140_姿勢

霊魂。

霊感。

輪廻転生。

信じる人は信じるし、信じない人は信じない。

これは、おそらく、その人次第。

もっと言えば、その人の過去世からの因縁因果次第。

世の中で、目には見えなくても、存在としてあるものは様々。

身近なところで言えば、リモコンの電波。

目には見えないけど、電波は確かに存在する。

(リモコン本体の不良または故障、そして電池切れという不具合がない限りは)リモコンの操作をすれば誰にでも確認してその存在を証明できる。

しかし、リモコンの電波の存在が証明できたからといって、即、その他の霊魂などの目に見えないものがあるとはならない。

目に見えないものが、確かに誰にでもわかる形で存在するからといって、こんな論理の飛躍はできない。

リモコンの電波が確かに存在するからといって、霊魂があるとの飛躍した話にすることはできないのである。

万人が納得できる絶対的と言える形で、その存在の証明ができなければ、唯物論に染め上げられている圧倒的大多数の現代人は不確かなものを信じることはしない。

リモコンの電波の存在は、その操作をすることによって、誰にでも納得できる形で、しかも、今現在すぐにでも、電波の証明が可能だ。

しかし、霊魂はこのような形の証明ができないのである。

霊感もそう。

誰にも言わなかった、絶対に他人には知り得なかった心の内や事実を言い当てられたからといって、霊感の絶対の証明にはならない。

唯物論的な何らかの別途の可能性を常に考えることができるからだ(コールド・リーディングみたいにね)。

輪廻転生も同様だ。

要は、霊魂の存在も、霊感も、輪廻転生も、信じるか信じないか、という問題に帰着することになるのである(今のところ)。

実際には、誰しもがその深層には神意識がある訳だから、信じる気持ちを抱いていなくても、何となくは信じている人は多いと思われが、公に、対外的に認めるかどうかとなると、話は別になってしまうからだ。

個人の固有の体験から、霊魂や、霊感や、輪廻転生を信じるのは、あくまでも本人の自由だ。

ということになってくると・・・。

未確認の案件もそうだが、霊魂や霊感や輪廻転生を語る場合には、人様にこれを信じてもらいたい、あるいは、その事実を伝えたい、という場合には、それなりに真面目な、あくまでも真摯な姿勢が必要になってくるということになる。

興味本意や、おどろおどろしい形や、不安や恐怖を煽る形は、絶対に避けるべきだ、ということになってくるのである。

(今のところ)絶対に証明できない、信じてもらえない事実は、周辺の状況をひたすら誠意で固めておく、真面目な態度で事に臨むことが、最低限必要になってくると考えられるのだ。

信じるか信じないかはあなた次第

しかし、私は持てる限りの誠意のすべてを尽くす。

できる限りの力で、真っ正直にことに臨み、信義誠実の原則を貫く。

間違っても、おちゃらけた形や、ふざけた形、すなわち、悪ふざけしたり、不安や恐怖を煽るような形で脅したり、すかしたりすることはしない。

そういった姿勢が必要になってくるのだな、現段階では。

たとえ妄想と言われようが、どんなに他人からバカにされようが、自分としては正真正銘、わが良心(や守護霊さん)に照らして、一切の偽りはない。

こうした姿勢が必要になってくる、と。

つまり、物事をするに当たっては、その内容に応じた、それなりの姿勢が必要になってくるということです。