161_読後感

ここ 10 年くらいでインターネットがつまらなくなった(とされている。その人はこう判断している)ことに関して、かなりのアクセス(調子がいい時には月 30 万以上もあったらしい)を稼ぎ、自らの懺悔も含めて書いてある、ネットの記事を読んだ。(*1)

だいぶ前に食品業界にいた人が書いた懺悔本(?)を読んだ時と同じように、それなりに当事者ではあった人の懺悔内容のように思えた(関与の度合いは著しい差があるが)。(*2)

アクセスを稼ぐために、無数のまとめ記事を作ったり、扇情的なタイトルを作ることに入れ込んだことなどが、ご自身の懺悔とともに書かれていたからだ。(*3)(*4)

ただ、まったくの分不相応な物言いで申し訳ないのだが、私はこれに対して言いたいことがいろいろとある(クソという言葉の使用も含めて)。

しかし、ここでは書かない。

ただ、懺悔をするお気持ちがあるのならば、是非とも「世界平和の祈り」をして頂きたいですね。

だって、済んでしまったことは、もう二度と取り返しがつかないのだから(話がややこしくなるので、過去世に関する話は省く)。

どんなに唯物論で責め裁いて、ああだこうだと人様のことをとやかく言っても、結果はほとんど業想念を招くことにしかならない。(*5)

従って。

実質、未来に向けて唯物論ではどうすることもできないのが実情なのだから、世の中の流れをよくするために、たとえ地味で目立たなくても、社会を構成する個人個人の因縁因果の改善をしていくことをして頂きたいの。

抜本的な改善に向けての、適材適所の人材の配置は、すべて神様のご差配にお任せする。

俺が、私が、としゃしゃり出ない。

論争しない。

個人でできることは祈り。

後のことは、すべて神様にお任せ。

あくまでも、世界平和の祈りと守護の神霊さんへの感謝行を基底に、自然の流れで起きてくる良い方向を願いながら、神様にすべてをお任せするの。

そうして頂ければ、ありがたいですね。

懺悔のお気持ちがあるだけでも、かなり謙虚な何よりの証(あかし)だから。

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(*1)懺悔~ざんげ~自分の過去の罪悪を悔い改め、神仏や人に告白すること。

(*2)今でもあの本があるのかどうか知らないが、とにかくその内容は、いやが上にも昨今の日本を絶賛する人達を黙らせる・・・という厳しい内容だった。

いくら霊性的な美点があっても、こんな制度的に深刻な大問題が野放しにされているのは、どうなの?といった・・・。

あくまでも、自己申告のようなものだから、信憑性がどれだけあるのかはわからない。

しかし、もし書かれていたことが本当だとしたら・・・。

自分の子供にしたくないことは、人様にしてはいけないことくらい当たり前ではないのですか?

たくさんやりにやって、あとでどうにもならくなってから、大後悔・・・。

ずいぶん、矛盾してますね。

だったら、途中でやめればよかったのに・・・。

いつでもやめようと思えばやめられたのでは。

ことの重さを考えたら、やめるのが遅きに失することは決してなかったのだから。

今となっては、何を言ってももう後の祭り。

社会に広まってしまった既成事実は、もはや個人の裁量、いや組織の裁量でも、もはやどうにもならないことになってしまうから。

これじゃあ、前向きなことで、しかもできることは、実質的に祈りしかない・・・。

後悔をたくさん並べて、 1 冊の本にするなら、祈りをして下さい。

否、是非とも祈りをして下さい。

食品業界にいた人の本を読み終えて、そのように感じたことを覚えています。

(*3)扇情~せんじょう~情欲や感情をあおり立てること。
(用例)扇情的なポスター。

(*4)情欲~じょうよく~異性に対する性的欲望。

(*5)人様~ひとさま~他人の敬称。