179_引き寄せ0

ここ最近、ユーチューブなどの見出しに用いるチラリズム的で煽動的なやり方についての批判的な内容を、前々回 ( 177_願い2 - おぶなより2 ) 、前回 ( 178_願い3 - おぶなより2 ) と書いてきた。

とりあえず、次回から引き寄せについての否定的な内容などを書ける時に適当に書いていく。

ただし、潜在意識の活用やマーフィーの法則も絡めて、どのような構成で書けばいいかを思案中なので、すぐには書けない。

昔、引き寄せの関連書籍を読んだ漠然とした感覚はあり、これで書いてもいいとは思う。

感覚的に書けないことはない。

たが、やはり、批判的内容を書く以上は、おざなりに書くことはできない。

曲がりなりにも、批判的な内容を書くからには、それなりに誠意を尽くしておく必要があると考えられるからだ。

できる限り、いい加減さをなくして、多少なりとも話を詰めるべきだ、と個人的には考える(まあ、理想とはかけ離れた結果になってしまうかもしれないが)。

そこで、何を参考文献に、そして、どの程度の分量に自分なりにまとめあげたらいいかを、まだ考えている。

おおげさな物言いで申し訳ないが、身勝手をお許し頂きたい。

ついでだから、ちょっと書いとこうかな。

私のブログを読んだことのある人なら何となくわかると思うが、私は既存のもの(通説?)に疑問を投げ掛けている訳。

もちろん、五井先生の著作に出会わなければ、ただただ、唯物論的な勧善懲悪のような理屈のみに終始して、宗教の内容は何一つわからないままでいた。

五井先生の著作に出会えたお陰様で、こうしてはてなさんにお邪魔させて頂いて、ブログを書くことができた。

五井先生の著作に出会えたからこそ、宗教に対する唯物論的な利害得失・勧善懲悪の発想から脱することができて、誰にもそなわっている自然な感覚=神性の観点から物事をとらえることができるようになった。

そんな私の書いたものは、仏教に造詣が深い人は歯牙にもかけないだろうし、引き寄せを信奉する人には、説教くさく感じるだろう。

ちまたの仏教の理屈コネコネに陶酔しているのか?と思えるようなものを読んでいると、何とも言えない気持ちになるんだな(意外にも(?)中村さんやひろさんなどはあまりこうした感じはしない)。

お釈迦さんが、既存の仏教体系のどこまでを本当に説いたのかはわからない(これが一番困る)が、ごく自然に考えてあまりなじめないと思われる理論があるように思えるのでね。

私のような単純人間からすると、もっと自然な感覚を大事にしなよ、と言いたくなってしまうのよ。

理屈ばっかりコネて、何やってるんですか、と。

他方、引き寄せを信奉する人の本を読んだり、そうした人のユーチューブの話を聞いたりしていると、これはただの唯物論的で効利的な処世術のことなんじゃないか、潜在意識という飛び道工(?)を使って、ただ、甘い汁を吸い、いい思いをしたいだけなんじゃないか、人格を向上させること、人間とは何か、ひいては神様とのつながりは何かは、申し訳程度で、本題にはなっていないように見えるのよ。

ここに、誰しもが持つ、自然な感覚をもとにした考えから、疑問を投げ掛けているの。

だから、引き寄せもそんな感じにするつもり。

~~~~~

・造詣~ぞうけい~学問・芸術・技術などのある分野に関して広い知識と深い理解を持っていること。
(用例)書に造詣が深い。

・歯牙~しが~(歯と牙の意)歯。

・歯牙にも掛(か)けない~問題にしない。相手にしない。

・信奉~しんぽう~(ある教えや主義などを)かたく信じて従うこと。
(用例)信奉者。師の説を信奉する。

・効利~こうり~①功名と利得。手柄を立てることと利益があること。
(用例)功利に走る。
②利益と幸福。
ここでは、②の意。

・功利的~こうりてき~何をするにも、自身の功名や利益を第一に考えるさま。
(用例)功利的な考え方。

・陶酔~とうすい~①気持ちよく酒に酔うこと。
②ある物事に心を奪われて、うっとりとした気分に浸ること。
(用例)陶酔境。名曲に陶酔する。
ここでは、②の意。