( お断り ) 誠に勝手ながら、都合により、従来 ( 016_物に非ず ) と ( 017_物に非ず2 ) と分けて記載していたものを、ここに改めて ( 014_物に非ず ) としてまとめ直すこととする。
ご了承頂きたい。
従来の文章はそのままに、 ( 旧 ) というカッコ書きを頭につけて示した。
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( 旧 ) 016_物に非ず
物に非(あら)ず。
肉体人間は物じゃないよ。
擬物化(?)しては絶対にいけなんじゃないの?
スペックって機械の仕様のことじゃない?
肉体人間は機械じゃないでしょう?
機械にも物質としての想いや魂はあると思うけど、肉体人間は神様の分けられたお命を本体とする者ですよ。
それを擬人化ならぬ擬物化(?)という貶めた表現をするのは、終局的には神様を蔑(さげす)むことになりはしませんか?
女性への憤りや恨みつらみからなのかどうかはわからないけど、産業廃棄物(*1)というひどい表現をする人までいるからね。
やっぱり、表現に悪意を感じるな。
何らかの憎しみがこもっていると。(*2)
ここまでひどいと、肉体人間に対する完全な冒涜であり、ひいては神様に対する冒涜に通じますよ。
唯物論しか知らない、もしくは、霊性のことをまったく知らない、あるいは、霊性のことを知っていてもバカにしているんでしょうね、こうした表現をする人は。
霊性や輪廻転生をよく理解すれば、こうしたセリフは絶対に吐かないはずだからですよ。
もう 1 年以上も前に、非モテコミットを知って、モテ談義を読んだ時に、いくつかのサイトを見て感じたのは、モテ談義をする人は、おそらく、ほとんどが唯物論者の人達なんだろうな、ということだった。
肉体人間の擬物化(?)がはなはだしく、批判や非難とともにけなす言葉も半端じゃなかった。
汚い言葉や攻撃的な言葉、そして蔑む言葉。
おまけにパウラという架空の美少女は、輪廻転生上は禁忌すべき嘲笑までさせられていた。
嘲笑と言えば、顔文字の w もこの意味合いで使われる。
こうしたことを総合的に見て感じたのは、一般的な皆さんが考えているモテというのは、自分にふさわしい、釣り合いの取れた伴侶(パートナー)を求めるためのモテではなくて、できるだけ多くの異性にモテる・モテたいという意味合いで、しかも、容姿や性格の水準が少しでも高いお相手を望む内容だということ。
少なくとも、自分に釣り合いの取れる伴侶とこの世に生かされているありがたさを噛みしめ、お互いに尊重して、感謝し合いながら、支え合って生きていくためのお相手を求める、といった意味合いのモテではないことは確かだった。
できるだけ多くの異性からチヤホヤされたい、あわよくば(結局は?)より多くの魅力的な異性とセックスしたいという意味合いのモテだと感じましたね。
自尊心を満たすことや、快感・快楽を満たすこと、そして、金、地位、見栄といった外見や外部の人達からの評価を主に気にしている、かなり唯物的なものの見方に重きを置いた感じのモテの内容でしたよ。
こうしたモテ観(?)の人達が霊性や輪廻転生の仕組みに気づくのはいつのことになるのだろうか。
私は病気がきっかけで、霊性や輪廻転生についていろいろと調べる羽目になったのだが、できれば、こんな不幸や災難を経ることなしに、何とか早く気づいてほしいと願う。
魂の学習も通過儀礼というか、必須科目なのかもしれないけれど、かなり厳しくて大変だから。
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(*1)ハートカフェで紹介されていた、高学歴かつ高収入の婚活女性が見つけたという、 2 ちゃんねるにあった、
「非処女に価値なし。
30 才以上は産業廃棄物」
という書き込みのこと。
こうした人間の尊厳を著しく傷つける書き込みには、あまりにもひどすぎて何とも言いようがない。
私流に言わせてもらえば、「人間の尊厳を著しく傷つける」というのは、肉体人間の本質が神様の分け命られたお命だという意味だからこそ。
肉体人間は誰しもがみんな奥では神様につながっている。
どんなにこの世で業想念にまみれていても、本質が神様につながっているのだ。
その尊い肉体人間の女性を「産業廃棄物」と呼ぶ。
霊性と輪廻転生の仕組みから、こうした想いと言葉(行為)をあらわしてしまったら、どのような報いが自らにもたらされるのかを考えたこともないんだろうな。
あったとしても、どうせ大したことはないとたかをくくっているんだな。
高学歴を有する広告代理店の婚活女性にしても、こうしたことを真に受けた話を展開していたけど、学業が優秀で高い地位の職業についている女性が、なぜにあんな愚かしい醜悪な言葉を真に受けるのか、非常に理解に苦しむよ。
あれでは、ありとあらゆることにわたって唯物論でしか物事を考えていないとしか思えないな。
(*2)私はへそ曲がりなので裏読みをしてしまうんですよ。
まあ、そうは言っても、あくまでも推測の域は出ないので、ご了承下さいね。
こ産業廃棄物だの何だのと、女性を酷評している人の心理はどうなっているのかな?
そもそも、何であんなに力を入れて、熱を上げて(?)、女性批判を展開しているの?
人として、その人の理想的な人間像から、いかにかけ離れた女性達がいるとしても、ああしょうがないな、と一瞬思うだけですぐに突き放し、放って置けばいいじゃないの。
祈りを知らずに、批判対象の女性達の天命がまっとうされますようにと祈れないにしても、余計な怒りなどを抱かずに、放置すればいいじゃないの。
何で執着するの?
本音は違うんでしょう?
例えば、目ぼしい女性とあらば、片っ端からヤリ捨てるような、いわゆる、最低・最悪のヤリチンのイケメンがいたとしても、彼らにしたって、貞操観念が崩壊していてすぐに股を開く女性や、これにある程度準じる女性についても、わざわざ産業廃棄物などとの悪態はつかないと思いますよ。
産業廃棄物などと彼女達に対してとんでもない蔑称を用いているのは、本当は彼女達に
「自分を見て欲しい」
「自分を愛して欲しい」
「ささやかながらも、信頼関係の築ける暖かい家庭を作るための伴侶候補となって欲しい」
と切実に考えているからじゃないですか?
現実は厳しく、彼女達もかなりのワガママで、こうしたささやかな願いを木っ端微塵に打ち砕くような行状をしてきたから、それが口惜しくて、悔しくてたまらないんでしょう?
だから、彼女達を許せないんでしょう?
本来は無関心でいるべきところを、わざわざいつまでも批判を止めず、産業廃棄物などというとんでもない蔑称を使って、彼女達を貶めることをやめない。
こうした言動をする動機は、彼女達に抱いた期待を潰しまくられ、深い悲しみがあるということなんじゃないですか?
もっと、素直になりましょうよ。
ちゃんと、男性をそれなりに、対等な人格として尊重してくれる女性と、ささやかながらも、幸せな家庭を築き、子孫を残したいんでしょう?
それに比べて、この世の女性達があまりにかけ離れた対象でしかない(ように見える)から、悲しいんじゃありませんか?
やれ、イケメンだ、高身長だ、高学歴だ、世間体のいい職種だ、ふんだんなカネだ、気の利いたエスコートだ、楽しませるトークだ、なんて男女の人としての信頼関係を築くよりも先に、こんな条件ばかりをふっかけてばかりいられたら、とてもじゃないけど、やっていられないもんね。
散々書いてきたけれど、私達は誰しもがその本質が神様の分けられたお命=分霊(わけみたま)である以上、本来的にどういう男女の結びつきがふさわしいものかを知っている。
深層の神意識ではわかっているんですよ。
そりゃあ、才気にあふれた美男美女の組み合わせが理想ではあるけれど、そもそもこの世自体が、私達がたくさんの過去世で溜め込んだ、真善美に悖る想いと行いの償いの場になっているから、これは難しいんですよ。
だから、こうした理想は理想として置いて置いて、それなりに身の丈に見合ったお相手を探すしかないんですよね。
それがわからないかのように見える女性達の言動に、悲しみを通り越して、怒りという形で、あのような産業廃棄物という侮蔑の言葉が出てくる。
この言葉の裏には、世の女性達に対するやりきれない深い深い悲しみが、読み取れるんですよ。
つまり、世の女性達を厳しく批判する世の男性達には、明らかな反動形成が読み取れるんですよ。
ましてや、やることばかりを目的にした男達にもてあそばれ、または、好き勝手に享楽三昧したような女性がいれば、自らの望みが叶わない絶望とともに、こうした悲しみは、さらにより深いものとなる。
あなた方(世の女性達)は、何をやっているんだ、と。
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( 旧 ) 017_物に非ず2
しかし、ああした高学歴・高収入の女性にとっては結婚というのは、難しくて大変なんでしょうね。
マミ先生のどの動画だか忘れたけど、女性は尊敬できる男性を好きになるらしいから。
尊敬できるということは、婚活のような決まった条件を前提とした求婚活動では、お相手の条件がその女性の高学歴・高収入よりもさらに上の条件を満たした男性でなければならないことになり、該当する男性がきわめて限られて稀少にならざるを得ない上に、競争相手の女性は数知れずいるということになりますね。
競争率は凄まじく高いんじゃないの?
そもそも、そうしたあらゆる条件が高い水準にある男性って、お相手に何を望むのかな?
自分と同じかそれに近い学歴と高収入の女性を求めるものなんですかね?
よくわかりませんけど。
出産も踏まえて、身体が健康であり丈夫であることと、人柄の良さや、臨機応変に機転が利き、周囲とも上手くやっていける本当の頭の良さこそ必要なんじゃないの?
でなければ、例えば研究者なら同じ研究者の道を歩むとか。
いずれにしても、かなり難しそうですね。
仮に、難関を突破して、上手いこと自分よりも条件の良いお相手(男性)が見つかり、結婚することができたとしても、その後に順風満帆な結婚生活を送れる保証なんかどこにもないのが、この世の中なのではないですか。
すべては、過去世からの因縁因果によって相当程度左右されるから、どうなるかは(普通の人には)わからない。
離婚するかもしれないし、何が起こるかはわからないんですよ。
霊性的に考えると、結婚も順風満帆に行くよりもむしろ逆の可能性の方が高いと考えられるんですよ。
親子や兄弟姉妹などの家族もそうです。
簡単には逃れられない(?)絆の下に、果たすべき過去世の因縁を果たすべく結びつけられて、砥石のように磨き合いながら、霊性の向上のために修行をさせられる。
そのためにこの世で結ばれる、この世で近しい関係に生まれ合わせるのかもしれないのです。
表向きの顕在意識ではわからなくても。
夫婦仲がとても良くて、家族も仲が良いのは、それなりに家族を構成する者同士の過去世からのつながりがかなり深いか、それなりに過去世の行いが良かったか、過去世で世話になった恩返しをするためなどと、それなりの背景があると考えられるんですよ。
だから、将来の結婚への備えも兼ねて、磨き合いに耐え得るだけの霊性の高さを身につけておくのも、一法ではないかと思うのですよ。
もちろん、結婚しない因縁因果の下にお生まれになっている場合もあるかもしれませんし、これはわかりません。
守護の神霊さんが必要とあれば、配偶者をお導きになるかもしれませんし、これもわかりません。
ただ、唯物論の損得勘定だけで、ああでもない、こうでもない、とやっていては限界があるし、時間もどんどん過ぎていきます。
だから、霊性の開発をするか、これにどうしても抵抗があるならば、人格を磨く。
人格の向上をはかる。
勉学もできる、教養もあるらしい(婚活相手の男性の会話内容を見下していたから。ただし、人を見下すのは真に教養があるとは言えない)、収入も高い、家事能力はともかくとしても、他にやってないことをするんですよ。
現代はお釈迦さんの在世当時とは、あまりにも時代環境が異なるから、ああした古(いにしえ)の自力修行は現実味がないので、実践できないけれど、人格の向上なら際限がないし、心がけ次第でいくらでもできるはずですよ。
お金と時間のタップリかかる習い事でもないし。
ご本人の胸先三寸次第でどのようにでもきわめることができるはずです。
ただし、やる気にならないとダメですけどね。
繰り返しますが、唯物論のものの見方で満足感を得ようとしても、可能性がきわめて厳しいんだから、唯物論のやり方以外に目を向けるしかないんじゃないですか。
そう思うんですけどねえ。
ぶっちゃけふうに、もっと乱暴に言わせてもらうと・・・。
女の人は、いい人と巡り会って幸せな結婚を、そこまでいかなくても人並み(?)な結婚を、と考えるのかもしれない。
しかし。
私達は、おそらくそのほとんどが、過去世の因縁を償うため、清算するためにこの世に生まれてきている。
だから、仏教のこの世は「苦」ではないけれど、病争貧苦はある方が、むしろ多いと考えられるんですよ。
良いことばっかり、幸せばっかり、ではそうは問屋が卸さない、という具合になっていると思われるのです。
比較的平穏な人生を過ごせたり、いろいろと恵まれた境遇に生まれつくのは、過去世の生き方、いわば、貯金にそれなりのものがある、と考えられるんですよ。
どんなに、ひどく見える人でも。
もちろん、本人の今生での努力もあるでしょうが、不可抗力の病争貧苦の修行を強いられる場合には、やはり耐えざるを得ない。
嫌が応にも耐えなければならない。
不可抗力の病気などといったものは逃げることができないからです。
逃げるために自殺をしたら地獄に行ってしまいます。
なので。
数々の輪廻転生を通して良くない想いと行いでつけてしまった魂の汚れを、これまた、輪廻転生を通して落としていく。
これがこの世だと思うんですけどねえ。
だから、霊性の開発は、来世以降も含めてやっておけば、自分のためになるはずです。
それができないなら、せめて人格を磨くこと。
これだけでも、とっかかりとして、やっておく価値はあるはずですよ。
あのような 2 ちゃんねるのひどい書き込みを読んでも、霊性上、そして輪廻転生上は、何一つ良いことはありません。
霊性という観点で考えたら、輪廻転生を通して害悪しかもたらしません。
女性を、神様の分け命を頂いている同胞の女性を、こともあろうに「産業廃棄物」などと侮蔑する。
こうした物言いは、想いを乱す悪い言説以外の何物でもありません。
想いを乱すことは、すなわち、自己の運命に悪い影響を及ぼすからです。
ああした書き込みは近づかないに限ります。