043_奪回

アイドル。

字引を見ると
崇拝される人、または物。
あこがれの人。
(用例)アイドル歌手。
とある。

ちなみに、ファンについては、
特定のスポーツ・芸能などの熱心な愛好家。
また、特定の人物・チームの熱心な支持者・後援者。
フアン。
とある。

まあ、アイドルにまったく興味のわかない人もいるかもしれないが。

なぜに、人は、アイドルを好んで、テレビその他などを視聴するのだろうか。

特に異性のアイドルを嗜好するのは、おそらく、恋愛感情の延長線なんだろうな。

いわば、疑似恋愛感情による嗜好だ。

決して直接の恋愛相手になることはできないから、仮想だけで我慢する、妥協する関係だね。

アイドルと呼ばれる人達は、こうしたファンの人達の仮想の疑似恋愛感情を誘因としながら、これを利用することで人気を保ち、視聴を稼いだり、歌や画像や動画などで商売を成り立たせるとともに、自己の抑えがたい自己肯定感や虚栄心を満足させる生き方をしていると言えるだろう。

肉体人間は、神様の分けられたお命が本体。

ということは、神体としては、真善美に悖らない、完全円満な美しい外見を有しているということ。

元は、本質は、美しいんですよ、みんな、誰しも。

これが肉体にそのまま反映されてあらわれていれば、誰しもがその霊魂魄なりの個性を有する、それぞれに美しい外見を備えた肉体人間になるはずだと考えられる。

しかし、それにもかかわらず、この世での現実がそのようにはなってはいなくて、美男美女とされる人達がある程度に限られているのは、やはり、神体から、霊体、幽体、そして、肉体をまとい、肉体人間となり、自己保存の本能を与えられたために、それぞれの輪廻転生を通して、真善美に悖る想いと行いの業想念を積み重ねてしまったために、その業想念が反映されたものとして、元々の美しかった容姿が、徐々に徐々に段階的に落とされていくことになったため、と考えられるのだ。

お釈迦さんのような聖者に、たくさんの過去世があったことからすれば、ほぼすべての人は、肉体=肉体人間観に次第に染められて、縛られるようになり、輪廻転生を通してその容姿を何らかの形で、落としていってしまったと考えるのが自然だ。

お釈迦さんのように悟りを開くのが、たくさんの過去世を必要とするように、一朝一夕にはいかないということは、肉体人間観により、たくさんの輪廻転生を通して、つけてしまった業想念という魂の汚れを浄めてなくす、その神様の分け命としての神性を取り戻すためには、それなりのプラスマイナスで必ずプラスとなる、いわゆる、結果的に収支決算で黒字を出しながら良い輪廻転生を繰り返していくことが必要だ、と解釈できるからだ。

当然にそれに伴う肉体人間の容姿にも影響があり、業想念が浄めてなくされればなくされるほど容姿も上向いていくと思われる。

つまり、元々の神体に近い美しい外見に次第に近づいていく、いってみれば、肉体を得たことにより追加付与された自己保存の本能と輪廻転生を通して積み重ねた業想念により失われた容姿の低下分を、同じく輪廻転生を通して良き想いと行いを積み重ねることによって、本来あった神様の映し身としての美しさに近づけるように、失なわれた容姿の美しさを取り戻していくことになる訳だ。

つまり、奪回。(*1)

このように考えてくると、お釈迦さんは、おそらく相当に見栄えのする人だっただろうと推定できる。

お釈迦さんを美化したいがための伝説や伝記の祭り上げとは別に、このような可能性が考えられる訳だ。

お釈迦さんはそのような容姿奪回の先駆者のお一人だったんだろうね。

私達が美男美女の外見を好ましく思うのは、太古の昔(?)、神様の映し身として肉体人間となった当初は、私達の誰しもが美しかった、肉体人間とは本来は美しいものだったと無意識にもわかっているからだろう。

もちろん、地球上には何十億人もの人がいる訳だし、その因縁因果は無尽蔵に多岐に分かれているから、美男美女が性格その他が容姿に正比例して優れているとは限らず、美男美女でも性質のきわめて悪い人間がいることがあるが、大体の傾向は、上記のようになると考えられる。

従って、この世で美男美女に生まれつくということは、それぞれの過去世で、真善美に悖らない、それなりの良き想いと行いの裏付けがあったということであり、 1 回や 2 回の生まれ変わりだけではなくて、たくさんの輪廻転生を通して、いわば、苦労して失なわれた美しい容姿を少しずつ取り戻してきた積み重ねの実績があるということになる。

つまり、美男美女に生まれついているということは、単なる偶然ではない、決して伊達や酔狂ではない、それなりの裏付けがある、ということになるのだ。

それなのに、ああ、それなのに。

現実の美男美女には、こうしたことはまったく考えないのか、知らないのか、残念なことに、この肉体人間としての優位な条件を笠に着て、ほしいままのデタラメの限りを尽くす人間がいるのである。(*2)

自らが見栄えが良い、有利に生まれついたことをいいことに、さらなる人格の向上、いってみれば霊性の向上に励むべきところを、真逆の方向に走ってしまう人間が少なからずいるのだ。

ヤリモクと呼ばれる好き放題に何股もかけるイケメン男性がこの典型例だ。

せっかくの過去世で積み重ねた良き想いと行いで取り戻してきた、恵まれた容姿を台無しにして余りある行状を積み重ねてしまうのである。

これは想像なのだが、おそらく神様のお考えからすれば、容姿を優れたものにするように輪廻転生を繰り返してきた者に対しては、さらなる、人格の向上、霊性の向上をご期待されるのではないか。

つまり、本来ならば、美男美女ほど霊性を開発して気高く生きなければならない、生きるべきだ、ということが言えるはずだと思うのである。

そうすれば、肉体人間としての良き見本を周りに示すことにもなるし、人類の霊性の全体の水準を少しでも上げることにも寄与できることになるからだ。

つまり、美男美女という外見というか、記号(?)をそなえた者は、気高く生きなければならない使命がある、と考えられる訳なの。

だから、そうした神様のご期待を踏みにじるかのような、デタラメきわまる上記のヤリモクイケメン男性のような行状や、承認欲求だか寂しさだか何だか知らないが相手構わず体を開くヤリマン女性のような行状は、それだけに、輪廻転生を通して来世以降に課されるペナルティは甚大なものになると考えられるのだ。

期待値が大きいだけに、その落差(ギャップ)が激しいと、業想念を清算するための人生の中での償いは、より大きなものになると考えられるためだ。

例えば、宗教家に、それもかなりの地位や境遇に生まれついた人は、本当は神様からそれなりの期待を持たれている人だ、と考えることができる。

過去世を通したそれなりの想いと行いの積み重ねがあったからこそ、こうした地位につけただけではなくて、少なくとも他人の霊性を開発する、導くための貴重な立場に生まれつく訳だから、それなりに神様に期待されるのも当然だからだ。

ところが、これに反して、信者から集まる権力やお金にあかして、人々を救う、人々に尽くす、宗教家としての本分を果たさないどころか、私利私欲に走り、酒池肉林、贅沢三昧、享楽三昧に溺れたりしたら以降の輪廻転生は大変なことになることは、誰にでも容易に想像がつくだろう。

そして、宗教家に限らず、様々な面で恵まれて生まれついた人は、本来ならば、さらに人格的に高みを目指して精進すべきだ、ということになる。

せっかくの美男美女に生まれついても、霊性のことを何も知らずに、あるいは、知ろうともせずに、ただただ、肉体にまつわる各種の欲望だけを満たすことにうつつをぬかすような、この唯物論大全盛の今のこの世を、何とか少しでも好転させるために、人類の霊性の向上がはかられるようにするために、一人でもいいから世界平和の祈りをする祈り人が増えてほしいのである。

~~~~~

(*1)この話は、 ( おぶなより ) の ( 094_吸引力 )でもすでに触れている。

実際の人類の歴史(経緯)はどうなのかは知らないが(これを知っているのは本物の善なる神様しかいないでしょうね。現代の科学、それも公のものがどのようなものであるかを考えると)、このように考えた方が、肉体人間のこの世で生じさせた想いと行いが、輪廻転生を通して肉体人間の容姿に影響を及ぼすことと理屈の上では整合性がとれるからだ。

まあ、私の場合は、唯物論の理屈から攻め寄せて考えてみた次第。

(*2)逆に考えると、美男美女には生まれつかなかったにもかかわらず、デタラメの限りを尽くしてしまうと、以降の輪廻転生(つまり、来世以降)はどのようなことになるか。

これは想像に難くないだろう。

来世以降は想いと行いを正すから、今はちょっとぐらいいいだろう
=来世ではちゃんとします、
などの理屈は通用しないだろうね。

輪廻転生という仕組みには、そんな生易しい屁理屈が通用するものではない、と考えられるからだ。

だから、美男美女には生まれつかなくとも、いや、だからこそ、彼らをしのぐような、社会的・人格的な向上を目指して私達は努力をしていくべきだと言えるだろう。

肉体人間は、あくまでも元々の神体を目指しながら、常に進化・向上していかなければならない存在であるのだから。