153_反芻2

前回 ( 152_反芻 - おぶなより2 ) の末尾に書いた、「嘘も百回言えば真実になる」のナチスの大衆操作の一手法は、唯物論的にごく普通に考えられる理由は、ウソのスケールが大きいほど騙しやすい(これも神性から説明できる)とか、単純接触効果などだったと思うが、私の書いた人間が本質的に備える神性からの理由づけ、すなわち、「人を信じたい、信じ合いたい」という理由づけをされることはないだろう。

建前といっては何だが、あくまでも唯物論しか本筋の理由づけとはされないだろう。

ナチスの手法は恐ろしい。

演説をする時も、人々の疲労がピークに達し、集中力が欠けて流されやすくなる夕暮れ時を意図的に狙ったり、聴取の中から煽るように人を立ち上がらせて同調圧力を作り出して賛同(煽動に近い)させたりと、大衆操作のためのあの手この手を尽くした、恐ろしいやり方だったように記憶している。

同調圧力に弱く、村社会の色彩を色濃く残す日本ならともかく、厳格で理屈屋さんの多いはずの(?)、ドイツの人々でさえ、ああなるのだから、本当に怖いよね。

私には「嘘も百回言えば真実になる」というプロパガンダの手法についての、上記 2 つの唯物論の理由づけ(「ウソのスケールが大きいほど騙しやすい」と「単純接触効果」)があまりピシッと決まっているようには思えなかった。

そこで、実は人間の神性に関する性質を悪用する意図もあったのではないか、これこそが理由としては本命だったのではないか、と裏読みができたので書いてみた次第。