215_ひねくれ者

私事で恐縮だが、私はひねくれ者である。

なので、唯物論的に物事を見る場合、どうしても、裏読みをしてしまう。

元々は、非常に素直で、人の言うことを真に受ける純粋な子供だったのだが、小学校時代に始まり、人の本音と建前のあまりの落差に驚愕することを、何度も何度も繰り返し経験してきたために、次第に物事をあるがままに素直に見ることができなくなってしまった。

フロイトの反動形成のような形で、他人の心理を裏読みするようになってしまったのである。

まあ、純粋と言えば聞こえはいいが、トロかったので、単細胞で鈍いだけたったのかもしれないけどね。

それでも、やはり外(社会)で、素直なものの見方をズタズタにされてきて、その影響がきわめて大きかったことだけは確かだ。

それはともかく。

つい最近、とあるサイトで、

「鏡見てないの?ブサイクな人ほど“面食い”を公言するワケ」

という記事を見かけた。

これをお書きになっていたコラムニストの玉恵さんという方は、とても真面目で誠実な女性なようで、そうした面食いの彼ら(同じく面食いの女性の話も出ていたので、以下、彼らにの中に彼女らも含める)の言われていることを、素直に受け取った考察をされていた。

だが、私の見方はまったくの逆。

正反対。

あまり詳しくは書きたくないので、簡単に言うと、彼らはすべてをわかっている。

よく理解している。

だからこそ、身と心に「強固な鎧」をまとって、あのような言動をしている。

見方を変えれば、彼らは決して不自然ではない、首尾一貫した行動をとっていることがわかるのである。

そして、彼らは、実はとても繊細で傷つきやすい心の持ち主であるということも(無意識な形で、その心の内を訴えてしまっているととらえることができるから)。

理屈の展開は、以前に ( 038_望み2 - おぶなより2 ) に書いたこととほぼ同じ。

もしも、こうした彼らに遭遇した場合には、このような彼らの内実は一切触れず(指摘したり、暴き立てたりせず)に、(こちら側としては)こうした彼らの物言いはひたすら受け流して、彼らのために、ただただ黙って、世界平和の祈りと、彼らの天命がまっとうされますように、と祈るだけですね。

それだけです。

いつの日にか、彼らも世界平和の祈りをするようになってくれることを願いながら。(*)

ちなみに。

また、私事で恐縮だが。

私なら自分を本当に愛してくれる女性がいれば、どんな女性でもありがたいと思いますけどね。

この世知辛い浮き世を、艱難辛苦をともに分かち合い、信頼し合って生きていける伴侶(パートナー)がいるだけでも本当に幸せだと。

さらには、この地球上で、たった一人でも、無償の愛を与えてくれる人に出会えるならば、それこそ無上の喜びに違いないと。

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(*)これはあくまでも個人的な独断と偏見による推測だが。

彼らは、本当は相手の容姿をさほど重要視していないのではないか。

容姿よりも、本当に信頼し合える、支え合える、真の愛情を注げる相手が出現すれば、彼らの気持ちは満たされるように思われるのだ。

額面というか、表向きの言動とは裏腹に、内面では互いに愛し合い、信頼し合い、労り合える真実の愛情を欲している、と。

ただ、輪廻転生を通した彼らの魂の成長に最適な道筋をご存知なのは、彼らの守護霊様と守護神様なので、こちらからはほんのわずかでも、祈りの光を投げかけることをしておきたいと考える。

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(追記)
まあ、今回は自分が他人の表向きの建前を疑い、まずは裏読みから始めるのを、自分か経験させられてきた外部的な要因になすりつけた次第。

だが、理想を言えば、どんなに他人の本音と建前の違いに驚愕させる経験をさせられてこようとも、他人を信じるに越したことはないし、そうしたいとは思う。

ただ、現段階でのこの世では、誰もが自己保存の本能に縛られ、自らとその近しい者のための利害得失に狂奔するのが常だから、牧歌的で無条件に他人を信じて生きていくのは無理がある。

やはり、人々がお互いを純朴に信じあえる世の中になるまでには、まだまだ、長い時間がかかりそうだと感じざるを得ない。

仏教の五戒の一つ、不妄語戒さえ守るのは、万人にはいまだ至難の技という段階なのも、やむを得ないと言えるだろう。

ただし。

だからといって、ウソがいいなんてすすめてるわけじゃないからね。

やはり、可能な限り、ウソは減らすことが望ましい。

ましてや、自分の邪な欲望を叶えるために、大きなウソをつくなど論外だからだ。

特に私服を肥やすためのウソや、権力欲を叶えるためのウソは最低・最悪だね。

ウソがかろうじて許されるとすれば、本人に重い不幸や災難がやむを得ずにのしかかっていることがわかっているような場合に、それをあからさまにしない、何とか本人が傷つかないように、本人を痛めないように配慮するウソくらいかな。

例えば、逃れられない過去世の因縁から、あと数年は辛抱しなければならないとか、絶望的な展望しかない場合に、それを本人に告げると、その本人の不幸や災難をさらに重くさせて、加速させることになってしまうからだ。

ウソも方便というのは、こうしたケースのためにある言葉なんじゃないのかな。

とにかく。

こうした場合は、とにかく本人のために陰ながら運命の好転を願って、影に日向に支援していくしかないでしょうね。

そのためには、世界平和の祈りは、とてもいい祈りだと思いますよ。

目に見える劇的な、短期的な効果はわからなくても、間違いなく、良い因縁を積む行為に他ならないのだから。

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(お断り)
はじめは、ブサイクという言葉を使うのが嫌で、○○イクと伏せ字にしていたのだが、読まれる可能性のある方に、思考の手間をとらせるのも不親切だと思い、あえて伏せ字をやめて、元のままを使わせてもらった。

私は、バカ、アホ、ゴミ、グズ、ジジイ、ババア、BBAなどを使わないような内容を書いてきた手前、本来は使うべきではなかったのに、使ってしまった。

よくない表現を使ってしまい、申し訳ありません。

お詫び致します。