149_お天道様3

前回 ( 148_お天道様2 - おぶなより2 ) の続き。

念のため。

見返りを求めずに
良いことをしようとしても
自らに過度に負担を強いたり、
自らを犠牲にし過ぎることは、
良いとは言えない。

例えば、
他人に
何かしら尽くそうという場合でも、
自分に無理強いしたりするのでは、
本末転倒になってしまう。

あくまでも自他の調和を旨とする、
すなわち、
自分のためにもなり、
他人のためにもなるような
良いことをするのが基本だからだ。

人や社会のために尽くしたくても、
自らの存立基盤を
危うくするほどでは、
やり過ぎになってしまう。

だから、
これも踏まえた上で、
ある程度の努力を
払うことはあっても、
身の丈に合わせて、
無理をし過ぎないことが肝要。

念のためにもう 1 つ。

見返りを
求めないということは、
自分のしたことを
恩に着せないこと。

愛と真(まこと)に満ちた
想いと行いができさえすれば、
いちいち、ことの行く末を考えない。

そりゃあ、
自分の尽くしたことに対して
何かしらの見返りなり、
返礼があった方が
気持ちがいいことは確か。

しかし、

ことの行く末ばかりを考え、
相手方からの見返りにこだわっていると、

相手方からロクに見返りがない場合、

あるいは、

相手方から見返りがまったくない場合に、

「俺がこんなにしてやったのに何だ」

と不平不満を抱き、
想いが乱れてしまい、

結果として何のために
良いと思ったことをしたのかさえ、
わからないようになってしまう。

これでは、
良きに生きよう、
良いことをしようとしていたことが、
逆に自分の想いを乱し、
本末転倒になってしまう。

だから、
できる限りの配慮をして
厳選して行った良いことは、
やりっぱなしで
すぐに忘れてしまうくらいで
ちょうどいい。

悟りを開けず
こうした執着を
解き放つことができない私達には
このくらいで
ちょうどいい。

肉体の五感にまつわる
様々な欲望の
とらわれという
執着を離すことができない私達は
褒賞にもとらわれやすい

褒賞は一瞬でいい
ああ、良かったね、
ですぐに解き放つ
すぐに忘れるように
心がける

このくらいで
ちょうどいい。