も示せない、結果的には、ただ漫然と、大変だ、大変だ、というばかり・・・。

人生の羅針盤を示す親切心なのかもしれないが、不安を煽ることが、どうにも気に入らない。

やんわりとしたお説教が、人の性だとしても。

ああ・・・。

そんなことは、間違っても言えないか・・・。

自分も同じようなことをしていたから。

霊性を下げまくっているように見える人に、警鐘を鳴らすような内容を書いていたから。

人の振り見て我が振り直せ。

とても人様のことは言えないな。

おこがましい。

しかし。

こうした内容が、書籍やブログやユーチューブの全体に占める割合は、どのくらいになるのかな?

自分には力及ばずできないが、いずれは、いつの日にかは、亀鑑となる内容を書くことができるようになりたいものだ。(*)

それと。

こうした不安を煽りかねない(?)内容をご発信なさる、お偉い方々には、せめて、世界平和の祈りをして頂きたい。

とにかく、不安推し(?)をしていることだけは間違いないのだから、それっ放しだけでは困るんですよ。

世界平和の祈りを、是非ともお願いしたいのです。

たとえ、親切心からであったにしても、高みの見物の安全地帯から、不安を抱かせるということは、このように、他人の反発を買い、他人を不安がらせる、すなわち、業想念を抱かせることになるからですよ。

ということは、かかわる各人の霊性を下げ、人類全体としての霊性を下げることにつながる。

下げばっかりで、上げをしてもらわなければ、困るんですよ。

私は、こうした警告や忠告を素直に受け止めて、劇的(ドラスティック)に生き方を変えることのできる人がはそんなにいるとは思えないのでね。

あと、悪い予言まがいの警告をする精神世界(スピリチュアル)系の人もいるが、これも似たようなことが言える。

人に不安や恐れを抱かせることの意味合いを本当に理解しているんですかね、精神世界を扱うとしているのに。

私ははなはだ疑問に感じるんですけどね。

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(*)亀鑑~きかん~見習うべき手本。模範。
(用例)教育者の亀鑑だ。