102_祈り心4

前回 ( 101_祈り心3 - おぶなより2 ) の続き。

前回、神様が肉体人間の命を有限とするとともに、その命の引き継ぎを、有性生殖という形で、男女に分けられていて、その男女がともにお互いにひかれ合っていくのが、自然であると書いた。

ということは、過去世の因縁によって、精神の性と肉体の性が一致しない性同一性障害などの場合を除いて、男性が女性を、女性が男性を求めるのは至極当然、自然な成り行きだと思われるのだ。(*1)

だから、世間の男性で、世の一般的な女性や婚活女性の悪口を散々言っていたり、もう、あんな女性達には見切りをつけた、自分は生涯独身でいい、独身最高などとしているのは、果たして本音なのかな? といぶかしく思ってしまうのである。

趣味も含めて、すっかり、独身としての生活スタイルができあがってしまい、公私ともに充実した生活を送れているから、今さら赤の他人と人間関係を一から築き上げていくのは煩わしいし、万が一にも干渉されるのは絶対に嫌だ。ましてや、お相手となるのは、自己中心的な、「自分が世界」という世界観を持つ女性だ、と思っていたとしても・・・。

仮に、若い時に、まだ地位や金が足りていないからと、あまりいい態度を示してこなかった女性達に恨み節があったとしても・・・。

それでも、絶世の美女とまでの贅沢は言わない。ただ、心根のやさしい、思いやりのある女性と、それなりの家庭を築き、子孫を残していきたい、というのが男性としての本音なのではないか、と。

なぜならば、お相手の女性を求めて、恋愛や結婚(この制度がいつからあるのかはわからないが)をして、ともに尽くし合い、協力し合い、支え合うようにしながら、子孫を残していくのが、当たり前のように、神様によって元々はつくられているから。

そうするような意識が、自然にそなわっているはずだ、と考えられるからだ。

しかし、経済などの時代状況の厳しさと女性のわがままが強いせい(?)で、なかなか、恋愛や結婚の成就がうまくいかない。

難しい。

だから、女性に見切りをつけたかのように言っている男性は、実は、かなりの無理をしているのではないか?

内省して、自らの心に尋ねてみれば、本音は違う、と。

しかし、社会や女性の有り様があまりにも厳し過ぎるために、あのようなことを言う形に追い込まれてしまっているのではないか?

継続的で執拗な批判をしているということは、(今更何だけど)唯物論ならば、反動形成という裏読みができてしまう。

本当の嫌悪は、絶対の無関心である。

絶対の拒絶だ。

かかわりを持たない。

関心を持たない。

悔しくても、承服し難くても、感情をできる限り抑える。

批判はしない。

未練は持たない。

それらが完璧にはできないとても、なるべく、一切、かかわらないようにして、敬遠するはずである。

しかし、そうはなっていない。

それはなぜ?

ご自身の心に問いかければわかるでしょう。

以上のように考えてくると・・・。

もう、本当に厳しくてどうしようもない場合には、やっぱり、神様におすがりするしかないんじゃないかなあ。

このような理由もあって、世界平和の祈りと守護の神霊さん(守護霊さんと守護神さん)への感謝行をおすすめしています。

恋愛できるにしろ、結婚できるにしろ、離婚するにしろ、生涯独身になるにしろ、輪廻転生を通して最適なあり方をご存知の守護の神霊さんにお任せをする(*2)。

今現在、うまくいく見込みが立たないからと、恋愛や結婚に失敗した経験があるからと、異性のすべてがダメなものと決めつけて、批判や悪口をいい続けるよりは、ずっといいし、望ましいと思うんですけどねえ。

悪口や批判といったものは、どうしても、真善美に悖っている想いと行いの業想念なので、輪廻転生を通して、やはり、同じような、悪いものしかもたらしません。

悪い想いと行いが、世を隔てて循環してしまうのです。

なので、個人個人の因縁因果の総和としての世の中も、どうしても、いい方向には向かわない、ということになります。

良い想いと行いの積み重ねと同時に、祈りと感謝行によるお浄めを頂き、過去世からの悪い因果をもたらす因縁としての業想念を少しでも減らして頂く。

そうしてもらいたいんですけどねえ。

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(*1)とは言うものの、例えば、精神の性が女性で、肉体の性が男性である人の場合には、自らは女性として男性を求めていくようになるので、やはり、肉体人間の(神性にまでには届かない)大元となる女性が男性に引かれているということになる。

つまり、異性同士が引かれ合う構図になっているので、異性同士が引かれ合う本質には変わりがない、ということになりますね。

(*2)だいぶ前に、( 004_孤独 - おぶなより2 ) で書きましたけど、肉体人間としては、誰しもが本質的には孤独、独りだと思いますよ。

ただ、この世に生を受け、生きていく間に、様々な人達と過去世の因縁と今生からの因縁の綾を織り成す中で、固い信頼関係を築くことができて、艱難辛苦をともに乗り越え、喜怒哀楽をともに分かち合える人と巡り合うことができれば、この世に遣わされた神様の子供として、通じ合うことができる、自他一体感が抱けるという意味で、本当に幸せだと思うんです。

そのためにも、世界平和の祈りと守護の神霊さん(守護霊さんと守護神さん)への感謝行は、過去世の悪い因縁の少しでもの解消と、これから積み上げる良き因縁のためにも、必ずやよすがになると信じています。