100_完成度2

前回 ( 099_完成度 - おぶなより2 ) の続き。

東映時代劇 YouTube右門捕物帖 (第 1 話と第 2 話)についてのこと。

第 2 話の最後で、おきち(竹下景子さん)が田舎に帰る別れ際に、右門(杉良太郎さん)が、おきちの肩にそっと手をおいて(多少、重めで長めかな?)別れていく場面があったが、ああいう風に気持ちを通わせても、決してベタベタし過ぎないで、余韻を残した別れ方も、また、良かったな。

おきちは、また(右門のような頼りになる同心がいるから)江戸に戻ってくると言っていた(「安心だもの」というおきちのセリフからこれが読み取れる)が、運命はどうなるかわからない。

おきちと右門とは、永遠の別れ、今生の別れとなってしまうかもしれない。

それでも、あの程度で済ますのが、奥ゆかしくていいじゃないか。

海外のお国によっては、濃密きわまる、ハグだの、キスだの、となるのかもしれないが、日本だったらあれでいいんじゃないか。

たとえ、その昔、日本に夜這いがあった国だったとしても。

もしかしたら、この右門捕物帖の制作当時の貞操観念もかかわっていたのかもしれないが、現代のように(?)、どうせ、究極はセックスでしょ、のように身も蓋もない、あられもない姿のような(?)劇よりも、趣があっていいと思うんだけどな。

まあ、あの劇中のおきちと右門は、それほどまでには、深く想い合う関係ではなかったようだが、それにしても、想いは通じていても、結ばれず(セックスや結婚にいたらず)別れていくのも、また、はかなく、美しい思い出になる可能性があると思うのでね。

仮に、めでたく結ばれても、その後すぐに別れることになったかもしれない。 

または、結ばれて、しばらしてから、ドロドロの愛憎劇が展開されたかもしれない。

しかし、そうした結果のいかんにかかわりなく、とにかく、相手を想いながらも、あらかじめ別れを選択する。

潔く。

つまり、あのように、自制をして、相手を大事にする気持を持ち、未練をわずかに残しての(?)別れもまたいいものだ、と思わされたお話でした。

相手を尊重しながら(尊重するからこそ?)、あえて距離を置く。

それも、また一興(アリ)かと。