073_話14(祈り一念に)

はてなさんのとある非モテブログを書いている男性の話を読んで思ったんだけど。

月間 PV ( Page View の略。Web ページのアクセス数のこと )が 1 万と自分の 1 万倍以上の人に意見を書くのは悪いけどさ。

非モテ非モテ、とグチグチして理屈ばかりこねていないで、すべてを神様にお任せてしまったらいいんじゃないのかな。

どんなに理屈をこねて傷をなめ合ったところで、根本の問題はまったく解決しないんだからさ。

根本の問題とは、この世でしかるべき配偶者の人、または、恋愛感情を抱き合える人と巡り会うことができていない、という問題です。

幸いにもこうした人達は、ネットで多少グチグチ言っているだけで、何股もするように霊性をメチャクチャ落としまくる、デタラメきわまる蛮行を重ねるヤリチン男性のような実力行使に打って出ていない分だけ、まだ、悪い因縁の救済の余地がかなりある。

おそらく、風俗も可と出来ない人がかなり多いんじゃないのかな(もちろん、これは素晴らしいし、好ましいこと)。

今からでも、世界平和の祈りと守護霊さんと守護神さんへの感謝行をして、世の中の男女に対する批判や非難を極力避けて、後は神様(守護の神霊様)にすべてお任せしてしまうんですよ。

男女を問わず、他人様を不快にさせないような「一定の清潔感」さえ保てば、恋愛技術なんかどうでもいいんです(エンターテナーのマミ先生、ごめんなさい)。

所詮は唯物論の小手先の技術に過ぎないし、因縁因果に何のいい影響も与えることが出来ない、むしろ、悪い影響を与えるものばかりだから。

あなたがこの世に生まれたということは、何十億人の一人として何となく生まれたようでいて、実はそうではない。

仏教にもあるけれど、希少なことなんですよ。

つまり、あなたは、神様から何らかのお役目を期待されてこの世に生まれてきたということ。

形の上では、ご両親の愛の結晶か、はたまた、欲望の果て(?)のように生まれてきたとしても、この世に生まれてくること自体が希少なことなの。

ご両親もそうだけど、神様の命の働きかけがなかったら、絶対に生まれてはこないし、成長もしていかないし、生きてはいかれない。

私達の生命活動の根幹である呼吸と拍動をはじめとする五臓六腑の働きも、その維持がなされているのは神様のお命の働きかけがあるから。

二次元に逃れても、趣味に逃れても、やはり、どうしても代償行為の嫌いは拭えない。

本当に非モテが吹っ切れたのならば、非モテの「ひ」も一切出さないようでなければならない。

執着を断ち切ったのだから、話題にもしないはず。

にもかかわらず、そうではない。

むしろ徹底的に執着している。

いつまでもこだわっている。

執着という行為には、やはりそれなりの理由があって、唯物論ならば、反動形成という裏読み解釈が可能になってしまいます。

この世に生まれてきたということは、お釈迦さんのような特別な人を除き、みんな魂の修行(=基本的に過去世の悪い因縁の清算)のために生まれてきている。

だから、男女を問わず、性欲の執着を断ち切るのは、基本的に無理な人達ばかりなんですよ。

そんなに簡単に性欲は制御できない。

無理に抑えつけたりすると、いわゆる、反動形成のような形になってしまい、生活や言動や生き方に、歪んでいびつなものが、否応なしにあらわれてきてしまう(逆に言うと、来世以降に向けた因縁因果を少しでも悪化させないための正しい性欲の解消をしていかなければならない、ということ)。

身も蓋もない言い方になりますけどね。

で。

男性は 300 万人以上余りという、厳しい時代ではあるけれど、あなたにそれなりの因縁があれば、縁があれば、守護霊さんにお任せしていれば、きっといいお相手を導いて下さいますよ。

自分で執着を断ち切ることができない以上は、神様(守護霊さん)に救いを求めるしかないですね。

唯物論でどんなに理屈を言っても、真善美に悖る想いと行いの業想念を積んで、輪廻転生を通した因縁因果を悪くすることにしか、つながらないからです。

神様から期待をされ、配偶者を得る因縁をもった人なら、いやが上にもそうなる。

しかし、そうでありながら、そんなことも知らずに、グチグチとしていたり、世の中の男女の批判や非難ばかりしていれば、何一つ自らのためにはならないんですよ。

神様のみ心に適った良い想いと行いは、自らに良い報いをもたらす。

神様のみ心に反する悪い想いと行いは、自らに悪い報いをもたらす。

あくまでも、神様のみ心に適った良い想いと行いしか、自らに良い報いをもたらすことはないんです。

これが原則として輪廻転生を通した(=世を隔てた)因縁因果の法則だからです。

きわめて簡潔(シンプル)。

難しい理屈はいらないんです。

そして、法則の修正の余地はわずかで、祈りと感謝行で守護の神霊さんの救済に頼るしかない。

そこをどのようにお考えになるかですね。

神様なんかいるものか、

生まれ変わりなんてあるものか、
輪廻転生なんかあるものか、

来世以降なんかあるものか、
来世以降にちょびっと襟を正せばいいや(=来世ではちゃんとします)、

という過去世の気持ち(=過去世の時点でのこの世の気持ち)が、

今現在のこの世の不幸や災難などの好ましからざる状況につながっている。

そして、その数多(あまた)の過去世で溜め込んだところの、悪い因縁のこの世でのあらわれに対する救済はわずか。

祈りと感謝行で、守護の神霊さんに頼るしかない。

これをどうとらえるか、という。

まあ、世の中でモテ法は数多あるのかもしれないけれど、どうしても唯物論にこだわるならば、一番実践的なのは、マミ先生の動画じゃないのかな。

マミ先生の頭の回転が速すぎる(?)せいで、速射砲のような喋り(しかも、淀みない!)を聞くのが大変だけど、面白くもあるからね。

しかし、これの実践も難しいとなると、もう、あまり無理はしない方がいいと思うんですよ。

清潔感だけを保って(マミ先生にも指南動画がある)、批判や非難や愚痴の一切を封印して、あとは、ただひたすら祈りと感謝行で守護の神霊さんにお任せをする。

これならば、輪廻転生を通した因縁因果にも良いことはあっても、何一つ悪いことはない。

という訳で、これをお願いしたいですね。

なお、念のために再度書きますけど、風俗はおすすめできません。

詳しくは省きますが、霊性という神様のお命を本質とする肉体人間としての観点からすると、どうしても好ましいものとは言えなくなってしまうからです。

つらいところですが、今からでも我慢するしかないと思います。

今の段階ではまだまだ風俗はなくせないほどに、この世に過去世から蓄積されている因縁因果は厳しいものがあると思います。

避けることができれば、避けるのが理想とはなりますが、過去世の因縁を含めて、やむを得ない事情から、風俗にかかわる人がまだまだ多いだろうからです。

だから、いつのことになるかまったく見当もつきませんが、皆さんの霊性が開発され尽くされるまで、地上天国化が成就されるまで、長い長い年月をかけて地道に少しずつ因縁因果を解消していくよりないと思います。

そのために、祈りと感謝行をして頂きたいのです。