019_特性2

( お断り ) 誠に勝手ながら、都合により、従来 ( 023_特性2 ) と ( 024_特性3 ) と分けて記載していたものを、ここに改めて ( 019_特性2 ) としてまとめ直すこととする。
ご了承頂きたい。
従来の文章はほぼそのままに(改変あり)、 ( 旧 ) というカッコ書きを頭につけて示した。

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( 旧 ) 023_特性2

前回 ( 022_特性 ) に女性を批判的に見ることの多い話を取り上げたけど、男性達は、どんなに女性の行状を口汚く罵(ののし)り、悪口を言っていても、内心は違うね。

ちゃんと信頼し合える女性と出会い、家庭を築き、子孫を残して、人生を共に歩んでいきたいと切望しているんだな。

女性の悪口を言いまくり、いつまでも執着をしているのを見ると、そのように執着しているのを見れば見るほど、そう感じざるを得ないのよ。

悪口や批判が深ければ深いほど、口汚さがきわまればきわまるほど、そして、執着が深ければ深いほど、本当に求めているものは違うことが読めてしまうのだよ。

だから、自らの輪廻転生を通して、良いことの一切ない(厳しい修行をして魂を磨き鍛えたいなら別なのかもしれないが)批判や悪口を言うのは、金輪際、もうやめにする。

批判や非難をするくらいなら、黙して語らず、自らの精進だけに気持ちを切り替える。

あとは、守護の神霊様に一切のお任せをする。

それぞれの過去世の因縁によって、結婚する定めの人はそうなるだろう(結婚はあくまでも修行の始まりという場合の方が多いだろう)し、独身のままの定めの人はそうなるだろう。

そこに、もう悪い因縁しか作らない業想念という余計な挟雑物は、挟まない。

そうしてもらいたいんですよねえ。

それはともかく。

前回は傾国の美女のことを書いたが、一般的には、世の男性は、同じく世の女性に自然に惹きつけられる。

おそらく、同性愛の志向がある人を除いては、男性は皆、女性の身体、声、仕草といったものに、えもいわれぬ魅力を感じ、惹きつけられるようにつくられているのだろう。

世の男性というものは。

しかし。

もしも、万が一、この呪縛(?)というか前提が無くなってしまったら、一体、どのようなことになるのだろうか?

まあ、要はあり得ない話なのだが、思考実験をしてみたいのですよ。

女性が男性を上から目線で査定する、おそらく最も中心とされるであろうところの 2 つの要因、すなわち、男性とのセックスを受け入れることと、男性の子供を産むこと。

恋愛や婚活において、女性が主として笠に着る、盾に取ってきたであろう、この 2 大要因を、その主導権を取り上げられたらどうなるか、と考えてみたいのさ。

彼女達が、自分優位にことを運ぶ強みというか、この 2 つの特権(?)を取り上げられてしまったら、何が残るのか、どうなるのか、と。

そうなってしまえば・・・。

もう男性が女性につける、マッチングアプリでの安易につけるいいねなんて、ほとんど無くなってしまうだろう(?)し、婚活パーティーの日本特有の女性超優遇の男女の不平等格差もなくなるだろうう。

無くならないまでも、かなり是正されることだけは確かだろう。

今までこの 2 大要因にあぐらをかいてきた(!)であろう女性達は、自然恋愛で恋人がいない場合に、新たに恋愛をしたり、結婚をしたければ、嫌でも今までの受け身の態度を改めざるを得なくなるだろう。

もう、男性達が媚びへつらわされるような、接待のように過剰に気を遣わされることもなくなり、お金もかなり節約できることになるだろう。

そして、さらに条件を課す。

それは・・・。

女性は、真善美に悖らない、神様のみ心に適う行いを、(これもあり得ない仮定たが)数値化する。

世のため、人のため、家族のために神様のみ心に適う範囲で尽くすこと。

これを点数化して、一定の水準に達しない限り、婚活には参加できないことにするのさ。

もちろん、男性も同様にする。

お金をいくら出そうとも、この水準をクリアしなければ、婚活には参加できない。

こうしたら、今の世の女性達の様相は、一体どのような形に変わるだろうか。

少なくとも、もう、男性を見下し、高圧的な態度を取る面接官のように、審査や吟味をすることなど、一切できなくなるだろう。

こんな傲慢な態度をとること自体が、そもそも、神様のみ心には適わないことだからね。

要はこういうことなのさ。

今の人達に、お釈迦さん在世当時の比丘(びく。男性の出家修行者)と比丘尼(びくに。女性の出家修行者)の戒律を短期間でも一定期間守ることを、恋愛や婚活をするための条件とする。

そうしたら、どうなるかな?

ただただ、恋愛や婚活をするためならと、必死に耐えることができるかな?

もちろん、耐えた後に、リバウンドしてしまったら、婚活を取り止めて、婚活できなくするのも当然の条件とするよ。

まあ、現代人には、この戒律を守ることは、たとえ短期間でもまず不可能だと思うので、それを神様のみ心に適った行いに置き換えてみた訳。

戒律を守ることからすれば、難易度は比較にならないほどに下がるけど、クリアできるかな?

と、とりあえず、ここでやめるけど。

まあ、考えてみるのも、一興かと。

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( 旧 ) 024_特性3

前回 ( 023_特性2 ) 、ああして書いたのは、女性の方(これを読むことはあり得ないな)は、あれでいいのですか? と聞きたかったんですよ。

あなた方は、男性を惹きつける、男性とのセックスを受け入れること、そして、男性の子供を産むこと、という、男性に対して優位に振る舞うための 2 大要因(誘因かな?)を持っている。

主導権を握っている。

恋愛や婚活で、一部を除き、主として男性側が、あたかも、おもてなしのように、下手に出ざるを得なくなっているのが、その何よりの証左です。

しかし、だからといって、あなた方は、男性に厳しい条件を突きつける、いわば、男性を見下すような人格しか持ちあわせていなかったのですか? と聞きたかったんですよ。

婚活という交渉の場で、自らが対男性に対して圧倒的に優位な誘因をもつならば、それをどう活かすか?

傲慢になり、誘因を活かして自分のわがまま放題にお相手を選ぼうとするのか、それとも、誘因を活かさずに謙虚な心がけで、自分に相応と思われるお相手を選ぼうとするのかは、あなた方が決める。

つまり、基本的に自由です。

婚活アドバイザーから何を言われて、何を参考にするにせよ、最終的に決断を下すのは、あなた方なのですから。

ただ、そこで私が聞きたかったのは、いかに自分が優位な立場にあり、それなりの誘因となる有利な条件を備えていたとしても、決して思い上がることなく、相手側の男性固有の役割を考慮しつつ、協力していくようにしていくのが、神様の分けられた命を頂いて生かされている者としてのあるべき姿なのではないですか? ということなんです。

例えば、婚活の場で、どうしても気に入った男性がいなければ、その場の男性に対しては、決して失礼のないように接していく。

あくまでも自分の希望だけを通すために繰り返し婚活を試みるのであれば、希望に合わないお相手に対しては、少なくとも失礼のないように振る舞うようにする。

あるいは、婚活の場を変えることができるのであれば、その場を変える。

そうして繰り返し婚活しても、希望に合う男性に巡り会えないのであれば、婚活をやめるか、婚活のやめ時を考えればいいのではないですか。

婚活の場を変えても、納得することができないのであれば、周りを変えたくても、変えることはできないからです。

つまり、周りの環境変数は変えることができないことになる訳です。

そうなると、今度は、自分を変える、すなわち、お相手に求める希望を下げるか、それができないのであれば、活動をやめることになるのではないですか。(*1)

そして、独身を通すなど、違う生き方を探る。

そして、違う方法を探るなりする。(*2)

しかし。

そもそも、男性と相対した時に、希望に合うお相手でも、希望に合わないお相手でも・・・。

おごってもらって当たり前。

楽しませてもらって当たり前。

要するに、奉仕させて当たり前。

あなた方は、本当にこれでいいのですか?

お互いを尊重し合い、協力し合うことはないのですか?

仮に、希望に合わないお相手でも、それなりに尊重して失礼のないように接することはできるはずです。

お断りをするにしても、失礼がないような配慮をすることはできるはずです。

仮に、お相手の男性に足りていないところがあったり、人格的にできていないところがあったとしても・・・。

それとは関係なしに、

あなた方は、ご自身として、気高く、毅然とした人格者として振る舞うことは、「ついに」ないのですか?

と聞きたかったんですよ。

最近、私は、「おしゃべり金玉」や「ジャッポス」という、信じられないような、とんでもない言葉をはじめて知りました。

もちろん、「おしゃべり金玉」や「ジャッポス」などの言葉は、いうまでもなく蔑称です。

それも、とてつもなく、悪質かつ低劣きわまる造語です。

言うまでもなく、神性からはかけ離れた、とんでもなく悪い言葉です。

ハッキリ言って、最悪です。

こうした言動が、輪廻転生を通して、果たして、ご自身に何をもたらすのか。

ツイフェミさんは、考えたこともないんでしょうね。

あるいは、こうした霊的なことを教える人が周りにはいなかったか、いたとしても鼻先でせせら笑って(これ嘲笑です)、バカにして(これ侮蔑です)、相手にしなかったんでしょうね。

残念です。

もしも、輪廻転生の仕組みが理解できていたなら、あんなとんでもない罵詈雑言(というよりも悪口雑言かな)は、絶対に言えないはずです。

女性は、男性よりもはるかに現実的で、保身への嗅覚が鋭く、利に聡い人達だからです。

ここで私が何を言っているのかについてのヒントは、 ( 011_気高い ) に書いてあります。

もしもお気になるようでしたら、ご参考になさって下さい。(*3)

私は、蔑称を用いるすべての方が、なるべく速やかに、蔑称を使うのを止めることを願っています。

皆様のご健康を心より願っております。

~~~~~

(*1)現状で何らかの努力をしているのに、お相手が見つからない以上、お相手に対する要求水準を上げることは、理にかないません。

要求水準を上げれば、ますます、お相手が見つかる可能性が減少するはずです。

残念なことに、婚活をする男性の大多数は、お相手の女性の若さを重要視する傾向があるからです。

ということは、時間が経てば経つほど、女性にとっての婚活は難しくなっていくことになります。

希望を下げたがらない、むしろ上げるような女性は、お相手の男性の年齢を自分以上に上げることを受け入れないことが多いので、婚活をする男性の大多数とは、特に同世代以下の男性と合うことは、かなり難しくなるからです。

ですから、お相手に対する要求水準を下げざるを得なくなるのです。

なぜならば、こちらが希望を出して選びたくても、お相手との合意が成立するためには、あくまでも、お相手から選ばれなければならないからです。

お相手が選んでくれない以上は、いくらこちらが希望を出しても、合意は成立しません。

でも・・・。

本当はすべておわかりなんでしょう?

というのが、私の考えです。

(*2)霊性の開発をして、結婚できるか、できないかを、すべて守護の神霊さんにお任せする方法。

(*3)まあ、多分、お読み頂けないでしょうから、簡単に書いておきます。

私達は神様の分けられたお命を本体としています。

ということは、肉体をまとい、この世でどれほど迷いに迷って、業が深い人であったとしても、その本質は気高く、清く、尊いものなのです。

私達の肉体人間としての命も、この身体も、すべては神様から与えられたものです。

ということは、本体も肉体も、間違いなく、気高く、清く、尊いものとなるのです。

その肉体人間を、肉体を、侮蔑する。

これは、真善美に悖る想いと行いの業想念となり、その侮蔑した当事者が世を隔てて、すなわち、来世以降に必ずなかったものとして、その侮蔑した当事者がその行いを償わなければならなくなるのです。

神様としての本質を持つ者が、同じく神様としての本質を持つ者を侮蔑する。

こうした場合には、すべてはなかったものとして、輪廻転生を通して、清算されなければならない仕組みになっているのです。

業想念は、やりっ放しでは済まず、来世以降には、必ずや報いが来るのです。

ただ、来世以降の時点では、今生での侮蔑した記憶(来世以降の時点からすると過去世の記憶)は、原則として消されてしまうために、その償いは、納得し難いものとしてあらわれてくるのです。

ごく簡単には、以上のようになります。

あとは、適宜、皆様でお考え下さい。