080_方丈記

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

有名な鴨長明方丈記の一節だ。

流れるように無常を表現した、日本の名文だな。

人の寿命の短さや、天変地異や飢饉や疫病に、ほとんどなすすべもなく人間としての運命や生死を翻弄されてしまう当時の世相を下敷きに書かれた文章なのだろう。

それに比べて現代はどうだろうか。

現代は、あらゆる面で、当時とは比較にならないほど、安全かつ便利で快適な生活ができるようになっている。

それでも、人間としていやが上にもついて回る、生・老・病・死と、過去世の因縁を原因としてこの世にあらわれてくる病・争・貧・苦は、相も変わらず存在している。

おそらく、人間として生きていくことには、なぜに、このようなものがつきまとうのか、という疑問は、当時の人も現代の人も、同じように疑問に思うのだろう。

やはり、
この世は、
思い通りにはならないで、
苦しいことばかり、
すなわち、
「思うがままにならない」
のであり
「苦」
なのは、
一体なぜなのか?
いかなる理由に依るのか?

「無意識に」
思わないではいられないんだろうね。

なぜなら、
私達、肉体人間の本体は、
神性(仏性)であり、
真善美に悖らず完全円満であり、
良き想いと行いにおいて自由自在であるはずのものが、
肉体をまとうことで、
著しくその自由を奪われ、
生・老・病・死と、
過去世の因縁を原因としてこの世にあらわれてくる病・争・貧・苦を、
いやが上にも味わわざるを得なくなってしまっているから。

本来ならば、このように神性を元にしている肉体人間でも、自らの神性を悟ること=悟りを開くこと、ができなければ、世の中を呪っても、神仏を呪っても、おかしくない可能性がある。

それを、
恨み言を言う訳でもなく、
切々と無常を訴えるでもなく、
冷静な抑えた口調で淡々と無常をあらわす文章を書いている。

鴨長明さんの気持ちがもっと知りたい気もするね。