111_判別

前回 ( 110_心構え - おぶなより2 ) で、ブログなどで、羊頭狗肉の見出しを用いないことと、物欲しそうな釣り見出し(例えば、○○などの伏せ字を用いたもの)を用いないことに触れた。

これは、個人的な志向というか、あくまでも好みの問題になるのかもしれないが、例えば、ユーチューブなら、こうしたことを 3 回食らわされたら、どんなに後ろ髪を引かれても(?)、もう、二度とその発信者の動画は見ないと決めている。

絶対に守れる自信はないが、とりあえずは、このようにしている。

というのは、発信者とはいっても、発信者その人自身ではなく、他の、例えば、有名どころの人の発言をまとめてある動画もあるからだ。

私は、「もう、二度と騙されるもんか」と業想念を抱くのは嫌だ。

想いを乱したくないからだ。

私は「騙されるのもまた一興」とまでの精神的な余裕は持ち合わせていない。

本来なら、これも過去世の因縁の現世(この世)での時を経て消えてゆく姿、と突き放して見なければならないところなのだが、やはり、羊頭狗肉という人様を欺く詐欺の手法と、こうした視聴数を稼ぐために人をないがしろにする狡い姿勢に嫌悪感を抱いてしまうのだ。

中には、残念だなあ、と思うものもあった。

タイトルさえ、姑息なことをしなければ、中身は地道で丁寧にまとまっていたものもそれなりにあったからだ。

やはり、正攻法でまとめた動画でも、ありきたりな、真っ正直なタイトルでは、視聴数を稼げないと思ったのかな。

非常に残念。

この世での肉体人間には、一応、自由意思が与えられているから、気高くいこうと思えばどこまでも気高くいけるし、逆もまた可なり、だ。

ご本人の意思決定次第だね。