101_祈り心3

( 098_祈り心2 - おぶなより2 ) の続き。

でもなあ。

( 097_祈り心 - おぶなより2 ) で、真善美に照らして、巨乳の行き過ぎた強調や顕示が見られた場合には、世界平和の祈りとともにご本人の守護の神霊さんに祈りを捧げたら、とは書いたものの、これは主として一般人向けになってしまうだろうなあ。

グラビアアイドルさんをはじめとする人達には、何のかかわりも持たずに、遠巻きに勝手に祈ることは自由だが、彼女達は巨乳を売りにしている人がほとんどなのではないかなあ。

グラビアアイドルさんに限らず、芸能関係で、若さと身体的魅力を武器(?)に、自分を売り出したい人はたくさんいるだろう。

もちろん、顔やスタイルとともに、ひそかに巨乳を売りにしている人もたくさんいるのではないかな。

こうした人達は、一般的な人達からすると、どうしても、巨乳を真善美に照らして、巨乳の行き過ぎた強調や顕示になる感じで、その魅力の要素としている場合が、ほとんどなのではないかなあ。

つまり、女性の身体的魅力が、大変強いものだから。

そもそも、なぜこんなことになるのかというと、神様が肉体人間の女性を、男性から見ても、もちろん、同性の女性から見ても美しく感じるように、おつくりになられたから、としか考えようがない。

これもまた、科学的な根拠のない、まったくの個人的な独断と偏見になるが。

そもそも、最初の肉体人間は、神様の映し身として、男女ともに美しいものだったのではないかなあ。

類人猿のようなものではなしに。

神様の映し身が、類人猿?

変だなあ。

どうしても、そうは考えられない。

それが、肉体人間として、この世での有限の命と、自分の肉体を維持し、満足させる自己保存の本能が与えられたことで、輪廻転生を通して、どうしても真善美に外れた想いと行いをしてしまうようになったために、次第にその想いと行いを反映して、容姿を落としていくことになったように思うのですよ。

つまり、元々は、私達は神様の映し身として、男女ともに、美しいものであった、と思うんです。

私達は、自然にしても、人間にしても、自ずと美しいと感じる感覚をそなえていますよね。

ああ、この人は美しい、顔も、スタイルをはじめとした身体的魅力も美しい、と自然に感じるような。

何が美しいかについては、このように、誰しもが自然にわかるような感覚がそなわっている。

理屈じゃない。

パッと見てわかる。

神様の知恵と判断能力を授かっているから、何が美しく、何がそうでないのかは、瞬時にわかる。

それに、美しいという、元々の形に近い訳だし。

理屈や分析は後付け。

唯物論なんてそんなもん(言い過ぎかな?)

もちろん、理屈でも、数値でも、詳細に説明することは可能だと思うけど、完璧に説明しきるのは、現代の科学の水準では、到底、できないのではないかな。

せいぜいのところが、何頭身やら、左右対照なシンメトリー的なものといったおおざっぱなものではないのかな?(*)

そして、神様が肉体人間の命を有限とするとともに、その命の引き継ぎを、有性生殖という形で、男女にわけておられるようになっているということは、男女ともにお互いにひかれ合うのが、自然であり、当たり前なつくりになっていると考えられるんですよ。

なぜならば、そうしないと生殖に結びつかないから。

ただ、肉体人間だけは、神様の分けられたお命を本質としている以上、神様の映し身となっている者として、他の動物などとは異なり、本質を神様とする者として、ふさわしくあるように、気高く生きることを、求められるようになっていると考えざるを得ない。

従って、浮気、不倫、ヤリモクなどをはじめとする、相手問わずの動物的な生殖本能だけをむき出しにした、あるいは、快楽を求める、征服欲だけを求める性欲一辺倒のあり方は、否認せざるを得ない。

このように考えてくると、おそらく安定して、安穏に子育てをして世代を引き継ぐ一夫一婦制が、あるべき形として考えられるんですよ。

話がそれました。

とにかく、神様は肉体人間の女性に、生理・妊娠・出産、そして、大切でしかも大変な幼少期の子育てのお役目を与えるとともに、おそらく必要不可欠なものとして、その生得的な美しさをお与えになったのではないですかね。

もちろん、これらは大変なことだから、あらかじめの労いというか、ご褒美の意味合いもあったのかもしれません。

このような感じで、女性独特の体型の美しさ、もちろん、乳房を含めた美しさが魅力を放つものとして、男女問わず魅力を感じるようにできているのではないですかね。

乳児期は、(原則として)誰もがお世話になる訳だし。

だから、女性の身体、ことに乳房は原体験も含めて尊い存在。

従って、魅力も放つし、世の人の注目も集めるし、これはやむを得ないんじゃないかなあ。

だから、巨乳を売りにする人やこれを誘因にする人は、こうしたことをわかっているような気がするんですよ。

無意識に。

男女ともに、みんなの目を引きつけることがわかっている。

だからこそ、巨乳を優位に用いたい、あるいは、私は巨乳として恵まれたのよと訴えたくて仕方のない人(?)は、巨乳を何かと強調するきらいがある。

現に、雑誌、AV、ユーチューブ、などたくさんの媒体で、見られますよね、こういう感じの人。

そして何と、最近にいたっては、元々はきちんと服を着ていて、胸元の谷間を見せなかった女性達までもが、ご自身の胸元の谷間を見せるようにまでなってきている(ユーチューブで複数見かけた。巨乳の人に影響されたのかな?季節柄にしてはちょっと早い気がするから)。

ただ、これを自らの優位に振る舞う武器(?)として、使いまくる、ただそれだけというのはどうも・・・。

それに。

肉体人間の寿命は有限です。

必ず死を迎えます。

そして、20 才をピークに、次第にその死に向かって衰えるようになってきます。

残念ながら、いつまでも、10 代、20 代前半の時のように、若くみずみずしくはいられません。

前にも書いたことがありますけどね。

人間には病気や加齢があるんですよ。

主に若い時のように、張りがあり上がっていて注目度の高い時ですら、肩凝りやそれなりの気遣いの苦労があるというのに、乳房の病気になったり、加齢により形が変わってくることまでもがあるんですよ。

だから、巨乳だけで万々歳という、単純な話にはならないはずです。

だから、とにかく、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行をして、あるべき生き方や行動の指針を、守護の神霊さんにお任せするのが、一番無難だと思うんですけどねえ。

人様の行き過ぎに見えるものについては、黙って祈りを捧げると。

これが一番じゃないのかなあ。

ちなみに。

アニメは、巨乳なり、どのように描こうとも、作者さんの裁量次第だけど、何かにつけても文句をつけて騒ぎを起こす厄介な人達がいる場合には、とりあえず、巨乳を強調し過ぎずホドホドにしておくのも手なのかもしれませんね。

ただ、一般的にも巨乳の人はたくさんいる訳だし、美形のキャラクターに巨乳を設定しても、何ら不自然ではなく、ありがちなことだとは思いますけどね。

アニメが人間の感情の思い入れを招く表現だとしても、あくまでも、その本質は作り物なのだから、あまりにも不自然だったり、違和感を覚えるものならば、拒絶(無視)すればいい。

とはいっても、巨乳の女性は現実に世の中にたくさんいる訳だし、無理に巨乳を避けるというのも、かえって不自然ということになる。

ましてや、設定したキャラクターの女性として読者を引きつけたい、見る者を引きつけたい場合には、美的な顔に加えて、巨乳を描くのは、至極、当然の成り行きに思えるんですよ。

憧憬の念も含めて。

あまりにも、超巨大なメロンやスイカが入っていて、大きく垂れ過ぎているようにたわわなのは、さすがに行き過ぎな気がしますけど。

巨乳にやたらに過剰に反応して、叩きまくる、女性のツイフェミさんみたいな人達がいるから、ホドホドに収斂していくまでの、今は過渡期なのかもしれないという気もしないでもないし。

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(*)それに、神様から頂いたお命のお陰様で、ちゃんとした直感がそなわっているんだから、ああだこうだ、細々とした分析をして、理屈をこねて時間と手間を浪費していたら、そのうちに馬鹿馬鹿しくなってくると思うよ。