180_ナンセンス

引き寄せとは別の話。

他のところに書き足したものが、かなり長くなったので、ここにも引用しておく。

(前略)

・・・考えてもみなよ。

世界の人口は、何十億人ってあるの。

その個人個人の過去世の因縁(=輪廻転生の繰り返しにより、生成された因縁)それ自体が、おそらくそもそも無尽蔵なの。

世界の人口は、これの何十億倍ですよ。

魂の分割と結合までをも含めて考えたら、過去世の生き方に深く影響を受けてしまう今生の性格の決めつけなんか無意味に等しいの。

「美人は性格が悪い」っていう、決めつけ自体が無意味なんだよ。

ナンセンス。

俺の経験からすると、

美人 = 性格も美しい(良い)
X = 性格も美しくない(良いとは言えない)

になるけどね。

こんなのは、個人的な経験にしか過ぎないし、サンプルが少なすぎて、とてもじゃないけど類型化なんてできやしない。

しかし、どんなにサンプルを増やしても同じこと。

サンプルを網羅することそれ自体が、そもそも絶対に不可能。

網羅できるのは、神様だけしかいない。

だから、不可能。

もっとも、神様がこんな意味のないことをするはずもないけどね。

当たり前ですよね。

だから、あるのは、あくまでも傾向だけ。

なので。

皆さん、お好きですね。

あれがこう、これがこう、と
「単純に決めつけること」
が、と思えてくるよ。

帰納 → 傾向 → (いつの間にか)絶対の真理

の三段論法(?)みたいな感じがするね。

単純明快な
「決めつけ」と「言い切り」
が大好きなのよね。

要は、
「単純なキャッチコピー」
をつくり、人々の耳目を集めて、
「話に花を咲かせたい」
ってことなんだろうけどさ。

美人= 性格も美しい(良い)
X = 性格も美しくない(良いとは言えない)

だの、

美人= 性格が悪い
X = 性格が良い(または悪くない)

なんて決めつけること自体が、そもそも、ナンセンスなんだよ。

ナンセンス。

今生の大半を決定づける生得的な性格も、成長とともに次第にあらわれてくる性格も、過去世の因縁にかなりの部分を規定され、その過去世の因縁そのものが、多種多様で無尽蔵なの。

あくまでも、生得的な容姿も才能も境遇も何もかも、人それぞれで、ケースバイケース。

だから、この地球上の人は、どんなに似ていても、誰 1 人として同じ人はいない。

どんなに似通っていたとしても、何から何まで完全に同一の人物というのは存在しない。

それはなぜ?

皆それぞれに意義があって、課題があって、わざわざ、この世に送り出されてきた存在だからでしょ。

なぜならば、私達が生まれてくるのも僥倖(仏教にもこの話がある)、しかも、勝手に生きているのではなく、生かされているのだから。(*)

それに、今生の様々な環境をも含めた要因の影響も加味されて、人生が展開されていくんでしょ。

だから、そもそも、そうした単純な類型化をすること自体に無理があるんだよ。

なんで決めつけたがるの?

ナンセンス。

抜本的な容姿の向上は、個人個人が霊性の開発とともに、輪廻転生を通して、辛抱強く良い想いと行いを積み重ねることによって、努力していくしかないだろうね。

なぜならば。

見目麗しい、美しい容姿は、その人の清らかな心にもとづいた、過去世における良き想いや行いが、反映されてあらわれたものとして、考えることができるからだ。

それがわかってさえいれば、あんなことができるはずがないのに、現実は・・・といった類いのことが世の中には起きてくる。

恵まれた生得的な条件をいいことに慢心をして、それまでの地道な過去世の積み重ねを台無しにして余りある行状に及んでしまう、イケメンのヤリチンみたいな人間がその典型例。

だから、容姿も、健康も、何もかも、来世以降に向けて徳を積み重ねて、良き想いと行いをするに越したことはないし、本来はそうすべきだということ。

そして。

さらには、こうした打算をも超えて、ごくごく自然に、良き想いと行いができるように霊性の開発は必要だ、という結論になるの。

~~~~~

(*)この世に誕生したこと、そして、肉体人間という有機的生命体として生きていけるということは、神様のお命の働きかけがなければできないと考えられるからですよ。

よく考えてみてよ。

自分で生まれてくるのでもなく、自分で生きていくことができている(=肉体もあらかじめ与えられ五臓六腑をはじめとした生命活動を維持できている)のでもないことを。

仮定の話です。

今すぐ「生まれ直して来い」と言われて、自分の思うがままに、すなわち、思い通りの境遇下に、性別に、容姿に、才能を得て、生まれ直して来ることができますか?

できませんよね?

絶対に。

五臓六腑も、自らいちいち指揮をとって命令を下して動かしているものではない。

例えば、「心臓よ動け、できる限り規則的で正確な鼓動を刻め」と命令して動かしている訳ではありませんよね。

摩訶不思議な自然の力(=神様の分けられたお命の働きかけ)によって自然に動いている。

人間としての生命活動を維持するために、心臓として働いてくれている。

ということは、逆に天寿(=神様から授かった肉体人間の寿命)が来てしまったら、去りたくなくても、肉体を去らなければならない。

肉体の五臓六腑をはじめとするあらゆる器官を働かせて、肉体人間という有機的生命体たらしめている力の働きかけがなくなってしまえば、肉体はいわば脱け殻となってしまい、機能しなくなるということです。

~~~~~

(追記 1 )
これも、いつか書こうと思っていたけど、ついでだから、書いておく(似たような話はすでに書いてるけどね。ヤリチンやヤリマンの話 ( ( 012_気高い2 - おぶなより2 ) (旧 012_気高い2 ) ) で)。

おわかりの人もいると思うが、今回のような否定語=「ナンセンス」を発するということは、大なり小なりで、これは自分にも返ってくるの。(*追1ー1)

谺(こだま)みたいなものかもしれないな。

しかも、私達人間にとっては、異質で好ましくない業想念という、ね。

「ナンセンス」という他者を貶(おとし)める否定語を使えば、俺自身にもその報いは返ってくるの。

今流に言えば、まさにブーメランだね。

人様のことをナンセンスと謗れば、俺自身も人様からナンセンスと謗られることを免れない宿命を負うの。

つまり、結果的に自分で自分を攻撃しているようなもんだね。

俺も、他ならぬ俺自身を傷つけているのさ。

だから、真善美に悖る否定言葉とも言うべきこうした否定語は、ダメなの。

アホ、バカ、グズをはじめ、みんなそう。

よく考えてみて下さい。

アホ、バカ、グズをはじめとした世の中にある、ありとあらゆる否定語(ネガティブな言葉)は、こうした宿命を内包しているんです。

例外はありませんね。(*追1ー2)

だから、使いたくなっても、ぐっとこらえ、神様におすがりして、何とかして頂くしかないね。

祈りに効き目がないと思われようが何だろうが、おすがりするしかないんだから。 

過去世の因縁が果たされて完結するか、守護の神霊さんに浄めて消して頂けるもの以外のすべての真善美に悖る想いと行いの業想念は、輪廻転生を通して巡ることになる。

ダンマパダ(法句経)にある通り。

繰り返します。

アホ、バカ、クズなどの否定語の使用をはじめとして、批判や非難、恨み言などは、すべて真善美に悖る想いと行いの業想念です。

どんなに、批判が的を射ていようとも、そうでなくても、他者否定につながる言説は、業想念なのです。

ダンマパダ(法句経)にあるように、輪廻転生を通した悪い因縁因果の循環が止むことはありません。

いつまで経っても、どこまで行っても、グルグルグルグル回っている。(*追1ー3)

輪廻転生を通して。

嫌でしょ、こんなの。

それでも正当な批判をすると言うのならば、自らも神様につながる他者を否定する=悪い因縁を背負う、という覚悟と挺身がなければなりません。

「悪い因縁を背負う覚悟と挺身」が絶対に必要になるんですよ?

「正しいのはワシだけじゃい、アイツらは間違っとるんじゃ、オラァ」とはならないんです。

それだけでは済まない。

無罪放免とはならない。

そんなご都合主義は通用しない。

どんな聖者とされる者であろうとも、この世に肉体人間として生を受けた以上、これは変わりません。

神様が善なる存在であり、因縁因果の法則が、輪廻転生を通して万人(霊魂魄)に公平に機能するならば、聖者とされる者でさえも、例外とはなり得ないからです。

おそらく、因縁因果の法則の唯一の例外は、ある程度、その業想念を浄めて救わなければつぶれてしまう、霊性の未開発な私達に対する、守護の神霊さんの業想念の浄めによる救済となる運命の修正だけです。

神様のお目こぼし(?)は、おそらく、これだけしかない。

この世に、生を受けることが、基本的に私達自身の霊魂魄を磨き上げるための修行であり、不幸や災難に満ち満ちている(?)のは、こうした点からもよくわかる。

業想念は、

主体として自らの神性を汚し、

客体としての他者の神性を汚す、

からです。

神様の分けられたお命を頂く者として、
行為の主体として、
自らの神性を汚し、

他方、相手方があれば、

相手方
=神様の分けられたお命を頂く他者
=当方の行為の客体となる相手方

の神性を汚す、

のですよ。

その覚悟もないのに、こうしたこともわからないのに、恨み言による批判や、謎の上から目線(?)による端っから論理破綻している批判のための批判は、頂けないものなのです。

因縁因果の法則が、宇宙万般に適用されるものならば、人間としては、その想いと行いを正しながら、良くしていくことしか、世の中やひいては(何らかの影響を及ぼすことになる)宇宙を良くするための選択肢はない、と言い切れます。

あとは、善なる神様を信じるか、否かにかかってくることなります。

これも当人の過去世からの因縁因果次第ですけどね。

~~~~~

(*追1ー1)正確に言うと、今回俺が「ナンセンス」と書いたことが、俺の何世か前の過去世で、周囲や世間の他人様から「お前は無意味だ、無意味なことをしている」と批判されたり、罵られた過去世の因縁のあらわれとしてのものか否かは、俺にはわからない。

俺としては、ただ感じたことを率直に書いているだけなので、この想いと行いが過去世の因縁にもとづく想いと行いなのか、今生から新たに生じさせた想いと行いなのかは、わからないのである。

俺には六神通のような神通力がないからだ。

従って、俺が今回、「ナンセンス」と感じて書いたことが、過去世の因縁によるものか、今生から新たに俺が言い出したものなのかはわからない。

過去世の因縁のあらわれならば、これで完結する可能性もあることになる。

しかし、神通力のない俺には、過去世の因縁のあらわれか、今生から作った因縁かがわからない以上は、とりあえず、真善美に悖る好ましくない人間の想いと行いの業想念は、過去世を原因とするものでも、今生から新たに発生させたものでも、どちらにしてもなくしていかなければならないものと考える。

新たに発生させた可能性がある以上は、過去世の因縁の完結はないものとして、保険をかける意味合い(?)も込めて消失させておくべきだ、ということ。

だから、業想念はなくさなければならない宿命がある、そうしなければ、いつまでも輪廻転生を通して循環してしまうことを前提に上記のように書いている。

強いて言えば・・・。

この世に起きてくることの大半、 8 割方が過去世の因縁のあらわれだとすれば、俺がナンセンスと書いたことも、過去世の因縁の可能性が高いことになるが、とにかく、神通力がなく、真実を確定できない以上は、業想念はいずれなくさなければならないものだから、なくす方向で行く、ということです。

(*追1ー2)なぜ、例外がないと考えられるのかについては、機会があれば書かせて頂きますよ。

大した内容ではないんだけど、いかんせん他の文章量が多くなりすぎたので、省くことにします。

(*追1ー3)この無限ループともとれる循環も、この世限り(あの世(幽界)限り?)までなら、無限にはならないでしょうね。

神様の光がこの世まで完全に通り切って地上天国化が成就するか、それとも、神様が私達肉体人間のあまりのいたらなさに見切りをつけられて、地上天国化をおやめになり、すべてをご破算(リセット)するまでの間になるでしょうね。

だから、無限ループではなく有限。

地上天国化が成就する場合には、神様(守護の神霊様)が何らかの形で、業想念を消失させるように、各人を配してお取りはからいになるのでしょうね。

~~~~~

(追記 2 ー 1 )
「美人は性格がいい」だの、「美人は性格が悪い」だの、と話題にして、話に花を咲かせたい気持ちも、実はわからなくはないんです(美人は男性の場合なら今でいうイケメン。本来なら美男子やハンサムの方が適切だと思うのだが、とりあえず今のご時世に合わせておく。イケメンはやっぱり軽々しくチャラい響きがあるからあまり適切には思えないけれど、まあ、仕方ないね)。

それは、以下の潜在的な動機が推定できるから。

「美人(イケメン)は性格がいい」っていうのは、見た目が秀でた人間は、それに見合うだけのものをそなえているはずだ、と半ば無意識に期待を抱くからですよね。

では、なぜそんな期待を抱くのか?

それは、私達の本質が神様の分けられたお命であり、元々の神体としては、それぞれに個性を持ちながらも、完全円満な人柄をそなえるだけではなく、美しくもあった、と無意識にわかっているからじゃないですか?

だから、容姿といった外見だけでなく、性格をはじめとしてその他の中身にも期待したがる。

しかし、肉体人間としてこの世に天下って、自己保存の本能を与えられ、たくさんの輪廻転生を繰り返すうちに、業想念を積んで、肉体人間としての有り様が多種多様で複雑多岐に分かれてしまった。

だから、言えるのは傾向のみになっている。

そういうことだと思いますよ。

あえて言うと・・・。

薄々感づいている人がいるかもしれないけれど、こうした容姿や性格や才能などに、こぞって類型化や決めつけをしたがる方がいるのは、回帰現象かもしれないですね。

回帰現象です。

何がって、元々はみんな神様の中で一つだったから、元帰りしたいという気持ちの。

奥の奥の潜在意識では、みんな良いものに元帰りしたい、と。

言い切りや類型化をして、自己主張をきわめて突出したいというよりも、その奥の奥では、本来の肉体人間というものは、神体を映したこうした良きものだったから、それに近づけた結論を出したい、と。

それがしたいがために、ついつい、容姿となる外見と中身をセットにして結論づけた話に持っていきたくなる。

そうした、潜在的な欲求があるんじゃないですかね。

つまり、容姿や中身の関連づけ談義をしたがるのは、肉体人間というものは、本来的に神体を映した素晴らしいものなんだ、そうであるべきなんだ、と言いたい気持ちが、話に花を咲かせたい欲求の根本的な動機と考えられる訳です。

美人(イケメン)は性格が悪いとか、
足りないところがあるとか、
あるいは、
X (男性もこれで代用する)は性格がいいとか
悪いとか、

なんてそんな話をしたいんじゃない。

これを話したいんじゃない。

肉体人間が容姿も性格も悪い場合がある、
なんていう話をしたいんじゃない。

本当は、
ただただ、ひたすら、
私達は元々は美しかったんだし、
素晴らしかったんだし、
肉体をまといながらも、
それを目指して早く進化をして近づきたい、
そうなりたい、
という潜在的ながらも切実な欲求が、
こうした話をする動機を
発動させる元になっている、と。

容姿談義をしたがる人達は、皆気づいていないかもしれないけれど、本当は、神様を求める心が、神様に対する憧憬が、意図せずとも心の奥底に流れている、と。

つまり、容姿談義をしたがる無意識の背景には、神様への元帰りと神様への憧憬を、読み取ることができる訳です。

逆に言うと、これ以外のもの、例えば、動物の行動などを援用してこの話をしようとするのは、完全に明後日(あさって)の方向を向いていることになる。

だから、神性を否定した浮気や不倫を肯定させたがる(=浮気や不倫を当然のものとして認めさせたがる)ような話になってしまう訳です。

神性に背く、すなわち、神様の分けられたお命を生きている肉体人間の、愛や真理に、まるっきり背く話をする仕義に相成ってしまう訳です。

(追記 2 ー 2 )
実体験にもとづいた話でも、相も変わらず物事の一面しか見ていない薄っぺらい話がある。

容姿が優れていることは、遺伝子が優れていることだから、内面も外面も整った超人が大企業に集まりやすいなどの話だ。

事実は小説より奇なり。

地球上の人間の過去世からの因縁因果は、無尽蔵と言ってもいいほどに限りなくたくさんあるんだから、当たり前だ。

現実には、どんなに美男美女とされる人間であろうが、人知れない苦しみに呻吟していることだってあるんだよ。

だから、巷になされている容姿談義は、ありきたりで話の底が浅いとしか感じられないんだ。

それに、美男美女に生まれついたからと、唯物論的な思考でやりたい放題好き勝手なことをする、例えば、イケメン男性が、何股もして、たくさんの女性を平気でヤリ捨てにするようなことをしていたら、詳しくは書かないが、本人にとっても、世の中にとっても、最低・最悪なことにしかならないんだ。

だから、人格(霊性、神性と言ってもいい)を無視した、物事の表面しか見ない容姿談義は頂けないんだよ。

~~~~~

・無尽~むじん~①どこまでも終わりにならないこと。尽(つ)きないこと。
(用例)縦横無尽。
②(無尽講の略)一定数の組合員が互いに掛け金を出し合い、入札または抽選で、順番にまとまった金銭を融通する仕組み。頼母子(たのもし)講。

・無尽蔵~むじんぞう~いくら取っても尽きないこと。また、そのさま。
(用例)無尽蔵の資源。
(筆者注)本文では、人の輪廻転生がたくさんあるであろうことになぞらえてこの語を使った。

・ナンセンス~無意味であること。取り上げるに値(あたい)しない、ばかげているさま。ノンセンス。
(用例)ナンセンスな話だ。

・耳目~じもく~①耳と目。
②聞くことと見ること。見聞。
(用例)耳目を広める。
③人々の注意・中目。
(用例)耳目をひく。耳目を驚かす。
ここでは、③の意。

・耳目となる~ある人の下について、見聞きしたことを残らず知らせ、補佐する。

・耳目を集める~人々の注目をひく。

・僥倖~ぎょうこう~偶然にめぐってくる幸せ。
(用例)僥倖にめぐまれる。

・慢心~まんしん~自分をえらいと思っていい気になること。おごりたかぶる心。
(用例)慢心が過ぎる。

・貶める~おとしめる~劣ったものとして扱う。見下げる。さげすむ。
(用例)人を貶めるような態度をとる。

・谺~こだま~山・谷などで音が反響して跳ね返ってくること。また、その声や音。やまびこ。
(用例)歌声が谺する。

・謗る~そしる~他人を悪く言って、おとしめる。非難する。誹謗(ひぼう)する。
(用例)自らを省(かえり)みず人を謗る。

・言説~げんせつ~考えや物事を言葉で説明すること。また、その言葉。
(用例)言説を弄(ろう)する。

・挺身~ていしん~自ら進んで、犠牲的に事にあたること。
(用例)挺身隊(命懸けで重要な任務にあたる部隊)。

・目こぼし~①とがめて当然のことを大目に見ること。
(用例)お目こぼしを願います。
②見落とすこと。めこぼれ。
ここでは、①の意。

・万般~ばんぱん~いろいろの物事や方面。すべての事柄。百般。
(用例)万般にわたって。

・憧憬~しょうけい~あこがれること。あこがれ。