前回 ( 140_姿勢 - おぶなより2 ) なぜ、あのようなことを書いた(思いついた)かというと。
ユーチューブでいわゆるオカルトものの心霊写真や UFO のものなどのいくつかを見たのだが、確かに本物っぽいものはある。
しかし、どれもこれも、思わせ振りというか、ほのめかしというか、あまりハッキリと感じられたものがなかったのである(たまたま映像が小さいなどだったからなのかもしれないが)。
テレビ番組ならおどろおどろしい思わせ振りな演出、いわば過剰演出が当たり前のようになされるから、それがない分、煩わしくないのは好ましいのだが、何とも存在のアピールの仕方(?)が中途半端というか、いかにも信じない人には否定しやすい形のものがほとんどのように感じられたからだ。
今は映像の加工や創作の技術も半端ないものもあるだろうから、創作や演出の可能性(つまり、捏造)も十分に考えられる。
昔には、ファティマの奇跡というのがあったということになっているが、少なくともあれくらいの規模でコトが見れないと、奇跡や未確認などといった事象は、とてもではないが万人に納得させられるものとはならないだろう。
仮に、ファティマの奇跡が事実だったとして、私達よりもはるかに進化した宇宙人がいるならば、あの程度のショーを見せることなどは容易(たやす)いことだろう。
それにしても、予言がどうにもあまりあれなので気になるが・・・。
それはともかく。
何が言いたいのかというと。
もしも、今のところ公表されていない高度な科学技術や宇宙人から授けられた技術(?)があるとすれば、私達はいまだこれらを授けて頂ける段階にはない、と考えられるということ。
仮に、一部の人が何らかの利己的な意図で技術を独占していたとしても、神様のご意志として、すべての人々に開かれたものとすべきであるとご判断されたのならば、公にならないはずがないのではないか、ということ。
逆に言えば、心霊現象や未確認の事象がいまだに現段階のような状況にあるということは、私達の人間としての段階がまだまだ至らない、と考えられるということだ。
つまり、残念なことに私達が過去世から溜め込んでいる、真善美に悖る肉体人間として抱(いだ)いた想いとその行いの業想念が、まだまだたくさんあるために、遺伝子や波動やエネルギーなどの可能性が封印されている状態になっているのではないか、ということ。
それでも、神様が時宜を見計らって、すべての人々に真実を知らせようとご決断されるならば、神様は絶対の存在なのだから、誰がどのように抵抗して技術を独占しようとしたところで、それはできないことになるだろう。
神様が、そのご判断の下(もと)に、革新的な技術を公にしようとさえお決めになれば、一部の人の意図に関係なく、どんなこと(もちろん、真善美に悖らない範囲で)をしてでも、明らかにされることになる、と考えられるからだ。
つまり、私達がそれなりの人格の向上、言うならば、霊性の開発がなされていなければ、事実は公にはならない、ということ。
ということは。
少なくとも今の段階では、あのような内容を扱う場合には、(まだまだ至らない段階の)私達としては、謙虚な姿勢で、できる限りの誠意を尽くしておくことが必須だ、と考えられるのである。
証明できない不確かな状況でしか、物事を扱えない、いわば、まだまだ、その程度のお許し(?)しか出ていない段階では、人間としてできる限りの誠意を尽くしておくしかない、と考えられるということ。
真面目なのはカッコ悪いだの、面白くないだの、などと考えているうちは、まだまだ、到底、ダメダメだな、と思わざるを得ない次第である。