187_無意識の人格者(改)

以前、 ( 183_無意識の人格者 - おぶなより2 ) で、日本人を、誉めちぎるほど誉めちぎってしまった嫌いがあるので、個人的な経験も踏まえて、わずかだが訂正をしておく(ただ、先人の方々に対する哀悼の意をあらわすことは変わらない。ご先祖様あっての私達だから。よって、個々のご先祖様にまつわる系譜と他の世の中の霊道を浄める意味でも、世界平和の祈りをすすめている)。

あそこに書いたことは、おおむねその通りだとは思っているものの、人格が深く深く高められた段階から発するようになる想い(=想いが浄まった状態から滲み出る想い)と行いは、残念ながらさして多くはないのが実情で、まだまだ儀礼的というか、建前上、あのように振る舞う人が割方いるのではないか、と感じる話を書こうと思ったからだ。

つまり、人格の向上が、本来の日本人の理想のあるべき水準からすれば、まだまだ不十分だと思うのである。(*1)

マスコミ(新聞とテレビはほとんど見なくなってしまったが)、そして、ネットを見ても、まだまだだと感じざるを得ないからだ。

もちろん、儀礼的にしろ、建前上にしろ、ああした他者を尊重する態度を基本としてあらわすことは素晴らしいことには違いないし、個性の主張を強調するあまり、こうした礼儀がないがしろというか、無視されがちな海外の人達とは、明確な一線を画していることは確かだとは思う。

ただし、肉体人間、神様の分けられたお命を本質とする肉体人間としては、もっともっと深く深く、その本質である神性に根ざしたものが必要だと思わされることが、まだまだあるのである。

私は男なのだが、例えば、同性について、いまだに思わされることがある。

以前、 ( おぶなより ) にもちょっと書いたことがある ( 033_変化の兆し - おぶなより ) のだが、ああした、本質的に異性=女性にしか興味がわかず、同性の男性を同じ神様の分けられたお命を頂く同胞として尊重する態度に欠けた男性を、いまだに見かけることがあるからだ。

もちろん、日本人として最低限の礼儀をわきまえた人が大多数なのは確かだと思うのだが、一皮剥くと、とたんに「ひでえなあ」と思わされる男性に何人も出くわしてきているのである。

やっぱり、これは私自身が幼少時から喘息があったり、元々、気が弱く小心者で、小学校時代に悪魔のようなどうしようもない人間に長い間いじめられたりしてきたことで、ビクビク癖が身についてしまい、相対する人間の様子をすぐに窺い気にしてしまうこと、そして、身近にとても信心深い祖母の姿を間近で見てきた影響がかなりあるような気がしている。

だから、すぐに醜悪な本音が顔を出す、こうした底の浅い儀礼的な人間に出会ってしまうと、失望させられることになるので、もっと神性に根ざした人格の高い人を無意識に求めてしまうところがあったのかもしれない。

両親も真面目な人間なんでね(俺よりもずっと)。

まあ、あの浅薄な男達は、私自身の過去世の因縁の悪さのために、あらわれたことなのかもしれないが、とりあえず、それは置いておく。

最低限の礼儀を尽くしている時にはわからないが、こちらに悪意がなくても、たまたま、誤解などがきっかけでちょっとトラブルぎみになったり、対立しかけると、とたんに態度が急変、高圧的になり威張りくさったり、果てはケンカ腰になるような男達に何人か出くわしている。

まあ、ちょっと不穏なことがあると、とたんに表面上の取り繕いというか、礼儀が崩れ去って(?)、その下にあるまだまだ磨かれていない人格がすぐに露になるような男達に出くわしてきているのだ。

すぐに、化けの皮が剥がれると言っては言い過ぎかもしれないが、一皮剥くと「こんなもんなのかよ」という男が何人もいたのである(まあ、アホ、バカ、グズなどの言葉は使わないにしろ、俺もこんな言葉遣い(「ひでえなあ」「こんなもんなのかよ」)をしているから、本質的には彼らと似たり寄ったりで、彼らのことをとやかく言えたものではないのかもしれないが)。

おそらく、こうした彼らでも、相手が女性(ことに若い女性)となると、とたんにやに下がって、まったく違った態度をとることになる(可能性は高い)んだろうな。(*2)

だから、対女性には、どうしても甘めになりがちな傾向があるにせよ、同性たる男性に対してもなるべく変わらないような対応をごく自然にできるようになるまで、人格が磨かれることが望ましいのである。

もっと言えば、老若男女あらゆる人に対する態度が基本的に変わらないことが望ましい。

これの意味するところは、相手が年端のいかない子供であろうが、お歳を召された方であろうが、自分にとって嫌な相手(=自分にとって過去世の因縁の悪い相手)であろうが、相手に接する態度が変わらないことである。

もちろん、相手を尊重する穏やかさを基底とする態度が基本だ。

相手の中にも、自分を生かして下さっている同じ神様の命が宿っていることを踏まえて、何気なく自然に尊重するようになることができれば、理想的なんだけどね。(*3)

ちなみに。

その男達は、外見はまあ普通だが、取り立てて容姿がいい方ではなかった。

普通か、それよりもちょっと下といった感じかな。

ただ、そうした人が威張ったり、怒ったり、ケンカ腰になったりすると、余計に外見が悪く見えたな。

彼らには、何か日頃から鬱屈したものや、不満でも溜まっているのかな?

よくわからないが。

まあ、あんな若い女性以外の同性(=男性)に対する態度を何も感じずに当たり前だと思って振る舞う状態が続いている限り、所詮、容姿なりの人格しかそなえていないんだな、この男は、と感じてしまうんだけどね。

でも、こうしたなげやりで、相手を貶すような想いは、業想念になってしまうことには変わりがないので、やはり、祈りで神様におすがりして浄めて消して頂くようにするしかないな。

業想念を浄めてなくすために。

そうして、さらに相手の男の守護の神霊さんにお祈りできるのが理想だろうな。

この男の守護霊さん、守護神さん、お願いします。彼の人格が向上しますように、彼の霊性が少しでも開発され、彼の天命がまっとうされますように、と。

俺は人様に対しては基本的に低姿勢だし、まったく利害関係のない初対面の同性からみても優しそうに見えることが多いようなので、ヤンキー的な相手を構えさせるというか、威嚇する迫力は皆無だと思う。

だから、往々にして、なめられてしまうのかもしれないな。

背だけは高めなんだけどね。

体格が普通かそれ以上だった時はともかく、今は病気のせいでかなり痩せてしまったから、余計に迫力不足(?)なんだろうな。

スラッとしていると言えば聞こえはいいのかもしれないが、肝心の内臓が丈夫でそれなりのしっかりとした筋肉がないと、さらには健康でないと、本当に意味がないような気がして仕方がない。

健康が一番。

健康が最高。

失ってみなければわからない人が多いのかもしれないが、健康が何にも増してありがたい宝物なんですよ。

とにかく、まあ、今のところ、容姿に秀でた男で、すぐにこうした醜悪な本音が露呈するような人間には出くわしてはいない。

女性に関しては、容姿と性格がピッタリと比例するという、絵本にある説話のような不思議な経験をしているけどね。

ああした男達は、ちょっとトラブルと、とたんに地金が出てしまうというか、一呼吸する余裕や、一旦、相手の事情も思いはかる余裕がまるでないような感じがしたな。

ちょっとしたことで、すぐにキレぎみになり、地金(正体?)をあらわしてしまう、という。

だから、人格の向上が、まだまだ足りないんじゃないかなあ、と思うんだ。

こうした人達にも、世界平和の祈りをしてほしい、と切に願うね。

いや、それだけじゃないな。

善人から悪人(?)までも含めて、老若男女のありとあらゆる人に世界平和の祈りをしてほしい。

そう切に願っている。

(追記)

後日、( 192_傍若無人な金髪碧眼 - おぶなより2 ) を書いてバチが当たったのか(?)、最近、今度は私鉄でこの手の身勝手な外国人達に遭遇した。

今度は若め( 30 才前後)の男二人組だった。黒髪の男と金髪の男だった。

どうも話しているのは、ロシア語らしい。その二人のうちの黒髪の男がやはり私が遭遇して降車するまでの数駅の間、ずっとしゃべりまくっていた。

金髪の男は、あまり話さず、ほとんど話を聞いていた。

しかし、日本の電車内で我が物顔で話をする外国人は本当に超鈍感人間だな。

満席で、立っている人も半分ほどいても誰一人話をせずに静かにしているのに、ずーっと一人でしゃべってやがる。

面を見ても、緊急性のあるような深刻な話ではないような感じに見えた。

だから、多分、大したことない雑談なんだろう。

おそらく、ここに書いた日本人の男達でさえも、あの場にいれば、やはり、日本人らしく礼節を保って静かにしていただろう。

彼らの人格がまだまだだとはいっても、日本人と先の外国人ママさんや今回のロシア人らしき男達とでは画然とした差があるだろうからな。

あんたの部屋じゃないんだ、日本の電車内は。

日本人のみんなの努力で築き上げてきた尊い礼節を傍若無人に汚すのはやめてくれ。

あんたの国と日本は違うんだ。

よっぽどいってやろうかと思ったが、我慢した。

ケンカになったら、周りに迷惑をかけるからな。

しょうもねえ、外国人さん達だ。

~~~~~

(*1)今はかつてのマスコミに加えてネットがあるから、情報の収集の幅は比較にならないほど広がった。

しかし、だからといって万能ではない(詳細は省く)。

それと、これは余計なお世話になるのかもしれないが、他人の意見に惑わされないように自らの神性と深く照らし合わせて物事を見てほしいのだ。

極端なことを言わせてもらえば、もういい加減、オピニオンリーダーのような人達(?)に頼ることは卒業してほしいのである(これも理由は省く)。

社会の出来事に対して「じゃあ、あの人は何て言ってるんだろう」とすぐにそうしたオピニオンリーダー(?)の意見をチェックすることはやめて、ご自身の神性と対話しながら物事を俯瞰するように見てほしいのだ(中にはヘライザー総統というツルンとした感じ(?)の女の子(高校生か大学生か?)を表看板( MC (?) )として表に出しているものもあるが)。

どうしてもこうした人達の意見を知りたくてチェックしたとしても、そうした彼らの意見はあくまでも軽い参考までにとどめる(できることならこの際、チェックそれ自体も一切やめてしまってほしいんだけどね)。

あくまでも軽い、軽い、軽ーい参考までに止めるのである。

所詮、一次情報はわからないのだし、情報を発信する個人として、完全な独立不羈の立場でい続けることは不可能な世の中だからだ。

だから、素直にそうした発信を受け入れるのではなくて、それなりに自分で吟味すべきなのである。

おんぶに抱っこは絶対に避けるようにするのだ。

何を言っても独立不羈でい続けることの要件を満たせる人はいない(この理由も省く)。

いるとすれば、感情に一切左右されることがなく行動できる、しかも、悪の心を無くしたという条件付きの、小柄な元祖魔人ブウのような通常の肉体人間からすれば空前絶後の怪物的な能力を持つ、不死身な架空の生物だけだ(しかも天涯孤独が必須の条件)。

そうした者でなければ、この世では、真の独立不羈を保つことはできない。

現代は、お釈迦さんのような神通力を持った人でさえも、独立不羈でいることは不可能な時代状況になってしまっているからだ。

だから、意見の追随も、特に他者批判は控える。

業想念を避けるためだ。

そうして、安易にものの見方を追随するのはやめて、考えるなら、ご自身で考えてほしいのだ(あまり深入りしないようにしながら、あくまでもほどほどに。これも理由は省く)。

まあ、余計なお世話だけど一言だけ。

(*2) ( おぶなより ) の ( 118_懺悔 - おぶなより ) に書いたのだが、私は中学 2 年から容姿によって対女子について、態度を変えないように気をつけてきた。

長じてからは、対女性の年齢や見た目(あまりにもどぎつかったり、明らかに性格が悪く、険のある女性にはちょっと動揺したが)でも、態度を変えないように気をつけてきた。

だから、「ババア」やこれをごまかしたものにしか過ぎない「BBA」、さらには「老婆」も絶対に使わないように気をつけてきた。

五井先生の本には、時代がずっと昔だという背景もあるためか、確か「老婆心」という言葉があったと記憶しているが、これさえも避けるようにしている。

学校でクラスの周りの男子がどんなに特定の女子をボロボロに貶(けな)していても同調することは避けていた(小学生の時に一回だけ同調圧力でみんなに合わせた時には、たまたまその場面を担任のいけすかない中年男性教師に見られて、長い間嫌味な対応をされた。俺なんか比べものにならないほど他の男子生徒がめちゃくちゃやっていたことを知らなかったのかもしれないが、嫌な経験だったよ)。

壁に目あり障子に耳ありではないけれど、いつどこで本人に聞かれることになるとも限らないからね(私はその時点ですでに自分自身に対する貶し(=運動能力のなさ)を聞いた経験があったので、いつどこで不意に女子を傷つけることがあるかもしれないとわかっていたから)。

従って(?)、対女性になるからと、とたんにやに下がったようにならないようにもしていた。

対男性でも、低姿勢で礼を尽くすようにはしていた。

それでも、ああした男達には出くわしてきたのである。

だから、彼らと出くわしたのも、他ならぬ俺の過去世の悪い因縁のあらわれだったんだろうな。

(*3)まあ、このようにして、しかも、相対する人に穏やかであれ、というのも、ちょっと無理があるかもしれないな。

実践的な対処としては、できることなら、隙間時間を活用して世界平和の祈りをしておいて、こうした人と相対した後で別れ際に、世界平和の祈りとともに、この人の天命がまっとうされますように、と祈る癖をつけるといいかもしれないね。

まだまだ、人格の向上が不十分な場合には、人格者であろう、高潔であろう、とするのはどうしても無理が生じてしまうので、祈りで自らの想いを浄めて、相手の人にも祈りを及ぼすのが一番無難になるんだろうな。