159_一択

私達、悟りを開けない普通の人間は、どうしても身の回りや社会に起きてくる、様々な不安や恐れを払拭することができない。

神様がいずれ地上天国化を予定しているならば、いかなる時間がかかろうとも、いかなる紆余曲折を経ようとも、最終的にはこの世に神様の世界である神界が映し出される、実現する運びとなるはずだ。

万が一、これが実現されない場合があるとすれば、神様がこの世の私達をはじめとして、そのお命の息吹きを吹き込んだ、ありとあらゆるものの愚かさに見切りをつけられて、地上天国化をお取り止めになり、すべてを中途でご破算(リセット)にすると判断された場合だけだろう。

従って、どんなにこの世が乱れ、あたかも悪魔かと思えるほどの魑魅魍魎のような存在が跳梁跋扈していて、阿鼻叫喚の地獄絵図があらわれることがあったとしても、神様の本質には適わないものは、一切合切、最終的にはすべてなくなる。

真理に背くもの、善に背くもの、美に背くものは、要するに、神様の愛に背くものは、いやが上にも、最終的にはすべて消えてなくなる宿命にあるのだ。

もちろん、間違った宗教も同じだ。

どんなに信徒がいようと、力があろうと関係ない。

つまり、神様が、善なる絶対者である限り、どんなにおかしなものが栄えていたとしても、所詮はわが世の春に過ぎないものであり、最終的には消えてなくなっていってしまうということ。

愛に満ち、調和に満ちた世界だけが完成されて残る。

神様の善なることを信じ、神様の絶対さを信じる者は、あくまでもこの前提を崩すべきではない。

よって、私達は、どんなに不安や恐怖を煽られても、本来ならば不動心を持って、神様を信じるべきなのである。

しかし、悟りを開けない一般的な私達には、これはまったくと言っていいほどにできないのが、実際のところだ。

なぜならば、私達は、人間=肉体人間という肉体人間観に縛られているために、生活を脅かされることや、その元となる身体を損なうことは、絶対に避けたいと考え、不安や恐怖に煽られてしまうと、右往左往、周章狼狽しないではいられないからである。

しかし、残念なことに、本来なら神様の道、完全円満な平和な世界への道を説くべき教え(唯物論と唯心論の双方含む。要するに、ちょっとした良心しか含まない唯物論と宗教のこと)に、人間を恐れさせ、脅かすものがはなはだ多い。

教えだけではない。

星の配置や姓名判断や、人間のこれからの運命の手がかりになるものを、研究しようとするもの全般がそうだ。

個々の人間の過去世からの想いと行いの集積が反映されて、この世にあらわれる、人間の抱く想いと行いが、輪廻転生を通してこの世にあらわれてくる、そしてさらにその集積がこの世の有り様になるものだとすれば、個々の人間でどうにもならないこと、特に、これから社会に起きてくる可能性のある悪いこと、中でも不安や恐怖を煽ることは、有害であって、無意味にしかならない。

個人個人の運命レベルの出来事ならば、緊急避難として一時的に対処できる可能性があるかもしれない(対処できたように見えても、その実、因縁の完全な解消になっていない場合となる可能性があるから)が、社会の流れのような大きな問題になれば、いくら不安がっても、いくら心配しても、どうにもならないことは、どうにもならないからだ。

だから、人々に不安や恐怖を与え、周章狼狽させることにしかならない予言などを含む教えや、運命の手がかりを研究する占星術や姓名判断は、愚かしいものに思えて仕方がないのである。

何のために、教えを説くの?
何のために、星占いをするの?
何のために、姓名判断をするの?

もちろん、ほとんどすべての人が、この世での不幸や災難などを避けて「願いを叶える」のように、現世利益一辺倒になるのは、やむを得ない側面はあるだろう。

病気などの不幸を何とかしたいなどのこの世での解決したい切実な悩み事が、教え(主に宗教)や占いなどに入るキッカケになることが、きわめて多いからだ。

しかし、無意識ではあっても、本人のためになる、本人が本当に神様の子供として、輪廻転生を通して(それもできることならなるべく今生のうちに)正しく、幸せになることへの願いが、その根底にあるはずだ。

だったら、本質的にするべきことは、ただ一つ。

人間として、できる限り、不安や恐れを抱かないようにして、良い想いを発するようにしていくことしかない。

過去世の良くないことの償いとしてこの世に起きてくる好ましくないことは、因果として受け入れるか、祈りと感謝行で、守護の神霊さんの許される範囲で浄めて頂き、この世で具現化する前に消して頂くより他はない。

何の対処もできないのに、人々の不安や恐れを煽るのは、愚かしい、もっと言えば、悪質だと言わざるを得ないのである。

何の処方箋も示すこともできず、不安や恐れを煽るのなら、今すぐそんなことはやめて、今からでも、何べんでもいいから、世界平和の祈りをして頂きたいのだ。

悪い不安と恐れを煽る、予言も教えも、占いも、結果として悪いものしかもたらさない一切のものには、いち早く見切りをつけてほしいのである。