105_道

前にインターネットやユーチューブで様々な情報に触れることができるようになって、情報開示が進んだことを、おおむね肯定的に捉えた。

しかし、これはまだまだ途上だな(順調にすべてがうまく神様のみ心をあらわす世界まで行き着くことができるとすれば)。

残念ながら、人間=肉体人間観と自己保存の本能、そしてそれにもとづく唯物論が根っこにある限りは、その根本の制約を免れることはできないだろう。

般若心経に後付けで加えられであろう(?)、顚倒夢想を、完全に、いや、そこまでいかなくとも、かなりの程度克服できない限り、安心立命するのは難しいからだ。

しかも、唯物論者の誰をも安心立命させることのできる保証は存在しない。

でなければ、こんな唯物論全盛の世の中になってない。

確証はなくとも進みなさい、ということなのかな?

ただ、神様という光の道筋を信じて、不安に駆られながら、迷いながら、進んでいくより他はない。

不安、恐怖、業想念。

祈りながら、感謝しながら、浄めて頂きながら、散々迷いながら、紆余曲折を経ながらも、少しずつ進んでいく。

これが信仰の道。

そんなふうに思える。